ダンジョン2ー③
「何なんだよ、ここの虫は!? 毒食ったら死ねよ! 力強く羽ばたくんじゃねぇよ! 焼かれたら死ねよ! 虫としてっつーか生き物として!」
ダンジョン──というかそこを守護する無数の黒くて素早い虫の生命力と理不尽さに、ウルは「うがー!」と吼える。
本来なら仲間は「落ち着け」と諫めるべきなのかもしれないが、ボールとクーも直接策を立てたウルほどではないにせよその理不尽さにはうんざりしていた。こんな時は、下手に口出ししても火に油を注ぐようなもので、一頻り好きに騒がせたほうが良いということを理解していた。
『あはは、ばっかねー!』
しかしここに、そんな繊細な人間の心の機微を理解せず、火に油どころかセットで鉄釘と火薬を投げ込んで殺傷力を上げる女神が。
『仮にも神具が使い手を試すためのダンジョンよ? そんな誰でも思いつくようなありきたりな方法で攻略できるわけないじゃない──って、え? ええ? なんで神殿運んでるの?』
「そっかそっかー。僕は無知蒙昧な人間なんで、いい策が思いつかなくて申し訳ないなー。うん、ほんと申し訳ないんだけど、ここは神様に見本を見せてもらわないとどうしようもないなー」
『待って待って! なんでダンジョンの方に歩いてるの!? ねぇ! どうして振りかぶるの!? 謝るから! だからダンジョンに──あの虫の中に私を放り込むのは止めて!!』
「心苦しいけど、これも大切な使命のためだから仕方ないなー」
『嘘よね!? 脅しでなのよね!? もうしっかり反省したから、これ以上は──いやぁぁぁっ!!』
ボールとクーがさすがにまずいと思い止めに入ったものの、あと一歩遅れていたら女神はその住処ごとネトネトのグチョグチョになっていたということだけ、ここに記しておく。
数分後。
いまだ怒りは収まらぬ様子ではあったが、最低限の落ち着きを取り戻したウルは、仲間たちと地面に車座になり、肘を足につき、顎を手に乗せて口を開いた。
「……やっぱり無理だろ」
「ま、そうじゃの」
「ワフ」
そのありきたりな結論に、ボールとクーはあっさりと同意する。ウルは胸中の腹立ちを吐き出すように、淡々と「無理」の理由を続ける。
「ダンジョン内の“虫”が普通にキモイだけならまだ何とかなったけど、あれは明らかに侵入者の行動に対応して強化されてる。毒も火も効かないし、物量もデタラメ。どう考えても人間に攻略させる気がないとしか思えない」
「ふむ……」
ボールはウルの分析に、顎に手を当てて少し考えるそぶりを見せ、思いついた疑問を口にした。
「人間に、というがそれほどかの?」
「そうだね……」
ウルはその疑問に少しだけ冷静さを取り戻し、思考を整理するよう数秒間をおいて、自分の考えを言った。
「まずあの物量は、戦士や斥候、呪文の使えない連中には対処不可能だ。どんだけ斬ろうが潰そうが、秒で圧し潰されて窒息して死ぬ」
「うむ」
「呪文使いであっても僕らレベルじゃ話にならない。少なくとも単純な火や毒、多分電撃や冷気、音とかの単純な攻撃には全て耐性を備えてると見た方がいいだろうね」
「ワフゥ……」
ボールは「それなんじゃが」と前置きして自分の意見を口にした。
「奴らは耐性と生命力こそ目を見張るものがあるが、今のところ攻撃力に関してはそれほどではない。例えば、ワシの【聖壁】を全面展開し、維持しながら進むというのはどうかの?」
「止めた方がいい」
ウルは即答した。
ボールはそのことに残念そうな顔も見せず髭を撫でる。
「ふむ。駄目かの?」
「多分、それやったら【聖壁】の周囲を虫に囲まれて、その場から動けなくなって窒息死することになると思うよ」
冷静な指摘にボールとクーはその情景を想像してしまい、いやそうに顔を顰めた。
「もし可能性があるとすれば、空間に干渉して別次元から移動できるレベルの魔術師ぐらいだろうね。ただそれにしたって、ダンジョンコアの空間干渉力は人間とは比べ物にならない。最悪、ルール違反と見做されてダンジョン内で空間干渉を解除される可能性もあるね」
「なるほどのう……」
ボールはウルの分析を頭の中で整理し、やはりどうしようもないと結論付ける。そして傍らに置かれた簡易神殿に向き直ると、
「女神よ。やはり今の我々ではどうしようもなさそうです。ここは──」
『うう……カサカサ黒いのが近づいてくる……!』
「……女神よ! 正気に戻ってくだされ」
『やだ、羽がテカテカして──って、あれ?』
ボールの言葉に、ようやくこちら側に意識が帰還する女神。彼女はボールから改めて自分たちの置かれた状況とダンジョンに関しての分析を告げられ、撤退を進言された。
『……なるほどね』
「悔しいでしょうが、やむをえません。ここは──」
『駄目よ』
キッパリとした女神の宣言にボールは目を丸くする。
彼女は我儘で傲慢で間抜けではあるか、決して愚かではない。これだけ懇切丁寧に説明して、現状を理解できないとは思えないのだが。
「お気持ちはわかりますが──」
『別にムキになって言ってるわけじゃないわ。このダンジョンは攻略できる』
そのはっきりとした断言にウルたちは顔を見合わせる。
困惑している彼らに、女神は淀みなく続けた。
『よく考えてみなさい。ダンジョンは元々、神具がその担い手を選ぶためのものなのよ。よほどの偏屈でもない限り、攻略不可能な試練を設定することはないわ』
それは道理だ。だがウルは顔を顰めて反論した。
「だから、このダンジョンがその“よほどの偏屈”なんじゃないの? 攻略どころか侵入も不可能なんだぜ?」
『私の言う“よほどの偏屈”ってのは、そもそもダンジョン入口がこの次元に存在しないとか、攻略条件に“神格”を必須とした試練を設定してるような連中のことよ。このダンジョンは厄介で薄汚い守護者こそいるけど、閉ざされてもいないし完全に人の侵入を拒んでもいない。ダンジョンとしては真っ当な部類よ』
『…………』
そう言われてウルとボールは困ったように顔を見合わせ頭をかいた。言わんとする理屈は分かるが、だからと言って攻略の糸口がないことに変わりはない。
ちなみにクーは話に──分かったふりをして付き合うのに──飽きたのか、顔の周りを飛ぶ蝶に意識を奪われていた。
「そうはおっしゃられても、現状まったく打つ手がありませんからなぁ。せめて何かヒントのようなものでもあれば違うのでしょうが」
『ヒントならあるわ』
断言した女神にウルとボールは目を丸くする。
「どういうこと?」
『ヒントはある。このダンジョンよ』
このダンジョン……黒くて素早い生理的嫌悪感をもよおす虫が溢れたこの場所のどこにヒントがあるというのだろうか?
『ダンジョンには神具の意志や性質が反映されるわ。ここが“アレ”だらけなことにも必ず意味があるの』
「……単なる嫌がらせじゃなくて?」
『違うわ。仮に嫌がらせだとしても、その手段が“アレ”であることには意味があるのよ』
「ふむ。つまり、このダンジョンの神具は“アレ”を乗り越えることに担い手としての資格を見出している、と?」
『そういうことね』
ボールは女神の説明に理解を示す。
しかしウルはなおも懐疑的だった。
「え~? その神具が単なるキモイ虫好きって可能性もあるだろ。それに百歩譲って“アレ”の存在がヒントだったとしても、手の打ちようがないってところは同じじゃない?」
『手の打ちようがないのは、その手段が正しくないからよ。この手のダンジョンには、必ず神具の設定する“正しい攻略法”が存在するわ』
そう言われて、ようやくウルの瞳にも理解と希望の光が宿る。
「……つまり、“アレ”がやたら手強いのは、僕らのやり方が神具のお気に召さないから、ってこと?」
『そうなるわね』
「なるほどのう……」
そもそも“アレ”を単なる排除すべき魔物として捉えていたことが間違いだったのだ。“アレ”を魔物ではなくダンジョンが用意した謎だと考えれば、捉え方はまるで変ってくる。
「“アレ”を倒そうとしてはいかんということか? 例えば“アレ”に対する恐怖を乗り越え、受け入れれば攻撃されんとか」
「……いや。もし“アレ”を受け入れろという意図なんだとしたら、動きが攻撃的過ぎる。反撃しろって言ってるみたいなもんだ。受け入れろって意図なら特定の通路や扉を“アレ”で満たしてれば事足りるはずだよ。倒して駆除するって方向性自体は間違ってないんじゃないかな」
ボールも自分で口にしていながら試す度胸はなかったのか、ウルに否定されてほっとした様子だ。
「問題は倒し方だよ。“アレ”の倒し方として毒餌や火とかはお気に召さないってことなんだと思う」
「お気に召さんと言うてもなぁ……」
ボールは“アレ”の倒し方に良いも悪いもなかろうとあきれ顔だが、女神はウルの意見を支持した。
『ウルの考え方で間違ってないと思う。毒はともかく、煙や火には瞬時に耐性を獲得してものすごい拒絶反応を示してたでしょ?』
「……ああ、なるほど。最初に入ったときもそこそこ数はいたけど、煙や火で攻めたほどじゃなかったよね。つまり煙や火は、特にお気に召さない方法だってことか」
「火や煙がいかんとなると……水攻めか?」
「いやぁ、それはどうだか……」
『…………』
ぼんやりとした光明は見えた気がするが、しかしそれを掴もうとすると掌からすり抜けていく。女神を含めた三人は「う~ん」とその場でしばし頭をひねった。
そんな話し合いに飽きて、すっかり気もそぞろにピョンピョン飛び回るバッタを視線で追っていたのがクー。
「…………バウ!」
彼はバッタが動きを止めた瞬間を狙って飛びつき、両手でバッタを圧し潰すように捕まえた。
「ワフ! ミテ! ツカマエタ!」
ハッハッと舌を出して尻尾をブンブン振りながら、嬉しそうに獲物を見せつけるクー。捕まえたバッタは衝撃で足が一本もげてしまっていた。
「こりゃ、クー。皆で考え事をしとる時は大人しくせいと言っとるじゃろう」
「……ク~ン?」
褒められると思っていたところを叱られてしまい、耳をぺたんと倒してしょげてしまうクー。
「おい、ボール……」
「なんじゃ、ウル。お前さんはクーに甘いが、叱るべきところはちゃんと叱っておかんと──」
しかしウルはボールの教育方針に異を唱えている様子はなく、ただ茫然とクーの肉球に挟まれて潰れているバッタを見つめていた。
「ひょっとして、そういうことなのか……?」
「……どうした? 何か気づいたのか?」
「冗談だろ……いや、僕の勘違いであってくれ……」
ウルの表情は絶望に染まっていた。
──グシャ、パン、ゲシィ
ウルの気づきからおよそ一時間後。
彼らは簡単な実験、実証を経て、大した妨害に遭うこともなく悠々とダンジョン内を進んでいた。
“アレ”は散発的に出現しているものの、その動きや量は当初とは違って常識的な範疇に収まっており、都度駆除して前進することができている。
「…………うう」
「ほれ。気持ちは分らんでもないが、しゃっきりせい」
「ワン!」
しかし、ダンジョンの謎を解いたウルの表情はとても暗い。
ボールは多少うんざりした様子だがさほどでもなく、クーはむしろ楽しそうな様子だ。
「何で僕は気づいてしまったんだろう……」
「グジグジ言わずに諦めい。ああ、潰すときは足や杖じゃなく素手で潰すんじゃぞ。その方が発生速度が抑えられて結果的に楽になるからな」
「……気づかないフリをさせてくれよぉ」
嘆くウルが気づいたこのダンジョンの攻略法。
それは“アレ”を直接、自分の手で潰すというのものだった。
火や煙といった間接的な手段で駆除するのが気に食わないなら、ひょっとして自分で潰せってことなんじゃね、と思いついてしまったのが運の尽き。試しにダンジョン入口の“アレ”を一匹、クーに素手で叩き潰させたところ、それまで通路を覆いつくすように湧いていた“アレ”が波が引くようにサッと姿を消し、数匹が通路をカサカサするだけとなった。
つまりこのダンジョンを作った神具は、自らの担い手に“アレ”を自分の手で叩き潰せる剛の者を求めていたということなのだろう。
「うう……手がヌルヌルするよぉ」
「終わったら【浄化】でキレイにしてやるから我慢せい。ほれ、クーを見習わんか」
「ワン! ウ~、ワン!」
虫の類があまり得意でないウルとは対照的に、常識的な数であれば元浮浪者のボールと、コボルトのクーは“アレ”を潰すことにさほど抵抗がないらしい。特にクーは狩猟本能を刺激されたのか、楽しそうに“アレ”を潰して回っている。
しばらくクーには近づかないようにしようと、ウルは心に誓い、泣きながら“アレ”を潰し、ダンジョンを前進した。
幸いというべきか。
ダンジョンそのものはあまり広くなく、“アレ”への対処さえ確立すれば、攻略そのものは2時間ほどで完了した。
手に入れた神器は「黒くて素早い虫を確殺する小槌」。
あまりにもあんまりな能力だったため、女神も自らの神殿に入れることを拒否。気に入ったクーがメインウェポンとして使用することになった。