2-21.ふたりの来訪者 ティターニア・タイター
ホテルにチェックインしたティターニアは暇を持て余していた。
本当なら東京観光でもしたい気分だったが、兄からホテルから出るなと厳命されていたからである。
「あーあ、こんなに晴れた良い陽気なのに兄さんったら心配性なんだから」
窓から東京の街並みを見下ろしティターニアはここに居ない兄に向けて愚痴る。
今日の兄さんはどこかおかしい。
いや、留置所を出てからずっと。
普段なら留置所にひと晩お世話になるなんてどうということないのに。
飛行機の中で私の好きなループもののSF映画を見ていたら『気分が悪くなる』なんて言って消しちゃうし。
そりゃま、ループものの序盤から中盤まではバンバン主人公が死ぬからちょっとホラーテイストだけど。
ティターニアはそう考えていた。
だが、彼女は兄がその主人公と同じく何度もループしていることを知る由もない。
暇だからホテルのレストランで豪遊でもしちゃおうかしら。
ティターニアの懐には兄から渡された現金が大量にある。
兄の財布にこんなに余裕があったことも彼女にとって意外だった。
そんなことを考えながら外出の準備をしようとしていた時、コンコンと扉をノックする音が聞こえた。
ルームサービスは頼んでいない。
兄さんのはずもない。
兄さんなら必ず声をかけるはずだ。
「どなたですか?」
警戒しながらティターニアは扉の向こうへと声をかける。
「初めまして、メールは見て頂けましたでしょうか。エゴルトCEOの使いで参りました」
エゴルト!?
扉の向こうの女性が口にした名にティターニアは憶えがあった。
スパムだと断定したメールの差出人だと。
「あのメールは本物だったんですか?」
「はい、もちろん本物です。詳しいお話をさせて下さい。扉を開けて頂けませんか?」
扉の向こうの女性の声はとても穏やかで、ドアレンズから見える姿は真面目そうなスーツ姿をしていた。
ティターニアの心は彼女を警戒していたが、同時にエゴルトのメールが本物ということが気になっていた。
本当に本物ならエゴルトも”祝福者”である可能性が高い。
だとしたら協力関係を結ぶのもひとつの手。
それにここのホテルのセキュリティレベルは高い。
話を聞くだけで危険になることはないだろう。
何よりもイザとなったら自分には”祝福”がある。
「わかりました。隙間からの立ち話でよければ」
それでもまだ警戒しつつティターニアはドアを少しだけ開けた。
「ありがとうございます。話はメールの通りです。エゴルトCEOに協力して”祝福”を使ってくれればメールの10倍、1億ユーロお支払いします」
フルーツ系の香水を付けているのだろうか、彼女の言葉と共にドアからは甘い香りが漂って来た。
「それって本当にホントなんでしょうね」
「お疑いのようでしたら1000万ユーロを前報酬としてお支払いする用意がございます」
想像以上の大金を引き合いに出され、やや興奮気味なティターニアに対し、スーツ姿の女性はあくまでもビジネスライクに応える。
「ちょっと考えさせて下さい」
正直、1億ユーロが手に入るなら”祝福”と引き換えにしてもいい。
だが、兄のことを想うとティターニアは即断は出来なかった。
兄は自分の本当の望みを叶えるために行動しているのだから。
「決断は早めにするのがお勧めですわ。でないと……」
女性のその声を聞いた瞬間、ティターニアの膝から力が抜ける。
女性のつま先は既に扉が閉められないようにドアの内側に侵入していた。
「決断する思考すら出来なくなってしまいますから」
ティターニアの視界の解像度が下がり、意識が遠のく感覚で脳が埋め尽くされる。
なに? これ? ガス? 毒!?
”祝福”を使ってどうにかする!?
でも、でも、でも、どうすればいいのかわからない。
兄さん、ごめんなさい。
言いつけを破ってごめ、んな、さい。
あやまるから、た、す……
ティターニアの意識が消えようとした時、ドンっと何かと何かがぶつかる音がして、ドアが大きく開かれた。
誰かに抱えられるような感覚がして、ティターニアの耳には女性の怒号らしきものが入ってきた。
カカカカカ、カン
これは階段を降りる音。
そう思った時、ティターニアの意識は覚醒した。
「誰!? 兄さん、じゃない、誰?」
筋肉質の男性の肩の上からティターニアが尋ねる。
「私の名はグッドマン。クリストファー・グッドマン。お願いだ、助けてくれ」
苦悶に満ちた表情で男はティターニアに助けを求めた。
助けて欲しいのはこっちの方だとティターニアは思った。




