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ここがずっと、透明

作者: タニシ

いつもよりほんのり過激かもしれないです。


がたんごとん。

音を立てて車体がゆっくり揺れる。その心地よさに目を瞑った。

平日の昼間ということもあり、利用者は少ない。私の他には旅行途中らしき老夫婦と、スーツケースを持ったサラリーマン、首からカメラを下げた青年しか居なかった。驚くことに、この路線の車両は2両しかない。早朝、東京駅から特急に乗り込んでやってきたことを考えると、遠くまできた感覚をじわじわと感じるのだった。

目を開けて窓の外を見た。向こうに山々が見える。てっぺん近くが白く染まっており、雪が積もっているのだと気が付いた。いつだったか、母に「あれが○○岳で…」などと一通り教わった気がするのだが、残念ながら一つも思い出すことができなかった。

私はハンドバッグからペットボトルのお茶を取り出して、口に含んだ。朝売店でホットを購入したのだが、当たり前のように冷え切っている。冷えやすい腹部に思わず手を当てる。カイロでも貼ってくれば良かったかな、とか、無駄なことを考えた。

列車が進んでいく。北に進むにつれて景色も変わっていく。駅に着くたびに扉が開き、冷気が入り込んでくるのが少し煩わしかった。


少しの間寝てしまっていたようで、気が付いた時には車両の中には一人しか居なかった。首からカメラを下げた青年で、席を移動して私の向かいの席に座っている。たぶん、窓の外の景色を撮っていたんだろうなと想像した。ゆったりめのジーンズに、トレーナー、暖かそうなボアジャケットを羽織っている。

目があった。

青年が笑いながらお辞儀をする仕草をする。私もそれに釣られて軽く笑った。

「お姉さん観光ですか?」

どこかほっとしたように青年が訊ねてきた。声をかけるのを躊躇われていたようだ。

「そんなところ」

私は短く答えた。

「荷物全然無いですね」

「実家に帰るの。家に全部あるから、ほとんど手ぶら」

「なるほどね。ミニマリストかと思った」

青年が笑った。

「あなたはどこまで行くの」

特に興味も無かったが、青年に尋ねてみる。

青年は終点駅の名前を口に出した。

「じゃあ、私も一緒だ」

「ほんと?良かったあ」

あまりにも嬉しそうに言うので、私は首を傾げる。

「お姉さんさ、夜暇だったら夕飯一緒にどう?」

私は閉口して、青年を見返した。

「や、別に他意は無いよ。行きつけのお店があってさ。お姉さんがそこに合いそうっていうか、画になりそうだと思って」

青年がカメラを指差す。

「奢り。どう?」

断る理由を探して、私はため息と共に髪をかき上げる。


改札で駅員に切符を手渡す。思ったよりも冷え込んでいる。この町はこんなにも寒かっただろうかと記憶を辿ったが、冬にこの町に来たのはもう15年以上前のことで、あてにならない自身の記憶力に辟易するだけだった。

駅舎を出ると、控えめなイルミネーションが出迎えてくれた。ハロウィンが終わればクリスマス、クリスマスが終われば正月、東京でよく通っていた百円ショップのディスプレイを思い出す。

「サツキさん、こっちこっち」

前を歩いていた青年がこちらを振り返った。私はその後を黙ってついていく。

結局断る理由も思いつかず、いや、考えるのが面倒くさくなったのか、私は青年の「被写体になってほしい」という頼みを叶えるため、青年の行きつけの店へ向かっていた。

「ここからどれくらい?」

「歩いて5分くらい。喋ってればすぐだよ」

「そう」

ろくに荷物の入っていないハンドバッグがやけに重く、私は歩くたびに息を吐いた。ショートブーツがアスファルトをコツコツと鳴らした。青年は私に歩く速度を合わせながら、この町のおすすめのフォトスポットをべらべらと話していた。この付近でフリーのカメラマンをしているのだという。私はそれに対して相槌を打ちながら、こんなにも色々な情報が入ってきているのに、頭の中がずっと透明なままでいることが不思議だった。頭と一緒に、心臓も。

そうなんだ。へえ。すごいね。そっかあ。ふーん。


言われた通り5分ほど歩き、青年が案内してくれたのは洒落たバーだった。大きな通りから一本脇道に入ったところで、あまり宣伝もしていないので客も少なく、落ち着ける雰囲気なのだという。店に入ると、右側にテーブル席が二つ、左手にカウンターがあり、俳優のように綺麗な顔をした店主が、「いらっしゃいませ」と笑いかけてくれた。私と青年はカウンターに座った。

「サツキさんお酒は?」

「強くはないかな。飲めはするけど」

「そっか。じゃあ、そんな人におすすめのものを」

青年が店主に手を挙げる。

「俺は烏龍茶で」

「飲まないの?」

「常に頭パーなのに、飲んだら馬鹿がバレちゃう」

「こいつ、ちょっと頭弱そうでしょ?」

店主が口を開いた。

「軽薄な感じはします」

私は正直に言う。その言葉に店主が吹き出した。

「飲んだら逆に真面目になるの。面白いでしょ。どっちが素なんだか」

「やめて、暴露しないで」

「どうせ今日のも、どっかでナンパでもしてきたんだろ。そんで、あとで後悔する」

「それ以上言ったらレビューに低評価つけるから」

青年はスマートホンを取り出して店主に見せつけた。

店主は両手をあげる。降参のポーズ。

飲まないのに行きつけなのか、と不思議に思いながらも、店主がちょうど出してくれたカクテルを口に含んだ。さっぱりしていて飲みやすい。

「あ、そこで止まって」

顔を右に向けると青年がカメラを構えている。ああ、そういえばそういう話なのだった。

青年はカメラをいじってはシャッターを切って、店内を自由に動き回る。私は青年の指示のまま止まったり動いたりした。

「あ、いいよ動いて」

満足したのか、青年がカメラを下ろす。


「サツキさんさ、明日も暇?」

しばらく談笑していて気分が落ち着いてきた頃、青年が口を開いた。

私はしばらく無言になる。

言葉が出てこない。

そんな私の様子を見て、青年が焦ったように言う。

「俺明日、川に行くの。写真を撮りに。電車で行くつもりだけど、切符代払うし。どう?」

私は幼少期の頃の場面を思い出していた。母親と一緒に河川敷に行ったこと。あれは、確か夏だった。爽やかな風が吹いていた。太陽の光が反射して、水面がキラキラと輝いていた。


翌朝、青年が駅舎の前で私を待っていた。私を見つけると、ぶんぶんと手を振る。犬みたいだ、と思った。

ここから北に向かって3駅。また車内は私と青年だけだった。平日というのもあるだろうが、こうなってくると鉄道会社の経営が不安になってくる。

がたんごとん。列車が揺れる。車内アナウンスが入り、目的地の駅にもうすぐ着くということを教えてくれた。

「ワンマン列車だから、一番前まで行かないと」

青年が席を立つ。

私もそれに倣って席を立った。

列車を降り、コートのポケットに手を突っ込んで、青年の後ろを歩く。スヌードに顔を埋めた。耳がヒリヒリする。

音が大きくなっていく。

やがて川岸近くに着いた。

まとまりになった水の塊が、岩にぶつかって水飛沫をあげながら下流へと流れていく。

生きているみたいだ、と思った。

水の形をした生き物が、動いているみたい。

青年がカメラを構える。

あちこち動きながらシャッターを切る。

私はしゃがんで川の水の中に手を入れる。想像していたよりもずっと冷たかった。

「近くに良いスポットがあるんだ」

青年は右方向を指差した。確かに、橋が見える。

そこで、過去の記憶がフラッシュバックする。母親と来たのはこの場所だったのだ。

橋の先の方まで歩いていく。

「こっち向いて」

振り向いた瞬間、青年がシャッターボタンを押す。

「西洋の絵画みたい」

青年が写真を確認して呟いた。


「サツキさん、明日さ」

私は青年を見つめる。見つめているつもりだが、青年を形どっている輪郭はぼやけていた。完成した絵画を絵の具で上からぐちゃぐちゃにかき混ぜられたような、変な違和感があった。

いつまで、こんなことをするつもりなのだろうか。

無人駅の待合室で、電車を待っていた。1時間に1本あれば良いくらいの本数で、次の電車は40分後だった。

「明日は、寺に行くんだけど」

「行かない」

私は青年の言葉を遮った。

「もう良いでしょ。放っておいて」

声を荒げないように、気を付けながら静かに声に出した。

青年は私の顔をまじまじと見つめる。かと思えば、カメラをいじって上を向いたり下を向いたりしていた。

「でもさ、」

ようやく絞り出したような声で、青年が私の顔を見た。


「だって、放っておいたらサツキさん死んじゃうじゃん」


私は、ああ、やっぱり、と唇を噛んだ。

彼は知っていたのだ。


彼は一つ一つ言葉を選びながら、話し出した。

「最初に会った電車の中。サツキさん途中で寝ちゃったでしょ。ハンドバッグ落としたんだよ。チャック開いてた。親切のつもりで中身拾おうとしたんだけど。財布が一つ、ペットボトルが一つ。それから未開封の包丁と、白い封筒。あの長時間の乗車で、スマートホンを持っている素振りも無し。着ている服とか、身だしなみ気を付けていそうなのに、昨日と同じ服。昨日帰り際、実家に帰るって行ってたけど、たぶん帰ってないよね」

私は黙って彼の話を聞いていた。もうずっと寝不足だったとはいえ、随分迂闊なことをしたものだ。

「まあ、封筒の中身はさすがに読んでないし、ただの勘だけど。きっと訳ありなんだろうなとは思った」

「……」

「本当は不安だったんだ。約束はしたけど、来なかったらどうしよう。サツキさんの”予定”が”今日”だったらどうしようって」

「偽善だね」

私は吐き捨てた。彼の眉が動く。

「なんの関係もないあなたにそんなことを心配される筋合いはない」

「まあ、確かに」

「あなたに、私のことをどうにかする権利はない」

「そりゃそうかもだけど」

「世の中自分の思った通りになんていかない。あなたは自分のことをヒーローか何かだと思っているのかもしれないけど、現実はそうもいかない。あなたは私を救えないし、私はそんなこと望んでない」

「うん、まあ、そうだね」

彼は横を向いた。ここまで言えば十分だろう。私は床に視線を落とした。

しばらくして、

「じゃあさ、」

青年がこちらに向き直る。


「俺、あんたの亡骸写真に撮って作品にしちゃうけど、良い?」


思考が止まる。何を……何を言って。

「なに、言ってるの」

「そういう写真、撮ってみたかったんだよね。ちょうど良かった」

「ふざけないで、やめて」

「死んだ後のことなんか気にするの?どうせ死ぬのに?」

「あなたにそんな度胸ないでしょ!」

そう叫んだ瞬間、彼は私の首に手をかけた。体が後方に倒れる。ぶら下がったカメラのボディが顎に当たった。指が食い込み、私は目を見開いて必死に抵抗する。息が吸えない。

「人を見かけで判断し過ぎ」

カジュアルな格好をした彼は、ぞっとするほど冷たい目をしていた。指に力が入る。頭に血が昇っていく。涙が滲んだ。喉が閉じる。息が吸えない。私は焦りでパニックになっていた。両手で彼の手首をバタバタと叩く。彼に涙目で訴えた。

わかった。わかったから。もうやめて。


「悪かったよ。冷静じゃなかった」

咳き込む私の背中に、彼が呟いた。

「俺の父親が、あんたと同じ顔をして死んでいった。もうたくさんなんだよ。せめて俺が見てないところで死んで。俺はあんたのこと追いかけ回すけど」

「……滅茶苦茶なことを言ってる自覚ある?」

掠れた声で尋ねた。

「人なんて大体滅茶苦茶だよ。体裁とか世間体っていう皮を被ってるだけ」

私は後悔していた。こんな狂った内面を持った青年に目をつけられてしまったことを。何の危機感も抱かずに、ほいほいとついていってしまったことを。きっと跡が残っているだろう、私は首を2本の指でさすった。何が冷静じゃなかっただ。彼はずっと冷静だった。こんなことができる彼は、本気なのだ。本気で私を死なせないつもりだ。

私は諦めかけていた。


「なんで、この町を選んだの」

彼が私に尋ねた。

「母が最後に笑っていたのがこの町だったから。私もあなたと一緒」


母方の実家があるこの町には、長期休みの度に帰省していた。東京から特急に乗って、母と一緒に駅弁を食べて、移り変わる窓の景色に想いを馳せていた。

祖父母は早くに亡くなり、帰省の目的は、母が生まれ育った生家の管理と、人混みが苦手な母にとっての束の間のリフレッシュ休暇だった。

最後に訪れたのは中学3年生の時。記憶の中では、この町にいる母はいつも笑っていた。愛おしそうに私の頭を撫でたり、優しい声をかけたり、物欲しそうに見つめていたお土産物を買ってくれたりした。

それが母の笑顔を見た最後。


「母は都内の化粧品会社で死に物狂いで働いてた。私を生かすために必死だった。ある時、店舗内でトラブルが発生して、母のことをよく思って無かった数人が、母のことを嵌めて責任を全部押し付けた」

優しくて、明るかった母親は人間不信になり、最初こそ気丈に振る舞っていたものの、じわじわと精神を病んでいった。人が地獄に落ちるのはこんなにも簡単なことなのだと、15歳の頃の私は悟った。

それから15年。色々なものを諦めて、働きながら母の介護をした。症状はちっとも良くならないばかりか、悪化していった。病院を4つ変え、薬を増やし、昔の母の笑顔をもう一度見たい一心で、私は動き続けた。

そんな母は、この春にこの世を去った。自らの手で人生を閉じた。傍には私への手紙と、通帳と、二人で撮った写真が何枚か。

私はその時、ほっとしてしまった。


今から思えば、私もとっくに限界だったのだと思う。

母が亡くなってしばらくして、私は一人で外食に行った。高級なレストランなどではなく、近くのファストフード店だった。

一人でハンバーガーを食べた。食べていくうちに涙が溢れて止まらなくなった。

声を漏らさないように一人で泣いていた。

そのあとデパートに行って、化粧品を買った。服屋にも行った。美容院にも行った。

付録付きの雑誌を買った。一粒百円のチョコレートを買った。有名なモデルが持っていたバッグを買った。

そしてアパートに帰り、両手いっぱいの買い物袋を見て、やっぱり一人で泣いた。

夏が過ぎたら死のうと思って結局死ねず、

秋が来たから死のうと思って結局死ねなかった。

ハンドバッグには、夏に買った未開封の包丁がずっと潜んでいた。

私は退路を断とうとして、母と住んでいたアパートを引き払った。


「でも結局死ねなかった。私はずっと中途半端のまま」

私は呟いた。誰にも話していなかった胸の内を話す気になったのは、きっと諦めがついたからだ。色々なものに。

彼は私の話を黙って聞いていた。

「良かった。今まで生きていてくれて」

私は訝しげに彼を見る。

「今更そんな前向きなセリフ吐かれても。あなたの本性、知っちゃったし」

「普通に本心だけど?良い被写体にたまたま出会えたんだから、そりゃあラッキーでしょ」

サイコパス、と心の中で呟く。

待合室の中にアナウンスが流れた。

「電車来たね。さ、行こう」

彼が待合室の引き戸をガラガラと開けた。

「そうだ、本当の名前教えて?サツキって、たぶん本名じゃ無いでしょ」

私は無言になる。ため息をつくしかなかった。

「理佳。藤堂理佳」

もうやけくそだった。どうにでもなれ。

彼はそれを聞くと、心底嬉しそうに笑った。この笑顔に騙される人は多いだろうな。

「前島翔也です、改めてよろしく」

電車に乗り込む。

二人でボックス席に座った。

「じゃあ、理佳さん。明日なんだけど」

彼が笑いかけてくる。これまでと同じように。

私はその声に思わず笑ってしまった。


良いか。今じゃなくても。


窓の景色を見つめる。

綺麗だったけど、どこか歪んでいる気がした。

私の心臓みたいだ。

歪んだビー玉みたいだと思った。

私の心臓は相変わらず透明だった。


心臓が色づくとすれば、それはきっと、ずっと先の話。


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