君を見つめて(2)
「手術は……成功というか、バイパスをつくることはできたよ。ただ、視神経の損傷はだいぶ進んでたみたいでね」
「それは……」
その先の言葉を躊躇う僕に代わって、先輩は静かに口を開いた。
「左目は、ぼやけてほとんど見えないの」
僕は言葉を失って、目の前の先輩の瞳を見た。
緑内障の手術は視力を回復させるものではない。それはあらかじめ聞いていたことだ。だが改めて聞かされると、落胆と失望、そして悲しみで心が抉られる気持ちになった。
先輩の左目からは、視界が消えたのだ。おそらく、永遠に。
「残念です……でも、右目は無事だったんですよね。不幸中の幸いというか」
慰めの言葉など今の先輩にどれほど意味があるか分からない。それでも精一杯の言葉を紡ぐ。
だが――
「あ……うん――それなんだけど」
先輩の顔が険しくなる。嫌な予感がした。
「実はね、右目の眼圧もじわじわ上がってて。今、薬をずっと使ってるの」
「えっ――」
一番聞きたくないことが、先輩の口から零れた気がした。
「もし、このまま下がらなかったら、右目も手術しないといけないかも」
「そんな……」
左目に続いて右目までとなれば、それはすなわち全盲ということになる。完全な暗闇の世界。
いつかその日が来るまで――そんな呑気に構えていた自分が恨めしい。10数年、最低でも成人するまでは大丈夫だろう――そんな根拠のない自信が無意識にあった。
甘かった。先輩には、思っていたよりもずっと時間が無かったのだ。
「大丈夫。先生も一時的なものだろうって言ってくれたし。きっとね」
微笑んで平静を装っているが、明らかに声が震えている。
「僕に、何か出来ることはないですか」
僕も声が上ずりそうになるのを必死にこらえて尋ねる。
「そうだね……一緒に祈って。どうか、私の右目だけはってね」
「はい……」
どちらからともなく、僕たちはお互い手を差し出した。指を絡めて、ただ見つめ合う。
先輩の左目には、もう僕の姿は映っていない。残された右目の視野に、今の僕はどんな風に見えているのだろうか。どうか頼りない一介の後輩ではなく、傍で支える心丈夫なパートナーであって欲しい。たとえ1ミリであっても、不安を除いてあげたい。
「退院したら、アルくんに報告に行かなきゃね」
「はい。あいつもきっと心配してますよ。先輩のこと好きそうでしたし」
先輩が僕の自宅を訪れた際には、僕よりも気に入っていた風だった。成長した姿を、先輩に見てもらいたい。
「そうだ。もう一度あの美術館行こう。まだ見れてない作品もいっぱいあるし」
「美術館だけじゃないです。先輩は西洋史が好きだって言ってましたよね。本物を見に海外にも行きましょう。先輩の……卒業記念に」
「そうだね。4月になったら3年生かぁ。透也くんも、いよいよ後輩が出来るんだよね」
「部活の後輩が出来る前に、部はなくなっちゃいますけどね」
「もう一度天文部を設立したら?既存の部は廃部でも、新規設立はお咎めなしだったりするかもよ。私も部員数に数えて」
「すごい屁理屈ですね。でも案外通ったりして」
お互いにくすりと笑う。何気ない会話が愛おしい。ずっと、こうやって話していたい。
「……退院したら、連絡するよ。必ず」
「待ってます」
最後に、小指で指切りをする。指切りげんまん――いつ以来だろうか。
神様でも悪魔でも運命でも何でもいい。彼女の視界を、これ以上奪わないで欲しい。
痛切にそう願った。




