ダンジョン2ー②
「【浄化】、【浄化】、【浄化】!!」
ダンジョン内で生理的嫌悪感を催す無数の黒くて素早い虫に追い立てられ、ウル、ボール、クーの三人はたった数分で息も絶え絶えにダンジョンから撤退した。
最悪だったのは、前衛においていたストーンゴーレムに突如現れた虫の群れを薙ぎ払わせたところ、虫の物量と圧力が膨大すぎたため、潰れた虫の体液やら千切れた手足やら羽やらがウルたちの身体に降りかかってしまったこと。ダンジョン外に飛び出して虫の追撃がないことを確認するなり、僧侶のボールがべたべたになった自分たちの身体を神聖魔法で慌てて浄化した。
元浮浪者で数年風呂に入らなくても平気というボールがここまで慌てているという事実が、湧き出た無数の虫、その体液と肉片の悍ましさを物語っている。
『私も! 私もキレイにしてぇぇぇっ!?』
「おお! これは気づきませんで」
携帯式の簡易神殿内にも虫の体液の浸食が及んだのか、女神が悲鳴を上げて自分の信者に助けを求めた。
【浄化】の呪文により粘々した体液からウルたちは、呼吸と気持ちが落ち着くまでその場にうずくまる。呪文により身体についた虫の痕跡は消滅したはずだが、全身に虫がまとわりついている感覚を幻視してウルは情けなく顔を歪めた。
そして気持ちが落ち着くまでたっぷり十分ほどの時が経過。
誰が合図するでもなく彼らは互いに顔を見合わせ、頷きを一つ。代表してウルが口を開いた。
「このダンジョンの攻略は諦めよう」
「異議なし」
「ワフゥ!」
満場一致。異論なし。このダンジョンは自分たちには攻略できない。
さあ結論は出た。ウルたちはいそいそと荷物をまとめ、その場を立ち去ろうとする──と。
『──って、ちょっと待ったぁぁっ!!』
はっと我に返った女神が彼らを呼び止めた。
「何か忘れものですかな?」
「トイレならそこの茂みで済ませてきなよ」
『女神がトイレなんて行くはずないでしょ! じゃなくて! あんたたち何簡単に諦めてるのよ!』
その言葉に三人は顔を見合わせる。ウルは頭の上で指をクルクルさせて『ボケたか?』と顔を顰め、ボールはそれに肩をすくめながら口を開いた。
「簡単にと言いますが、先程女神も情けない悲鳴を上げておったではないですか」
『そ、それは心の準備ができてなかっただけよ。てゆーか神に情けないとか言うな! ちょっとヤバいのがいるからって、簡単に攻略を諦めるわけにはいかないでしょ!? あんたたち、自分の使命を何だと思ってるの!?』
姿は見えないが、恐らく仁王立ちして指を突き付けながら言っているのだろうなと想像できる女神の言葉に、ウルは半眼でボソリとツッコんだ。
「いや。“僕らの”じゃなく“あんたの”使命なんだけどな?」
『困難あってこそのダンジョン! それを乗り越えてこその冒険者でしょ!』
「聞いちゃいねぇ……」
「ワフ」
やり取りの意味が分かっているわけではなかろうが、疲れた様子のウルを慰めるようにクーがポンと背中を叩いた。
「しかし女神よ。おっしゃられることは分かりますが、現実的に今のワシらではあの物量を攻略するのは不可能でないですかな」
女神に使える僧侶であるボールは、長い顎髭を撫で言葉を選びながら言った。
「たかが小さな虫とは言え、あれだけの数に取りつかれれば間違いなく助からん。無視して突っ切ることはできますまい。じゃが、ひっきりなしに湧いてくるあの虫を駆除する方法となると、思いつくのはウルの魔法ですが──」
「無理。【火球】でも使えば目の前の虫を焼くぐらいはできるだろうけど、今の僕じゃ二発が限界。どうやったってあの物量を焼き尽くすのは無理があるよ」
ボールは議論を進めるために、敢えて自分でも不可能と分かっている案を口にする。
「……例えば、餌か何かを使って一か所に虫を集めて、そこを一網打尽にするというのはどうかの?」
「【火球】の効果範囲にあの数は収まらないでしょ。仮に何度かそれを繰り返して数を減らしていったとしても、あの虫の増殖速度を上回れるかなぁ? そもそもあの虫も魔物なわけだし、ダンジョンがその気になれば幾らでも生み出せちゃうんじゃない?」
ウルはクーの背中の簡易神殿に視線を向けて確認する。
『……あまり強力な魔物は無理でしょうけど、虫ぐらいならかなりのペースで生成できると思うわ』
「となると僕らじゃあの虫に対処する手段がない。広域攻撃といえばクーに煙管を使わせるって方法もあるけど──」
「ワフゥ!!?」
ウルが口にした不吉な言葉にクーが全身の毛を逆立ててびくりとする。ウルはそんなクーを安心させるように頭を撫でてなだめながら続けた。
「虫相手じゃ臭いは効果が薄そうかな。仮に通じたとしても、攻略中に虫が復活したらそれこそもう手の打ちようがないでしょ」
「……じゃのう。逃げ場のない状況でアレに囲まれるとかゾッとせんわい」
ボールは溜息を吐き、女神をなだめるように意見を口にした。
「今は無理ですが、今後このダンジョンに対処可能な神具が見つかれば、また攻略のために戻ってくることもできます。それまで一先ず撤退ということで──」
『や~だ~!!』
しかしこの女神は聞き分けがなかった。
『そんなこと言ってたら何時になるか分かんないじゃない! 第一、ダンジョン攻略なんてもともと簡単なもんじゃないのよ。ろくに挑みもしないでホイホイ引いてたんじゃ、何時までたっても神具の回収なんてできやしないわ!』
『…………』
しかも言っていることは意外と的を射ているあたり質が悪い。
三人は困った様子で顔を見合わせる──が、ボールとクーの視線はパーティーのリーダーであり参謀役のウルに注がれていた。
「…………はぁ」
仕方ない、とウルは頭をかいて諦めたように溜息を吐く。
「いったん街に戻ろう。必要なものを整えて再アタックだ」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
駆除プラン①毒団子
「あの手の虫の駆除と言ったら、まずはこれだよね」
そう言って、ウルは街の薬師に頼んで大量に仕入れてきた背負い袋いっぱいの毒団子を地面におろす。
「ワフゥ……」
「これ、クーや。食べたらいかんぞ」
興味深そうに毒団子の臭いを嗅ぐクーを注意しながら、ボールは疑問を口にした。
「確かに毒餌は基本じゃが、これぐらいの量ならあっという間に食い尽くされてしまうのではないか?」
足りないだろう、という疑問に、ウルはニヤリと笑ってみせた。
「そう思うだろ? だけどあの手の虫は仲間の死体を餌にするんだ。薬師の話じゃ、こいつは食べた虫を殺すだけじゃなく、その死体を毒に変えて虫の巣ごと全滅させるんだと」
「ほほう。そりゃまた凶悪じゃな……」
「だろ? 人里近くじゃ大地を汚染する恐れがあるってんで使用を制限されてるらしいんだけど、今回は大分無理を言って分けてもらったんだ」
ウルはダンジョンの入口に視線を向け、
「こいつをダンジョンの中に巻いて一日ほど様子を見る。順当にいけばワンフロア分くらいの虫は駆除できると思うよ」
毒団子をまいた翌日。
──カサカサカサカサカサ
「う~む。毒餌はしっかり食べておるようじゃが、虫の死体もなく、元気に動いとるのう」
「…………」
呆然としていたウルに、女神はあっさりと言う。
『馬鹿ねぇ。虫って言っても魔物よ? そこらで市販されてるような毒が効くわけないじゃない』
「分かってたんなら、やる前に言えよ!」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
プラン②煙攻め
「虫だろうが魔物だろうが生き物であることに変わりはない。呼吸ができなくなれば生きていけないさ」
周囲から集めた大量の草木をダンジョンの入口前に積み上げ、ウルは少し据わった目つきでウヒヒと笑った。少し切れ気味のリーダーにツッコむことなく、ボールはなるほど、と相槌を打つ。
「他の冒険者がおる普通のダンジョンでは使えん方法じゃな」
そこでボールは何か思い出した様子で疑問を口にした。
「ワシも以前、ねぐらに蜂の巣ができた時に同じ手を使ったことがあるが、その時は気絶しただけのやつもおって完全には駆除できておらんかった。とどめを刺すにしても煙が充満した状態じゃとワシらも中に入れんが、そこはどうするんじゃ?」
「ゴーレムを使う」
ウルはそこは抜かりないと頷き、説明を続けた。
「まず煙攻めで虫を殺すか気絶させて地面に落とす。その後、ダンジョン内に煙を充満させたまま、ゴーレムに命じて虫を踏みつぶさせていく」
「なるほどの。ゴーレムなら呼吸は不要じゃし、気絶した虫を踏みつぶすだけなら簡単か」
ボールはウルの説明に納得、彼らは早速枯れ木に火をつけてダンジョンの入口に投げ込み、それを扇いでダンジョンの奥に煙を流し込んでいった。
五分ほど、特に何の反応もなく煙はダンジョン内に吸い込まれていった──が。
──ブゥゥゥゥゥン!!
「何──っ!?」
「何じゃぁぁっ!?
「バフゥゥゥ!!」
羽を肥大化させ高速で飛び回る大量の黒いアレがダンジョンの入口に出現。
そのまま恐ろしい速度でうねるように飛び回り、風を起こし、煙をダンジョンの外へと吹き飛ばしてしまった。
「ンなアホなぁぁぁぁっ!?」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
プラン③火攻め(+物理)
「毒だの煙だの僕が生ぬるかった。あんなクソ虫どもはこの世から完全に焼き尽くして消滅させるべきだ」
完全にキレてしまっているリーダーにを、仲間たちは何も言わずスルーした。
「うむ。それで具体的なプランは?」
「ふふ──これだ!」
そう言ってウルが示したのは、彼が便利な前衛として多用しているゴーレムだった。ただし素材は彼が作れる最上位の「石」ではなく「樫の木」でできたオークゴーレム。
「……ゴーレムは初日で失敗したと思うが」
「まあ焦るな焦るな。このゴーレムに……こいつをぶっかける!」
そう言ってウルが取り出したのは街で購入してきた油の壺。
「油とゴーレム……んん? よく分らんのう。ワシらに分かるように説明してくれ」
「うん。簡単に言うとだ、このゴーレムに油をかけて火をつける」
ウルの説明は簡潔だっだ。
「待て待て。それではゴーレムが燃えるだけじゃないか?」
「だけどゴーレムの素材はかなりしっかりしてるから、そう簡単には燃え尽きない」
そこまで説明されて、ボールにもようやくウルの言わんとするところが分かったようだ。
「……そうか! つまり燃えるゴーレムを突入させて、虫どもを焼き尽くそうというのじゃな?」
「ああ。いくら物量が厄介とは言え、所詮は小虫。火属性を賦与(?)したゴーレムの前には手も足も出ないだろ。一体で焼き尽くせなかったとしても、オークゴーレムならそれなりに数が出せる。虫どもが全滅するまで突入させてやるさ」
凶悪な目つきで「ふっふっふっ」と自信ありげに笑うウル。
『…………』
ボールとクーは何となく結末が見えた気がしたが、ただ生暖かくその様子を見守った。
数分後。
「何でだぁぁぁぁっ!?」
彼らの目の前には、燃え盛る炎をものともせず、オークゴーレムを貪り食らう無数の黒い虫の姿があった。