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彼女の視る宇宙(そら)  作者: 藍原圭
第三章
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Fields of hope(5)

 海浜公園に到着すると、海を見渡せる展望広場へ向かった。

 時間が時間だけに、僕たち以外には誰もいない。あるいは夏ならアベックの1組や2組いるのかもしれないが、この季節だ。好き好んで近寄らないだろう。


 この海浜公園は月をモチーフにしており、立待月、居待月といった名前の広場がいくつもあるのだが、今宵は月もなく、星の光だけが怖いほどに激しく瞬いている。

 波打ち際からは、寄せては返す波濤の音が絶え間なく響いてくる。


 「夜の海辺って、こんな感じなんだね」

 先輩の言葉に僕も頷く。暗闇に響く波の音というのは想像以上に怖い。波打ち際にいるわけではないのに、ややもすると引き込まれそうになる。もし自分一人だったら、すぐにこの場から立ち去っただろう。

 でも今は隣に先輩がいる。今日、まさにこの時を迎えるための使命感。それが心の恐れを跳ね除ける。


 先輩がストールに顔をうずめた。1日の中で最も寒い時間帯だ。気温は氷点下近くまで下がっているだろうか。今夜は風が弱いのが救いだ。

「向こうでいいの?」

 先輩は北東の水平線を指さした。

「はい。ずっとあちらを眺めててください。あと――」

 僕は先輩の方を向いた。

「先輩のお願いを、届ける準備をしててください」

「あ、うん」


 先輩が若干困惑気味に頷く。一体何が現れるのか、期待と不安の混ざった様子だ。

 僕は腕時計を見た。夜光機能により朧気に見える長針と短針が、暗闇の中、まもなくであることを告げている。

 3、2、1――

「あ――」


 光が、遙か北北東の水平線の上空に現れた。すぐにそれと分かった。間違いない。

 そのまま、明るさを増して、ゆっくりと南西へ夜空を滑るように横切っていく。

 思っていた以上に明るい。1等星はおろか、-2等星の木星を超えようかという程の輝きだ。今、空にあるどの星よりも燦然と光を放っている。


「え、何。何あれ……」

 病に侵されつつある先輩の瞳にも、その輝きはしっかりと見えているようだ。

「飛行機――いや、まさかUFO?」

 飛行機ではないことは明白だ。いっさい明滅しないし、飛行音も聞こえない。そもそも早朝のこの時間帯に飛んでいるはずがない。未確認飛行物体と思ってしまうのも無理はないだろう。


「さ、先輩。お願いを」

 だが先輩は構わず、僕の襟を掴む勢いで聞いてきた。

「あれって、一体」

「『きぼう』です」

「希望……?」

 そう。先輩の名も冠している「希望」だ。


「ISS――国際宇宙ステーションです。時速2万8000キロで、僕たちの上空高度400キロをああやって回り続けているんです。『きぼう』はその国際宇宙ステーションを構成する日本の実験棟ですよ」

「宇宙ステーション……こんな明るく見えるんだね」

「はい。今、遙か上空ではちょうど朝を迎えて日の出の光を浴びているんです」


 国際宇宙ステーションは上空を廻り続けているが、いつでも地上から見られる訳ではない。上空近郊を通過し、宇宙ステーションに直接太陽の光が当たり、かつ地上ではまだ暗い早朝か日没後に限られる。昼間は空が明るすぎて、少なくとも肉眼では見えない。

 日本中どこでも、見ることのできるチャンスは月に幾度も到来するが、高度が低かったり雲に覆われたりで良い条件に恵まれることは少ない。

 先輩の誕生日にちょうど上空通過が重なり、かつ晴れたのは偶然以外の何物でもない。神様のちょっとした計らいかもしれない。


「希望は、常にあるんです。未来と宇宙への架け橋になる場所。それが僕たちを見守ってくれてる」

「……」

 空の一点を見つめている先輩の顔は、暗闇でよく見えない。今、どんな表情をしているだろうか。

「先輩の『望』という名前は、きっとご両親もそれを託してつけたんだと思います。だから、自分を呪わないで……どうか――『希望』を捨てないで下さい」

「そうだね……」


 彼女が手を合わせて、目を閉じた。祈っている。

 どんな願いを、心中で捧げているのだろう。

 やがて、宇宙ステーションはすっと暗くなってそのまま消えていった。地球の影に入ってああして消えるのも、宇宙ステーションの見え方の特徴だ。

 だが、いずこともなく消え去った訳ではない。いずれ役目を終える日までは、ずっと上空を回り続けるのだから。


 僕は鞄を開けると、目を開けた先輩に、そっと包みを渡した。

「お誕生日、おめでとうございます。ちょっと早いですがホワイトデーも兼ねて。こちらはおまけですけど」

 中身は市内の有名店で購入した月並みなクッキー菓子だ。あれこれ考えたけれど、あくまで添え物でいいと思い切った。先輩に届けたかったものは、今しがた夜空を横切ったものだから。


「ありがとう……」

 声がわずかに震えている。僕は、先輩の顔を見据えた。

「先輩、僕は……先輩と――これからも一緒に見たいんです。星だけじゃなくて。誰かと大切なものを共有したいんです」

 彼女もじっと僕を見ている。

「先輩は、僕にとって大切な人ですから」


 この期に及んでも、どこか遠回しな言い方しかできない自分が憎い。だが、素直な気持ちだった。

「私も」

 え――と僕は、自分で言ったことにも関わらず聞き直した。

 月のない暗闇――わずかな星明りの下で、先輩が瞳を潤ませながら微笑むのが分かった。

「私もだよ、透也くん。星も含めて、沢山のものを2人で見よう。これからも」

「……はい」


 2人で時間を過ごそう。その日が来るのがいつだとしても。


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