ダンジョン3ー①
「【小癒】」
「わぁ、ありがとう、おじちゃん!」
ボールの神聖魔法が光を放つと、少年の太ももに刻まれた裂傷は瞬くまに消えていった。少年の感謝の言葉にドワーフの僧侶は目を細めながら頷き、注意を促す。
「うむうむ。お前さんも遊ぶのは構わんが、ちゃんと周りを見るようにな」
「は~い」
少年は軽く返事をするが、彼の裂傷は錆びた鉄柵に引っかけてできたもので、きちんとした治療を受けなければ破傷風になる恐れもあった。ボールは少し説教すべきかと考え──それは自分の役割ではないとかぶりを振って思いとどまる。
人にはそれぞれ領分というものがある。神の奇跡を授かったとはいえ、それは自分が特別であることを意味しない。
決して思い上がらず、節度を持って物事に相対すること。それはボールたち僧侶が最初に伝えられる教えの一つだ。
「おじちゃんって凄いんだね。冒険者様なの?」
キラキラとした瞳で自分を見上げる少年の頭を撫でながら、ボールは苦笑した。
「まあの。じゃが、凄いのはワシではなく神様じゃ。ワシはそのお力を借りておるにすぎん」
「へー、神様ってすごいんだー」
どこまで理解しているのかいないのか。
少年はおいしいお菓子の店の場所を聞くような気軽さで尋ねた。
「なんて神様なの?」
「うん? ワシが仕えておるのはアルムートという女神様じゃ」
「聞いたことなーい」
その正直さにボールは苦笑する。
女神本人が聞いていたら激怒しただろうが、アルムートはドマイナーな神であり、少年が知らないのは当然のことだった。ボール以外に信者がいるといった話は今のところ聞いたことがなく、世間に伝わっている一般的な神話には名前すら登場しない。
「どんな神様なの? ウチはね、毎週交易神様の神殿に家族でお祈り行ってるんだぁ」
そう問われてボールはどう説明したものか、少し口ごもった。
「……うむ。アルムート様は貧困と不幸を司る女神でな──」
「ええー!? ひんこんとふこー? わるい神様なの?」
子供とはいえ、流石に僧侶としてその物言いは見過ごせず、ボールは苦笑しながら少年の頭に軽くチョップする。
「いて」
「そんな訳あるまい、アルムート様はな、人が幸運や欲に溺れて堕落することを戒める神様と言われておるんじゃ」
「いましめー?」
少年は叩かれた頭を押さえ、よく分からないといった様子で顔を顰める。
「交易神様は幸運の神様で、お祈りしたら幸運を授けて下さるって父さんが言ってたよ? 幸運は駄目なのー?」
「いや、駄目というわけじゃなくての」
子供に説教するのは難しい。
どう説明したものかとボールが頭を悩ませていると、
「おじちゃんは、どうしてそんな神様に仕えてるの?」
「────」
失礼な言葉ではあったが、ボールは叱ることも忘れてそれを反芻する。
──貧困と不幸の女神に仕えた理由。
その問いにボールは咄嗟に答えられなかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「よーし、今回のダンジョンについて分かったことをまとめるよ」
ウルは半月前から逗留しているイデアルの街の宿の一室で、仲間たちを前にダンジョンアタックについての打ち合わせを開始した。
「イデアルのダンジョンはあまり規模の大きなものじゃない。全五層で出現する魔物はオーソドックスな獣型と植物型。レベルもそれほど高くない。逆に得られる素材も有り触れてるから、ここを狩場にしてる冒険者自体も少ないのが特徴だね」
「うむ。ギルドの業務を一般の商店が代行しとったのには驚いたのう」
「ワン」
ボールはそういうが、実のところ田舎の過疎ダンジョンではこうした体制は珍しくない。冒険者ギルドも商売である以上、経営資源の選択と集中は自然な成り行きだった。
「他の冒険者を利用できない分、探索には時間がかかったけど、今日でようやく最下層までのルートは確立した」
この街を訪れて半月間。
ウルたちはゴーレムを活用しながら慎重にダンジョン内を調査し、第四層までの攻略を完了した。
手間こそかかったが、ここ最近では一番冒険者らしい活動期間だったとも言えるだろう。
「ただし問題はここから。第五層にはこのダンジョン最大の難関であり、冒険者から不人気な原因が存在する」
「夢魔、じゃの」
ボールの相槌にウルが頷く。
「うん。正確には、夢魔の類と思われる強力な精神攻撃だね。攻略した人間がいないから、実際に夢魔本体を確認できてるわけじゃない」
そこで珍しく話し合いへの集中力を維持しているクーが首を傾げ、疑問を口にする。
「ワフゥ? ムマ……ッテ、ナニ?」
その質問はウルとボールには今更だったが、クーが興味を持ってくれるのは良いことだと、ウルは嫌な顔一つせずその質問に答えた。
「夢魔っていうのは、人を眠らせてその精気を吸い取る生物の総称──え~っと、総称ってのは、魚とか虫とかの大まかな区別のことだよ。名前に“魔”とはついてるけど、必ずしも魔物とは限らないし、その姿も具体的な能力も千差万別なんだ」
「……センサ、バンベツ?」
「色んなのがいるってことね。香りで獲物を眠らせる植物とか、目から催眠効果のある光を出す猫とか、ホントに実体のない幽霊みたいな奴まで色々」
「ワフ!? ユウレイ!」
幽霊という単語にクーがビクリと身体を震わせ、全身の毛を逆立たせる。最近、読み書きを覚えさせようと童話の読み聞かせをしていたのだが、王様の幽霊が出てくる話が思いのほか彼を怯えさせてしまったらしい。
「ほっほっほっ。幽霊の類なら拙僧がどうとでもしてやるから、安心せい」
「ワフゥ……」
ボールが笑いながらクーの顎を撫で、怯える彼を宥めた。
僧侶は霊的戦闘の専門家だ。
吸血鬼のように呪われた命を獲得した相手はともかく、非実体の幽霊に対しては無類の強さを誇る。それは非実体の夢魔に対しても同様だった。
「うん。ただ今回は幽霊の類って可能性はないと思う」
「うむ? 本体は確認できとらんのだろう? なぜそう言い切れるんじゃ?」
ボールの疑問にウルは簡潔に答えた。
「これまでこのダンジョンに挑んだ冒険者の中に僧侶がいなかったとは思えないからね。幽霊系の精神干渉なら、よほど特殊なものじゃない限り神聖魔法でブロックできるでしょ」
「なるほどの」
ボールは納得したように頷き、顎髭を手櫛で漉きながら続けた。
「しかし夢魔の類と分かっておるなら、幽霊系でなくともそれぞれ対処法はあるじゃろ。なぜ今まで攻略できとらんのだ? ああ、いや……そもそも、ここの連中はどうやって夢魔の仕業と判別したんじゃ?」
夢魔の領域に踏み入れば、対抗手段を持っていない限り人は夢の世界に墜ちてしまう。攻略できていないということは、対抗手段を持たず、またその精神攻撃から逃れることができなかったということ。にもかかわらず、どうやって夢魔の仕業と推測を立てたのか、ボールは疑問を呈した。
「あ~……僕が聞いた人も言葉を濁してたから断言はできないんだけど、どうも昔“綱引き”した奴がいたみたいだよ」
「……なるほどの」
「ワフ?」
半笑いで答えたウルに、ボールが理解を示す。
クーは分かっていないが、二人が言っている“綱引き”とは、奴隷や罪人などを鎖でつなぎ、ダンジョンの未踏階層などを探索させる手法だ。当然、送り込まれた者の死亡率は極めて高く、むしろどうやって死んだかという情報を得るための手段と言ってよい。あまりにも非人道的ということで、最近では表立ってやる者は少ないが、一昔前はメジャーな攻略方法の一つであり、今でも使用している冒険者は一定数いる。
「要はロープで縛った奴をダンジョンに送り込んで、反応がなくなったんで引っ張ってみたら、そいつが寝こけてた、ってことみたいだよ。聞いた話じゃ一通りの対処法は試したけど、どいつもこいつも姿も確認できず眠らされちまうってんで、ここの冒険者は夢魔を怖がって浅い階層でしか活動してないってことらしい」
「まあ、好き好んで得体の知れん相手に挑む馬鹿はおらんわな」
大体事情は分かった、とボールが頷く。
そこで彼は視線をウルから傍らの簡易神殿へと移し、そこに宿る主神へと質問相手を変えた。
「それで、女神よ。やはりその夢魔らしき魔物というのが、このダンジョンのギミックだと思われますか?」
『ん~……話だけ聞くとそうかな、とは思うけど、今の話だけだと断言まではできないかな』
女神アルムートは少し考えて、慎重に答えた。
『そもそも、神代には今の人間じゃ対処不可能なレベルの魔物がゴロゴロいたからね。神具が担い手選定の条件として設定したギミックじゃなく、ごく普通の障害としてそれを配置してる可能性も十分にあるのよ』
「何その無理ゲー……」
アルムートの解説に、その攻略の指揮を執るウルはうんざりした表情でうめいた。
女神はそんな俗人の都合など知ったこっちゃないとばかり、明るく続ける。
『ともかく、実際にそれを確認してみないことには何とも言えないわね』
「確認と言いますと……」
『方法はさっきウルが言ってたじゃない。体験してみるのが一番早いと思うわよ』
まあ、そうなんだけど。
『…………』
ウルとボールはその言葉の意味を理解し、無言で互いを見つめ牽制し合った。