Fields of hope(4)
「海ですか。いいですね」
ここからだと自転車で10分少々といったところか。目的の時間にはなんとか間に合うだろう。夜中の海辺、もちろん行ったことはない。
――いや、自転車を使えばの話だ。この闇の中では先輩は自転車に乗るのは危ないのではないか。というより、そもそも先輩は日頃自転車に乗っているのだろうか。
「先輩って、ちなみに自転車は」
「倉庫の中。鍵かかってるの。普段あんまり乗らないものだから、昼間にあらかじめ外に出しとくのも親に怪しまれると思って。だから――」
先輩が暗闇の中で微笑むのが分かった。
「自転車、後ろに乗せてくれない?」
「へっ?」
思いがけない提案に、変な声が出た。
「大丈夫。誰にも見られやしないよ」
いや、そういう問題ではない気がするのだが。
「えーと、先輩。一応お伺いしますが、2人乗りの経験は……」
「無いよ。だから言ってるの」
くすくす笑いながら言う先輩に僕は言葉を失った。
言わずもがな、自転車の2人乗りは法律違反だが、考えてみれば高校生の深夜の外出。しかも男女2人である。どのみち見つかったら補導は避けられない。今更自転車の2人乗りを気にすることもないだろう。毒を食らわばなんとやら、だ。
それに――深夜に女の子と自転車2人乗りで疾走する機会が果たしてこの先の人生でどれだけあるだろうか。
今しかないのだ。きっと。
僕は自転車の荷台をハンカチで拭いた。
「分かりました――どうぞ、お乗りください」
「失礼いたします」
先輩は少々おどけた仕草で一礼すると荷台に腰かけた。続いて僕がサドルに跨がると、先輩は僕の身体に手をまわした。
お互いの分厚いコートで、先輩の身体のラインはわからない。それでもしっかり伝わってくる温もりに鼓動が早くなる。
「海への道案内は任せて。夜は見えにくいけど、近所だから大丈夫。透也くんは運転に集中してね」
すぐ後ろで先輩が囁く。その言葉が僕の心の内燃機関を動かす。
「はい。それでは、出発します!」
「おー!」
僕はこれまでの人生で一番力強く、自転車のペダルを踏みこんだ。
女の子の身体は羽のように軽い――なんてのは空想の中だけで、実際に人1人を荷台に乗せた重みというのはそれなりに感じる。
後ろに人を乗せて自転車をこぐというのは初めてだけに、足には力を込めつつも慎重に運転した。もしバランスを崩して転倒したら、後ろに乗っている先輩の方が大怪我をしかねない。
先輩の命は、僕に預けられているのだ。
「重いとか、思ってるでしょ」
背後から僕の背中を抱きすくめたまま、先輩がささやく。
「いえいえそんなことは――まぁ、毎日の自転車通学で鍛えられてますから」
「やっぱり思ってるんじゃん」
少々意地悪い回答をした僕の脇に、先輩の手が伸びた。くすぐったさに思わずハンドルを握る手が緩む。
「せ、先輩――危ないのでそれは」
「はは、ごめんごめん」
笑う先輩に僕もつられて笑った。
晩冬の夜風が、2人の笑い声を吹き流した。




