初めての夜
「夫として貴女の望むことは出来るだけ叶えよう。だが貴女を妻として、女性として愛することは出来ない」
王命による政略結婚で結ばれた、夫婦としての初めての夜。
キリエ国の辺境伯グレン・ルヴィダは自身の妻となった少女にそう告げた。
キリエ国とリガーテ国の戦争がやっと終戦を迎え、友好の証しとして両国間で二組の婚約が結ばれた。
一組はキリエ国の王女とリガーテ国の王子。
これは以前から話が出ていたこともあり、何の問題もなく婚約は進み、昨年二人は結婚を成した。
とても争い合っていた国同士の結婚とは思えない程、良好な関係が結ばれていると聞く。
そしてもう一組がリガーテ国の国境に隣接している辺境伯のグレン・ルヴィダと、リガーテ国の王女デリシア・リガーテとの結婚。
王女が降嫁する相手として辺境伯は十分に資格を持つ相手と言える。
だがそれが元敵国の辺境伯だと考えるとあり得ないことである。
ルヴィダ領がリガーテ国に隣接しているとはいえ、相手は一国の王女。
辺境の地でなく王城に住まわせ何不自由ない生活を保障するのが当然だ。
王女を両国間の人質であると考えるのならば、自国の王子と結婚させそれなりに優遇しなければならない。一組目の結婚が王族同士なのだ、当然姫の相手も王族が望ましかった。
それにルヴィダ辺境伯であるグレンはすでに三十を超えており、相手の王女はリガーテ国の女性の成人年である十二歳を迎えたばかり。
どう考えても可笑しい結婚。
戦争が再開されたら真っ先に姫を見捨てる、まるでそう言っているようだ。
グレンの結婚相手となった王女は妾妃の娘。
つまり敵国の辺境地に嫁いでも、惜しくも痛くもないという事なのだろう。
「貴女と私は親子ほどに歳が違う、そんな相手と結婚を強要されるなど貴女だって嫌なはずだ」
彼女の年齢を考えればグレンとの結婚が嬉しいはずがない。
王命でなければ彼女も受け入れられなかっただろう。
泣きそうなのか少し俯き目を伏せている目の前の少女に、グレンは出来るだけ優しく声を掛けた。
万が一にも冷遇されているという情報がリガーテ国に届いてしまっては困る。
結婚には納得出来なかったが、この結婚の重要性は辺境伯としてよく分かっている。
国の境を守る身なのだ。
自分のせいで余計な争い事など起きては欲しくない。
「屋敷の中では自由にしてもらって構わない。外へ出る際は護衛は必須だが制限することもない」
話しかけても何の意思も表さずただ俯くだけの新妻を前に、グレンは言い訳のような言葉を並べていく。
「すぐにとは行かないだろうが、両国間が落ち着いたら離婚をしても構わない。それに子を作らなければ貴女が愛人を作ることも受け入れよう。自国から想う相手を呼びよせてくれても構わないし逢瀬を邪魔することも無い。ああ、だが屋敷内に連れ込まれてしまうのは困るな……ふむ、ではその場合はどこかに貴女の為に小さな屋敷を準備させよう。それでいかがだろうか、デリシア姫」
十二歳の少女がすぐに愛人を欲するとはグレンも考えてはいない。だが女性の成長は早い将来的には分からないだろう。
それに故郷を離れた幼い少女が同郷の者を恋しがる可能性は十分にある。
愛人と言えなくとも自分を支えてくれる恋人が欲しくなるかもしれない。
何せグレンは彼女を女性として扱う気はないのだ。
いや、妻以外を結婚相手として見れないというのが正しい。
グレンの心にはとっくに特別がいる。
だがそれをまだ幼い彼女に理解してもらおうとは思わないし、強要するつもりも無い。
それに彼女が大人になれば当然、恋の一つや二つ欲しくなるものだ。
それを取り締まるつもりも、妨げるつもりもない。
グレンは彼女を夫が居ながらも愛人を作る女と卑下しているのではなく、ただ大人の男性として余裕ある態度を見せただけだった。
「……ルヴィダ辺境伯……」
やっと喋ったかと思うと、彼女の声の可愛らしさにまた驚く。
まだ少女。
幼さの残る高さのある声に、グレンは改めてこの結婚の非道さを感じた。
「グレンで構いませんよ、デリシア姫。私達は一応結婚した間柄なのですから……」
「……では、グレン」
「は?」
顔を上げた彼女に呼び捨てにされるとは思わず、気の抜けた声が漏れる。
グレンの言葉に傷付き泣いているかもと思った少女の顔には涙など流れておらず、それどころか笑顔が浮かんでいて、先ずはその事にホッとする。
「グレン」
返事を返さなかったからか、またグレンと呼ばれ聞き間違いでなかったと分かる。
王女らしい笑みを浮かべグレンを見つめるデリシア。
黒水晶のような美しい黒色の髪と瞳はリガーテ国の王族の証し。
色白で手入れが行き届いた肌はまさに白雪のよう。
あどけなさが残るその面は、花開く前のつぼみのように凛としている。
グレンはベールを取ったデリシアの顔を、この時初めて正面から見たことに気が付いた。
「グレン、その言葉、後悔いたしませんか?」
「は?」
「私を愛さないと言ったこと……後悔なさいませんか?」
何を言われるかと身構えていたグレンから、また気の抜けた声が漏れる。
国に帰りたい。
最悪それぐらいの我儘は言われるだろうと思っていたが、自分の妻になった少女からは想像とは違う言葉が出て驚く。
白き結婚を提案しているのはグレンであるのに、後悔するのではと心配する言葉を掛けられ衝撃を受ける。
自分を愛さないなど出来る訳がない。
まるでそう言っているかのような少女に、勇ましささえ感じる。
どうやらデリシア王女は思ったよりも気が強いらしい。
まあそうでなければこの幼さで他国へ嫁ぐなど無理な話しだろう。
デリシア王女は自分の立場を守るため、グレンの言葉の言質を取りたいようだ。
愛人関係についてか、自由行動についてかは分からないが、貴族らしい、いや王族らしい振る舞いと言える。
「ええ、デリシア姫」
「グレン、シアで構わないわ。私達は夫婦でしょう? 私、親しい人にはそう呼ばれているの」
夫婦と言われると違和感しかないが、グレンは頷く。
王命である結婚なのだ、良好であることを知らしめることは大事。
幼くともデリシアは良く分かっているようだ。
「……では、シア様、私の言葉に嘘偽りはございません。ですので後悔することなどありえません。どうぞこの屋敷でご自由にお過ごし下さい」
少し皮肉すぎる言葉だったか、そう思ったがデリシアは口元を緩め可愛らしい笑顔をみせた。
その笑顔に一瞬ドキリとする。
何故なら忘れる事の出来ない彼女にその笑みが良く似ていたからだ。
交戦的なその笑顔を彼女が見せる時、グレンは愛する妻に勝つ事が出来なかった。
「分かりました。では明日から私は自由に過ごさせていただきますわ。グレン、他に話がなければ部屋から出て行って貰えますか? 今日は流石に疲れましたの、何と言っても私達が主役の結婚式でしたからね」
嫌味には嫌味で返す。
わざわざ結婚式の後だと付け加えるデリシアに、息子よりもよっぽどしっかりしていると感心してしまう。
「これは失礼致しました。私の話は以上です。ではシア様、私はこれで……」
長居は無用。
とても夫婦とは思えない会話を終え、グレンはデリシアの部屋をあとにする。
「グレン、おやすみなさい。また明日」
部屋を出る際にデリシアにそう声をかけられ驚く。
扉の隙間から見えたデリシアは良い笑顔で微笑んでいた。
今日の話し合いでデリシアはグレンに嫌気がさすだろうとそう思っていたが、どうやらまったく気にしてないようだ。
もしかしたら彼女もまた、グレンとの白い結婚を望んでいたのかもしれない。
良かったのか悪かったのか……
明日からの生活に少しだけ不安があったが、それが軽くなった気がしたグレンだった。
グレンが自室へ戻ると、自分の側近であり幼馴染でもあるフラン・ツィーテが待ち構えていた。
結婚式の準備で溜まっていた書類を片付けていたようで、執務机に着きペンを走らせている。
「グレン様……本当に戻って来たのですか? 初夜の夜に? 花嫁を一人残して……」
溜め息を吐き、呆れ顔をするフランを睨み返す。
その理由をこの幼馴染が十分に理解している事をグレンは知っているからだ。
「当たり前だろう。彼女はまだ十二歳だぞ、十二歳。子供だ、子供。手を出せるはずがない。それに息子とさほど変わらない歳の少女を抱ける訳がないだろう」
デリシアの前では色々と言い訳を溢していたが、実際一番の理由はそこだった。
幼い少女を妻として抱く。
グレンの中にある常識がそれを良しとはしなかった。
キリエ国の成人は男女ともに十六歳。
いくらリガーテ国では成人しているとはいえ、グレンから見ればデリシアはまだ子供でしかない。
勿論前妻への想いがあるのも本当だ。
「はぁー、姫様、明日の朝、生きていらっしゃると良いですねぇ……」
「はっ?」
フランは走らせる手を止め、悲し気に窓の外を見つめる。
まるでデリシアが自死を選ぶかのような思わせぶりな態度と言葉に、流石のグレンも冷汗が浮かぶ。
「だって夫となった相手に初夜の夜に愛さないって言われたんですよ。もし俺が女だったら絶望して窓から身をなげますよ」
フランの言葉を聞き、デリシアの顔が脳裏に浮かぶ。
あの意味深な笑顔はもしや人生を諦めた覚悟のような物だったのだろうか。
「いや、まさか、そんな、彼女は強い女性だったし……」
幼馴染の言葉に強く動揺する。
女性と言ってもまだデリシアは幼い少女。
グレンの前では強気に見せていたが、心の中では泣いていたかもしれない。
それにフランの言う通り弱い女性だったらどうなっていたか、想像するのが怖くなった。
「強がってるだけかもしれないですねー。なんせ敵国にたった一人で嫁いできて、味方ゼロなんですからねー」
「味方……ゼロ……」
「そう! なのに味方になってくれると思っていた相手に愛さないって言われる。きっと姫様今頃泣いてますよ。はぁー、可哀想な姫様ですねー、こんなのと結婚しなきゃならなかったんですもんねー」
グレンは愕然とした。
本来ならば自分がデリシアの味方となり、家族として愛さなければならなかった。
元敵国にたった一人で嫁いできた十二歳の少女。
それも結婚相手は三十過ぎの男。
その上こぶ付き。
今更ながらそのことに気付き、思いやりの無さすぎる自分の言葉に胸が痛くなり始めた。
『その言葉後悔致しませんか?』
挑戦的な表情でそう言った彼女の顔を思い出す。
泣いてはいなかったとはいえ、あれは心の痛みに耐えていただけの強がった顔だったのかもしれない。
元敵国にたった一人で送り込まれたのだ。
心細く無い訳がなかった。
「ああ、俺はなんてことを……」
後悔することはありえないと言ったその舌の根も乾かないうちに、すでに深く後悔をし始めたグレンなのだった。
こんばんは、夢子です。
新作始めます。どうぞよろしくお願いいたします。m(__)m