水の星へ愛をこめて(4)
先輩はJR通学とのことで、最寄りの駅まで送っていくことになった。
最寄り駅は、新町北高生も大勢が利用している。県内としてはそれなりの利用者を抱える駅なのだが、そこは地方の悲しさ。18時になると窓口も閉まり無人駅となる。以前は駅内に小型売店もあったそうだが、利用者数の減少で撤退してしまった。年季の入った椅子だけが、待合室の中で物悲しくも存在感を放っている。
もっとも、駅舎と駐輪場があるだけでマシかもしれない。もう3駅も北に行けばベンチと簡易の屋根だけというバス停もどきの無人駅ばかりだ。
駅舎の入り口前で別れを伝えようとしたとき、先輩ははっとしたように振り向いた。
「――名前」
「えっ」
一瞬なんのことか分からず惚けた声が出た。
「君の、名前。聞くの忘れてたよ。せっかくここまで案内してもらったのに。というか私、自己紹介してなかったね。ごめんなさい」
「あ、あぁ……そういえば。すみません、こちらこそ」
なぜ気づかなかったんだろう。部室前で約束した時からまるでそのことに頭が向かなかった。
「藤崎望。2年7組です」
「菊池です……菊池透也。1年4組」
「菊池先生。今日はありがとう」
悪戯っぽく言う彼女に僕は赤面した。
「いや――先生だなんて」
「そっか。そういえば現代文の菊池先生と紛らわしいね……」
「いやいやそういうことじゃなくて」
意外と天然なのか、それとも軽くからかっているのか、真剣な表情で少々ズレたこと言う先輩に僕はツッコミを入れた。
「それじゃよろしく――透也くん」
駅舎の明かりを逆光にしつつも先輩がはっきりと微笑むのが分かって、全身が熱くなった。恥ずかしながら、これまでの人生で二回りより下の女性から下の名前で呼ばれた記憶がない。
「あ、それとさ」
少しばかり真面目な表情になった彼女が、僕をまっすぐに見据えた。
「透也くんは、どうして星を見るのが好きなの?」
どうして、星を――
そんなこと、はっきりと考えたことなかった。
きっかけは思い浮かばないこともない。親が買い与えてくれた自然図鑑、連れて行ってくれたプラネタリウム、宇宙を舞台にしたSFアニメ。どれも幼少の頃、今の自分を形作った礎だ。
だがどれも決定的なものではないし、何を挙げても説得力に欠ける気がした。
ふと、ある言葉が浮かんだ。それをそのまま口にする。
「――足元ばかり見ちゃダメだって」
「え?」
呟いた僕にきょとんとした表情をする彼女。
「スティーブン・ホーキングという科学者がいたんです。若くしてALSという不治の難病を患いながら、量子宇宙論やブラックホールの論文で世界的名声を得た『車椅子の物理学者』なんです」
先輩はじっと僕を見ている。
「その偉大なホーキング博士の台詞です。『足元ばかり見ずに、星を見上げなさい』って」
「難病の、科学者……」
ゆっくりと反芻するように先輩は言う。
「そっか。そんなハンデを乗り越えた人が言うからには――きっとそうなんだろうね」
先輩は空を見上げた。水星は周囲の建物に遮られて見えないが、暗さを増した夜空には既に無数の恒星が輝き始めている。
良かったんだろうか、こんな答えで。そもそも答えになっていない気がするし、単なる権威主義のような――
「すごく納得したよ」
先輩が振り向いた。
遠くで踏切警報機の鳴る音が響く。続いて列車が近づいてくる音がした。どうやら、タイミングよく帰りの便が来たようだ。
「また、案内してね。それじゃ」