3-13.高見の楼閣 エゴルト・エボルト
エボルトテックジャパン、その最上階にある彼専用のVIPルームでエゴルトはほくそ笑む。
素晴らしい、この”本”はとても。
「珍しいですね。エゴルト様が感情をお見せになるなんて」
「僕が実は激情家なのはよく知っているだろう」
「はい、ベッドの上では別人ですから」
社内では鉄の女、氷の秘書とも呼ばれるレイニィも珍しく笑みを浮かべる。
「本当に君は良い仕事をしてくれた。この”本”は僕の計画が順調であることを教えてくれる」
「先ほどの失敗が、ですか?」
居場所が把握出来ていなかった最後の”祝福者”ケビン・フリーマン。
”本”はその場所を容易く示し、即座に暗殺指令が送られた。
現地のエージェントが仕事にかかったが、返って来た報告は失敗。
少年は転倒したショックで死亡したと。
これが本当に事故死であれば”祝福者”の聖痕は10のままのはず。
だが、数分前に彼女は確認した。
このビル内に軟禁している”祝福者”たちが同時に左手を見たことを。
それは聖痕の数字が9に変わったことを意味する。
それはまた、未使用のままケビンを殺害し、”祝福”をエゴルトに移す計画の失敗を意味する。
「物事は大局的に観るべきだよ。局地的な失敗にこだわるべきじゃない。あの少年の願いは僕の計画に毛ほどの影響もない」
”本”をポンポンと軽く叩き、エゴルトはレイニィに笑いかける。
「差し支えなければ、その子の願いを教えていただいてもよろしいでしょうか?」
「『パパとママにあいたい』だよ。子供らしい良い願いじゃないか」
それを聞いてレイニィはすぐに理解した。
当初のエゴルトの指令は、
『ケビンの父を半殺しにしたまえ、そうして少年に父の傷を”祝福”で治させるんだ。もしくは瀕死の父に気を取られているうちに頭への一発で仕留めろ』
というもの。
少年は”祝福”と命を対価に願いを叶えた。
計画とは違ったが、結果は同じ。
大局的に観れば、計画を邪魔するような”祝福”の使われ方をしないという目的は達成した。
なるほど、彼が上機嫌なのもうなずけるというものだと。
「エゴルト様、ひとつ聞いてよろしいでしょうか?」
「なにかね?」
「ゴートを買収ではなく殺害した理由です」
ケビンのケースでは少なくとも彼とその父が生き残るルートはあった。
だが、あの哀れな犠牲者にはそれがない。
レイニィの心にはそれが引っかかっていた。
「それはだね。僕と彼には少々因縁があるのだよ。レボテック社を知っているかね」
「CEOが創立した前の会社ですね。その技術力の価値がわからない者が出資を渋り残念な結果になってしまいましたが」
今でこそエゴルトは世界有数のIT企業エボルトテック社の創立者。
だが、ここまでの道のりは順風満帆ではなかった。
ここに到るまで3度目の起業と倒産を経ている。
レボテック社は彼が初めて起業した会社である。
「本当ならね、僕はこの地位に10年前には就けたはずなのだよ。ゴートがいなかったらね」
「そうなのですか? 彼は小者です。CEOの道を汚す実力があるとは思えませんが……」
「正面から戦えばそうだろうね。だが彼は僕に取り入るふりをして情報を横流ししていたのさ。おっと、僕はそこまでバカじゃない。彼には取るに足らない情報しか渡してないよ。彼の本当のクライアントも鼻で笑うレベルのものさ」
「ではどうして?」
「情報が金にならないとわかるやいなや、彼は僕やレゴテック社の価値を棄損する方向に走ったのさ。ありていに言えば足を引っ張ったのさ」
レイニィは思い出す。
レゴテック社の倒産の決め手はSNS上の炎上で、それで出資者が手を引いたことにあったことを。
「取るに足らない情報でも真実ではある。彼は他愛ない真実を織り交ぜることで嘘の信憑性を増したのさ。そうやってカモから金を巻き上げた。いずれ破綻するのは確実なのにだ」
上機嫌だったエゴルトの顔が少し険しくなる。
「僕が彼と最後に会った時、彼は言ったよ『俺が破綻するとお前も破綻するから金を出せ、俺の嘘を守れ』とね。屈辱だった。それは彼の言う通りだったからね。やむを得ず金を出したが、それは焼け石に水でしかなかった。数か月もたたないうちにレボテック社は破綻したよ。風評被害による株価下落と、それにより出資者が手を引いたことでね」
「なるほど、理解しました」
「レイニィ、僕はねこう見えても寛容なんだ。僕に従う者には利を与える。だけど、僕の敵、計画の邪魔者、特に僕を裏切った者には容赦しない」
「肝に銘じておきます」
レイニィは胸を押え一礼する。
「さて、この”祝福ゲーム”も終盤だ。残りの”祝福”は9。その所在は全て確定している。僕が1、このビルに6、福岡の実と藤堂で2だ。実と藤堂へのアプローチはどうなっている?」
「実からは保留の返事が、藤堂からは返事なしです。居場所は把握していますが実行にはもう少し時間を頂きたいかと……」
”本”はふたりの居場所をマップアプリのように示す。
だがエゴルトは決して”本”を他者に見せないため、どうしても実行部隊とのタイムラグが生じてしまう。
警戒するふたりを暗殺するにはどうしても準備が必要だった。
「ああ、それでいい。やるなら”祝福”を使う間もなくやらなければいけないからね」
「はい、明日の実のコンサートで実行出来るよう準備を進めています」
飛行機のプライベート回線に凛悟がアクセスした以降、エゴルトは凛悟にターゲットを絞り、その通話を盗聴している。
藤堂の誘いに実がコンサート後に返事をすることは、凛悟と藤堂の通話からエゴルトたちは把握していた。
「凛悟は?」
「あれはもうターゲットランクを落としています。死なれても困りますので」
”本”は凛悟が死ぬと消滅する。
エゴルトたちにとってそれだけは都合が悪いが、それ以外はもうどうでもいいはずだった。
「わかった。そっちは僕がチェックしておこう。今は”本”でしか彼を窺い知ることはできないからね」
山中からの逃亡の折、凛悟はスマホを手放した。
エボルトテック社の探査システムではもう彼を捕捉出来ない。
「彼をそこまで警戒する必要があるとは思えませんが。自殺を警戒されているのでしょうか」
「念のためだよ。時に買収した”祝福者”たちや凛悟の彼女はどうしている?」
「下のフロアの各部屋に軟禁しています。待遇はVIP並ですが」
「”祝福者”同士が出逢うことは?」
「ありません。協力されて計画の邪魔されても困りますから」
「それはいけない。解放してフロアの中では自由に往来できるようにしたまえ」
軽くたしなめるようにエゴルトはレイニィに指示する。
「良いのですか? 彼らは表向きは買収に応じましたが、共謀しないとも限りません。特にあの蜜子という女は注意が必要です」
”本”を手土産に花畑蜜子はこちらに寝返ると言った。
だが、本意ではないのは明確だった。
「いいんだ。彼女も含めてフロアの中では自由に動けるようにしたまえ。設備はパーフェクトだろ?」
「はい、彼らの一挙手一投足に到るまで監視しています。筆談であっても音と映像から見逃しません」
「だったら問題ない。いや、むしろいい」
その台詞でレイニィは理解した。
エゴルトは買収された者を信用していない。
だから、あぶり出そうとしている。
「さっきも言ったろ。僕はね、僕を裏切る者には容赦はしないんだ」
エゴルトは少し笑みを浮かべてそう言った。
その笑みはゴード抹殺の指示を出した時と同じ表情だった。




