『浦島太郎アフター』
モクモク、と。
あたりには白いモヤが広がった。
「まさか……こんなことが、俺、おじいちゃんになてるぅううぅぅ!」
驚愕する。
「うおっ、すげっ、あ、やべ、腰がいてえ! 手ぇめっちゃヨボヨボ。何歳くらいなんだろ?」
騒ぐ。
「こんにちは、いま浜辺にいるのは危ないです。移動を願います」
「ん? なんだ?」
「僕は警察官の工藤です」
桜代紋の黒い手帳を開いて中を見せて、身分を証明した。
「もうすぐ満潮時刻です。潮が満ちてきますから、波も高いですし。おじいさん、お家どこですか? 帰れますか?」
そんな問いかけをされて、男は遠い眼で空を見上げた。
「家、か。そんなモノ、もう残っていない……。共に暮らしていた母も、心通わせた友達も。すべては遙かなる時のむこうに消えてしまった」
物憂げな表情だった。
「なるほど、中二病なんですね。お年ですし、そろそろご卒業された方がいいのではないかと……」
「この見ため年齢なら、まず認知症を疑うべきじゃないか?!」
鋭いツッコミだった。
「説明するから、きいておくれ」
「どうぞ」
「この浜で、助けたカメに、連れられて、海を進んで、竜宮城へ」
「ふむふむ」
「もてなされ、帰ってきたら、おじいちゃん」
「なるほど。そうだったんですか」
理解された。
「伝わってよかった。――そんなわけで、俺、行くところがないんだ」
「なるほどなぁ。年金とか未納でしょうし支給されないでしょうね……」
「いま俺、打ちひしがれているから追い打ちやめてくれないか?」
「んー。でも、この話の元凶は、そのカメさんじゃないですか?」
「ん?」
「ちょっと僕、そのカメさん、捜索してみます」
その場を離れた。
この場に戻ってきた。
「いました」
「はやっ!」
「満潮が近いですし波も高い。海底に戻るには潮が落ち着いてからの方がいい。まだその辺にいるのではないかと思って探したら案の定でした」
「有能すぎるっ!」
「それで、こちらのカメの方で間違いないでしょうか?」
「ちょっ! なんやのっ! いきなりつれてきて……ん? 太郎はん? さっきぶりですねぇ。元気にしとりましたか?」
甲羅をつけて騒ぐ彼女がやってきた。
「……はい。このカメで間違いないです」
頷いた。
「それでカメさん。こちらのお年を召された方、箱を開けたら急に老けてしまったと申されているんですが……」
「そんなこと言われても、仕方ないですやん。約束を破って開けてしまうのが悪いんですわ」
「危険物だと知って渡すのは、過失致死傷罪に問われる場合がありますよ」
「え? かちつしししょうざい? いやいや知らへんですよ。そもそも、それを太郎さんに渡したのは乙姫はんです。うちは関係あらへんのです」
論ずる警官とカメ。
「いや、そもそも、カメを罪に問えるのか……?」
カメと警官のやり取りを聞いて、じいさんは唖然としていた。
「ともかくカメさん。こちらの方、元の年齢に戻してもらうことできますか? 腰が痛くて、移動がままならないそうなんです」
「それはムリや」
「どうしてですか?」
「あの玉手箱の中には、太郎はんが竜宮城で過ごした『時間』が封印されとったんや。そして、それは正しく本人に帰るべきもん。なかったことにはできへん。したらあかん」
「時の歩みを、なかったことにはしてはいけない、とのことですね。ごもっともです。タイムパラドックスが起きてしまうかもしれませんもんね。――しかし、3日間で何十歳も老けてしまうのは、かわいそうではないですか?」
「かわいそうやなんて感情論で、世界は変わらへんのですよ」
亀が正論を唱えた。
「もう太郎はんは歳をとってもうた。元に戻すことはできへんのです!」
「そうですか……どうしましょうか、こういう場合。……示談金ですか?」
「カネかいっ?!」
亀がツッコミした。
「いや、うち、お金もっとらんよ? カメやし」
「じゃあ身体で払ってもらうしかないじゃないですか?」
「ちょっ! あんた身体て! あかんわ。問題発言」
赤い顔して身を守る動作をした。
「スープにして食べてもらうということで」
「あかんやろ。別の問題になるわ」
きついツッコミだった。
「もう、いい」
じいさんが2人の言葉を止めた。
「もういい……もう、覚悟はできている……」
悲壮感が漂っていた。
「俺は、あの時、カメに誘われ竜宮城へ行った後、すぐに帰らなかった。家族を残しておきながら……。3日間も遊んでいたロクデナシ。当然の報いだ」
後悔を噛みしめる。
「昼間から海岸を歩いていたのも、いい年にもかかわらず、ろくな仕事もせず、家に居るのが辛かったからだ。それにもう家族にも、友達にも会うことはできない。……もういい。もういいんだ」
青から赤に変わりゆく空へと視線を飛ばした。
涙をこらえるように。
「いいえ。すべてを諦めるのはまだ早いです。浦島太郎!」
キリッ、とはっきりした女子の声だった。
その場の3名が振り返る。
「あ。」
「あなたは?」
「ん? だれや?」
黒髪の三つ編み眼鏡の人物が、そこにいた。
「竜宮城で遊び呆けていたとしても――いきなり何十歳も老けこむのはおかしい!」
三つ編み眼鏡がまだ語る。
「そもそも、急に年を取り老いるなんて聞いたことがない。数日で老けこむ事はあっても、いきなりなんて、エイジング効果高すぎです」
「でも、そういうはなし、よくあらへん? 宇宙から帰ってきたら何千年も経っとったとか……」
乱入者に亀がごまかすように反論した。
「宇宙船の超高速移動によるウラシマ効果のことですね。超光速で動くことで時間の流れが遅くなるという……相対性理論の……。実際、未知の海底・竜宮城で過ごしたのなら、体感時間3日で、地上では何年も時が過ぎる事もあるかも……」
「せやろ?」
うんうん、と亀が頷いた。
「でもそれは、逆です。それならば浦島太郎は年を取らない。実際に体感した時間は3日間だけなのだから。――つまり浦島太郎が年老いたのは、竜宮城で過ごしたことが原因じゃない! 『急に年を取り老いる現象』には、別のカラクリがある!」
「っ?!」
「っ!!」
「……別の原因? 俺の老化は竜宮城にいたことが原因じゃない、と?」
「私はそのように、にらんでいます」
三つ編み眼鏡は、言い切った。
「まあ、原因は玉手箱なんですけどね……」
警官が切り返した。
「そうですが物理的原因だけではありません。心的な原因――心的要因、因縁とも言うべきものです」
「心的要因……?」
警官が繰り返した。
「……因縁やて?」
カメも繰り返した。
「そもそも、そこのカメ! ……さん?」
喋る亀に敬称をつけるべきか迷ったのだろう。
「あなたは、浦島太郎に子供にいじめられているところを助けられて、お礼に自宅に招待――もとい竜宮城に連れて行った。まあ、わかります。理解できます。そこまでは――」
「そこまでは?」
「――その後、『その亀の主である乙姫』が、浦島太郎を接待する理由、3日間もお世話をする義理も理由もない。ペットの亀を助けたくらいで」
「たしかに恩返しが過剰ですよね。ペナルティも過剰ですけど」
「はい、私の考察では――」
「考察?!」
指を差す。
「そちらのカメさんの正体は――『乙姫』です!」
三つ編み眼鏡は堂々と言い放つ。
「ええっ!? なんだって!」
「な、なんと?! まさかっ!」
「…………」
警官とじいさんが驚く中、甲羅をつけた人物は黙っている。
「そう考えれば納得がいきます。つまり浦島太郎を竜宮城に連れてゆき、もてなした、その理由は――」
「――『自分の恩』を返すため?!」
「ええ、そのとおり! 浜でいじめられ助けられたのは、カメさんではなく、乙姫本人だったのです。――そう考えれば、納得がいきますし、辻褄も合います」
「まさか、本当に……カメ、あんた……乙姫、なのか?!」
驚く一行の視線が、甲羅の人物に集まる。
すこし考えるような表情のカメ。
彼女が動いた。
「……ふう。気づくの遅すぎやで。浦島太郎はん」
甲羅が外れた。
彼女は身軽になった。そして首を振って綺麗な黒い髪を揺らし、笑った。
「乙姫っ!!」
じいさんが驚く。
「まさか、本当に……」
警官も驚く。
「ビックリ、仰天、玉手箱! ……いや、すみません。言ってみたかっただけです」
三つ編み眼鏡がキメゼリフのようにカッコつけた。が、やはり空気にそぐわなかったようなので謝った。
「なぜだ乙姫! なぜ、こんな事をっ……?!」
「…………」
無言の乙姫。
その心を見透かしたように――
「そんなの、決まっていますよ」
――三つ編み眼鏡の考察が弾む。
「カメ――もとい乙姫は、浜辺でいじめられているところを助けてもらった。その存在は、自分を救ってくれた王子様のように思えたことでしょう。つまり、彼女は浦島太郎のことを好きに――」
「ちょちょちょま! ちょっとまってい! そんなことあるワケないやろっ!!」
「え?!」驚く三つ編み眼鏡。
「べ、別に好きとかやないっ! うちはただ、まあ助けてもろたしメシくらい奢ってやるかなー、くらいのかるーい気持ちで竜宮城へ連れてったんや! まあ、恩人やし。そんだけや。――他意は無いっ!」
乙姫は必死に弁明した。
「なんだろう、このツンデレ設定……」
刑事があきれていた。
「そうだったのかっ!」
じいさんは天然を発揮して納得した。
「せや。その女が言うたとおり。浦島太郎はんが竜宮城で過ごした『時間』が封印されとるちゅう話しは、嘘や。うちの誘いを断って帰るちゅう浦島太郎はんに、罰を与えたんや!」
「なるほど。では別に太郎さんが竜宮城で過ごした『時間』が封印されている、とかではなく、ただ単純にムカついたからやったと?」
警官が事情を尋ねた。
「そうやっ! この浜辺に浦島太郎はんを送迎してきたのも、ちょっとでも一緒にいたかった、とかいう理由やなくて、うちが『もうちょっと竜宮城におったらええんやない?』て言うてるのに『帰る』いうから、人のコウイを無駄に――好意って好きって意味ちゃうで、思いやりの方の意味やで!――厚意を無駄にして帰る言うから……玉手箱でヨボヨボになったとこ見たろと思て来ただけや!」
乙姫が熱く語る。オーバーヒート。捲し立てる。
「乙姫さんヤンデレが過ぎます」
「うっさいわ! 別にデレとかちゃうから! ホンマにっ!」
今までで一番必死だった。
「なるほど。コレ、ひっぱれますね?」
警察官が提案した。
「えっ!? ひっぱる?」
「逮捕しましょう」
「ええっ!?」
「さっきまではカメだったので逮捕は難しかったんですが、ヒトの法律をカメに適用するのはどうかと思っていたんですが、カメではなく乙姫――ヒト科の方でしたので逮捕することが可能です。署までご同行を願えますか?」
「ちょ、ちょっと待ってや。うち、そんな悪いことしとる?」
「傷害罪ですね。証拠あります。自白です。――あと誘拐罪、監禁罪も適用される可能性があります。『3日間』か『数十年』かで、罪の重さは変わりますけれど」
「ちょっ、ウソやん!」
乙姫が愕然とした。
「待ってくれ」
じいさんが止めた。
「ん? どうしましたか?」
「その罪、なかったことにはできないか?」
「どうしてですか? あなたは被害者ですが?」
警察官の問い。
「そうや! なぜ、うちをかばう! 理由を答えろ浦島太郎ぉっ!!」
そして乙姫も問う。
じいさんは、堂々と応えた。
「惚れた女が困っているのを捨て置くことなぞできない。――例えジジイになっても、俺は男だ」
「うっ……うらしま、たろうっ!!」
乙姫は、愛憎入り混じる悩ましげな表情だった。
「なるほど。そういうことですか……」
「ああ、それ以外の理由が必要か?」
「いいえ。最高の理由です」
警察官が笑みを浮かべた。
「では、監禁罪は被害者が許した場合、罪に問わないことが多いので大丈夫でしょう。先程の発言は、傷害の自白になりますが……まあ、聞かなかったことにしましょうか」
「ああ、助かる」
「いえ」
警官は敬礼した。
じいさんと警察官は視線を交わし、理解し合った。
「ところで、そっちの女、誰なん?」
乙姫が問う。
「えっ! ――そ、それは、……」
乱入者――三つ編み眼鏡がうろたえる。
「大丈夫。その正体は、もうわかっている」
まさかのじいさんが質問に応じた。
「え!」乙姫も。
「え?!」警官も。
「ええっ!!」三つ編み眼鏡も。
全員がびっくり。
じいさん語る。
「彼女は始めから俺が『浦島太郎』であると知っていた。誰もそんなことは言っていない。せいぜい太郎くらいしか聞いていないはずだ。こんなにも年老いて変わってしまった俺を見抜ける人物なんて――この地球上に、ただ1人しかいない」
「……え?」
「……だれや?」
警官と乙姫はまだわからない。
「そうだろう。――母さん」
「ちょっ! ええええええぇぇぇえええぇぇ!」
「ああ、なるほど。たしかに……」
驚く乙姫と納得した警官である。
「…………ふっ」
沈黙の三つ編み眼鏡が、笑った。
「よくわかりましたね。――――我が息子よ」
「ちょっ! マジか! なんやのこの展開?」
乙姫は驚くばかりである。
「ああ、思えば面影がある。たしかに母さんだ。…………生きていて、よかった」
男は涙ぐむ。
「ええ、ひさしぶりね。我が息子」
三つ編み眼鏡の少女は頬笑みをむける。
「え、ウソやん!」
「本当です。証拠の1つとして、息子の本名が『浦島・太郎』ではなくて『浦・島太郎』であることも知っています」
「ええっ!? せやったん?! でもたしかに『浦島さん』はあんまり聞かんけど『浦さん』やったら知り合いにおるなぁ……」
乙姫納得。
「うーん。でも、ちょっと若すぎる気がしますが、そこのところはどうなんですか?」
「……ええ、実は、アンチエイジングに成功しまして、ね」
「若返り過ぎではないですか?!」
警官納得。
「そうか、それはよかった。人生の最期に、愛しの家族に出会えて、よかった。もう、人生に悔いはない……」
「……あの、島太郎さん」
「どうしました?」
「お母さまから、アンチエイジングの方法をご教授いただけばよろしいのではないですか?」
そこには若々しい母がいた。
オチがついた。