遠い記憶(2)
運命?――どういうことだろう。結婚式に使われるというこの場所、まさか運命の赤い糸のことなのか。返事を出来ぬまま、身体が火照る。
だが、彼女の口から出たのは予想外の言葉だった。
「私ね、光を失うの」
「え?」
言っている意味が理解できなかった。光を失う?どういうことなのか。
「失明するってこと。その日がいつ来るのかは、分からないけどね」
「失明って――」
突然発せられた重大な告白に、僕は言葉に詰まった。
「網膜色素変性症って言う先天性の病気。網膜の視細胞が徐々に変質して、目が見えなくなっていくの」
まるで本を朗読するように、至極穏やかに先輩は語った。
「そんな……それって、治療は出来ないんですか」
彼女は小さく首を振った。達観したような、悲しい仕草だった。
「現在のところ、治療法はないんだって。進行を少しばかり遅らせる対症療法だけ」
治療法なし。つまりは不治の病だ。そんなことをあっさりと言われたのが信じられず、僕は呆然と先輩の顔を見つめた。
やや暗めのこの場所でも、彼女の瞳は十分見える。吸い込まれそうな、大きな瞳。
少なくとも外見的には何ら異常は見られない――あくまでも素人目には、だけれど。
「どう?何かおかしいところある?」
彼女が微笑みながら眼元に手をやった。
「あ、いや……」
僕は慌てて目を逸らした。
「たとえ病気でも、アルくんみたいにオッドアイだったら画になったのにね」
アニメの主人公みたいに、片手で目隠しするポーズをした。笑うところなのだろうけど、とてもそんな気持ちになれなかった。
「あの、失明するのはいつか分からないって言いましたけど」
「うん。基本的にこの病気はゆっくり進行するんだよ。お年寄りになっても十分視力を保ってる人もいる。ただ、進行具合は人によってバラバラで、若くしてほとんど見えなくなる人もいるの」
いつ「その時」が来るのか、本人にも分からない。あたかも、超新星爆発を控えたベテルギウスのように。
ふと、話が先輩の高校生活とリンクした。
「先輩、もしかして部活を辞めたのは――」
「うん……そうなんだ」
先輩が頷いた。
「視力が落ち気味だったのは前からだったんだけど、最近夜になると見え辛いのをはっきり自覚するようになってね。コンタクト入れても改善しないし。総合病院で精密検査受けたら、夜盲っていう網膜色素変性症の典型的な初期症状だったよ」
夜が怖いと言っていたのはそのためだったのか。確かに、暗い場所が見えづらいとなれば、夜間の帰り道で事故や事件に遭遇する可能性は高くなる。
「あとね、あまり直射日光を浴びると網膜に影響するらしいの。視細胞に負担がかかって進行が早まるんだって。かといって、サングラスかけるのもちょっと抵抗があってね」
日中長時間屋外にいられず、夜も遅くまで残れないとなると部活の練習はかなり制限される。退部という選択肢もやむを得なかったのだろう。
「このことって、他の人には」
「言ってないよ。親にも検査結果は伝えてない。誰かに言うのは、透也くんが初めて」
自分が初めて――その台詞に心がざわつく。
こんな重大な、一生を左右するような事実を先輩は誰よりも先に僕に話してくれている。
信じられない気持ち――ただ同時に不可解でもあった。
「でも、ご両親くらいには言った方が」
自分が肉親の立場であれば是が非でも知りたいと思うに違いない。部活で遅くなっても、夜の送迎くらいしてもらえるのではないか。噂に聞く彼女のソフトテニスの実力からすれば、周囲もサポートしてくれたことだろう。
「色々心配されたりするのが億劫ってのもあるんだけど、思い当たる節があってね」
「思い当たるって――病気の原因が、ですか」
「そう。この病気は遺伝性なんだけど、親も祖父母も親戚も視力障害があるなんて聞いたことなくて。けど――」
先輩の顔が曇った。その顔は、いつしか図書室で覗き見た時の顔と同じだった。
「うちの家ね、近親婚なの」