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彼女の視る宇宙(そら)  作者: 藍原圭
第二章
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遠い記憶(4)

「今はまだ明るい星は見えるけど――遠からず、夜空はほとんど真っ暗になるだろうからね」


 僕ははっとした。そうか。それで先輩は星空を眺めることに決めたのだ。

 自分の視界からいずれ消えていくものを脳裏に焼き付けるために。

 他人より寿命の短い己の網膜に美しい世界の一端を見せるために。


 先日も、先輩は1等星のベテルギウスをすぐに見つけられなかった。星の収縮期だけが原因ではなく、確実に進んでいる視力低下と夜盲のせいだったのだ。いずれ、先輩の言う通り彼女の夜空に星は瞬かなくなる。

「『空を見上げなさい』って透也くんが教えてくれた言葉で、まさにそうだと思ったの。今しか見えないものをちゃんと見とかなきゃって。それに気づかせてくれたから」

「先輩……」


「嬉しかった。今やるべきことが分かったからね。だからつい甘えて、さっきみたいなことを聞いちゃうんだけど」

 緊張して先輩を見つめる僕を見て、彼女はふっと破顔した。

「あ、そんなに重たく考えないでよ。繰り返すけど、すぐに何もかも見えなくなるってわけじゃないから」

「ですけど……」


「ただ、今しか見ておけないものはあると思ってね。自分で言うのも何だけど、なんたって華のスイートシックスティーンだし」

 ぐっとサムズアップする先輩。

「あれ。先輩って16歳なんですか」

 自分と同い年だ。2年生なんだから、当然17歳かと思っていた。

「うん、早生まれだから。次の誕生日で17歳」

「ちなみに、誕生日っていつですか」

 つい乗り出して聞いてしまう。丁度いい機会だ。何かお祝いを――


「来月の――11日」

「あ……」

 3月11日。それが何の日なのか、日本人で知らない人はいまい。

「そんなに意識してるつもりは無いんだけどね。積極的に言い辛いってのはあるかな」

 それもまた、彼女が自身の出生に思うところを抱く要因なのだろうか。

「そういう星の下に生まれた――ってこういうことなのかも」


 僕は少し腹立たしくなった。先輩にしては少し投げやり過ぎる言葉だ。そもそも先輩も彼女の家族も何か悪行を成した訳ではない。

 僕は理不尽さに任せて口を開く。

「先輩は――先輩には何も責任は無いじゃないですか。あの、運命を信じるかって話ですけど」

 この部屋に着いて、先輩から問われた質問。恐らく、病が発覚してから彼女が意識していたこと。

「あ、うん」

 つい口調が強めになった僕に少し驚いたように先輩は頷く。


「運命というのは、あるのかもしれません。ただ、全てが運命で決まっているとは思わないです――少なくとも、僕は思いたくないです。それじゃ、何というか、あまりに人生が味気ないと思いますから」

 我ながら乏しい語彙が嫌になるが、そのまま言葉を紡ぐ。

「それに、これまでの先輩の人生は、先輩自身の手で切り開いてきたと思います。運命で全てが決まるなら、それを否定することになっちゃいます」

 運命になんか打ち勝てる筈、なんて陳腐なことは言わない。けれど、勉学・スポーツで結果を出してきたのも、誰からも愛される16歳に成長したのも間違いなく本人が努力を重ねてきた結果に違いない。生まれ持った才能、天稟、そんな言葉で全て片づけるよりも、彼女の意志の力だと信じたい。

 先輩は目を丸くしていたが、間もなく薄く微笑んだ。


「そっか、そうだね。ありがとう。透也くんは――」

 先輩が更に何か言いかけたその時、再び幾人か観光客が入室してきた。

「――このスクロヴェーニ礼拝堂は、14世紀にエンリコ・デッリ・スクロヴェーニの手により創設されました」

 観光客を先導してきた学芸員が、おもむろに礼拝堂の説明を始める。

「彼は高利貸で財産を築いた父親と自身の贖罪を願ってこの礼拝堂を建設したと言われています。当時、高利貸は大変重い罪でした。父親の因果により、自身が地獄に落ちるかもしれないと考えたのです」


 僕は一瞬耳を疑った。家族の因果?今しがたその話を先輩としていたばかりだ。

 ここはただフレスコ画と星空が美しいだけの部屋ではない。贖罪の場所でもあったのだ。

背筋が寒くなる。先輩はこれを知った上でこの場所に来たのだろうか。それとも全くの偶然なのか。まさか――


「そろそろ出ようか」

 先輩はそう呟くと椅子から立った。そのまま僕が止める間もなく、出口へ歩き始める。

 あくまで穏やかな口調――だが、声のトーンが下がったように感じたのは気のせいだろうか。

 慌てて僕も立ち上がって追う。背中越しの先輩が、どのような表情をしているのか僕は知るのが怖かった。

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