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彼女の視る宇宙(そら)  作者: 藍原圭
第二章
31/65

LICHT MEER(3)

 エントランスホールからすぐ正面にあったのが、バチカンのシスティーナ礼拝堂を再現したホールだった。広さ400平米、高さは20メートル以上あると思われる大きなホールの遥か天井に、びっしりと鮮やかな西洋画が描き込まれている。

 ここはこの美術館一番の目玉らしく、椅子に座って眺めたり、写真を撮ったりしている人が多い。歌舞伎や将棋対戦の会場にもなるという。

 

「ミケランジェロは教皇ユリウス二世の命を受けて、たった1人で、4年の歳月をかけてこの大フレスコ画を描き上げました。これを見たドイツの詩人ゲーテは『この天井をみれば、われわれ人間がどれほどのことができるかが分かる』と驚嘆したと伝えられます――」

 ちょうど学芸員らしき人が解説していた。


 確かに荘厳な光景だ。数百名の人物画により描き出された旧約聖書の創世記。天地創造、アダムとイヴ、楽園追放、そしてノアの箱舟……

 再現陶板画なのであくまでレプリカなのだが、そんなことを忘れるくらいに圧倒される。

「――現在のように一度地上で作ったものを天井に張り付けるわけではなく、足場を組んで直接天井に描くという地道な作業を続けました。天井からしたたる絵具が絶えず目に入り、これによりミケランジェロは後年ほぼ失明するなど、過酷なものでした」  


 隣の解説に相槌を打ちながら先輩に話しかける。

「絵そのものよりも、そこまでして描こうとする精神が凄いですよね」

 だが先輩は聞いているのかいないのか、口を結んだまま、じっと天井画を見つめている。

「――それも運命だったのかな」

 先輩が何かぽつりと呟いたが、はっきりと聞き取れなかった。

「……先輩?」

僕が再び声をかけると、先輩はいつものように微笑んだ。

「なんでもない。次行こうか」

「あ、はい」

 もう少し解説を聞いて眺めていたいと思ったが、先輩に急かされる形でホールを出た。


 ――それにしても、事前に聞いていたとおり、膨大な美術品の数々だ。

 レオナルド・ダビンチの『最後の晩餐』に『モナ・リザ』、ゴッホの『ひまわり』、ムンクの『叫び』、サンドロ・ボッティチェッリの『ヴィーナスの誕生』、パブロ・ピカソの『ゲルニカ』などなど、一度は美術の教科書で見たことのある作品ばかりだ。宇宙人が地球征服して、世界中の名画をコレクションしたらこんな感じになるのだろうか。


「あ、あれ楽しそう」

 先輩が指さした先にあるのは、青いターバンを巻いた少女の絵画と――その横で何やら人が集まって写真撮影を行っている。

 ヨハネス・フェルメールの『真珠の耳飾りの少女』だ。背景の黒に黄色と青色のコントラストが鮮やかな作品で、これも美術の教科書で見たことがある。


 だが、皆が撮っているのは絵画そのものではなく、同じようにターバンを着用した人たちだ。額縁を模した看板が設置されていて、その後ろに立つと、さながら絵画に入り込んだように見える。

 要するに、絵画の人物になりきるコスプレだ。

 ただ眺めるだけでなく展示品を直接触ったり、こうしたコスプレを通じて絵画に親しみを持ってもらうというのがこの美術館の方針であるらしい。


「寄っていこうよ、ほら」

先輩に促される。嫌な予感がする。

「えーと……それじゃ僕は先輩の写真を撮りますね」

「何言ってんの。透也くんもやるの」

 やっぱりか。先輩は少々意地の悪い笑みを見せながら、逃げようとする僕の服の裾を軽く引っ張って連れて行く。当たり前だがコスプレをした経験などない。地元のアニメイベントでコスプレを見るのは割と好きだけれど。


 言われるがままにターバンを被り、額縁の後ろに立つ。周囲で順番を待っているのは女性ばかりだ。皆こちらを見ている。一体これはどういうシチュエーションなんだろう。

「お、似合う似合う。ほら、左に向いて――そう、そんな感じ。ほらもっと笑って!」

 無理矢理口元を緩める僕をスマホでぱしゃぱしゃと撮影する先輩。完全に面白がっている。


「あ、撮りますのでお姉さんも一緒にどうぞー」

「はぁい」

 女性スタッフから勧められて、先輩もにこやかにターバンを被る。流石、先輩の容姿だと文字通り絵になるというか、様になっている。やっぱり彼女だけでいいじゃないか。

「はい撮りますよー」

 スタッフの声に合わせて、2人して額縁の中に並ぶ。考えてみると、嬉し恥ずかし先輩と初めてのツーショットだ。しかしよりによってアートコスプレでなくても良かろうに。


「あの……ばらまかないでくださいね」

 ターバンを脱いで恐る恐る聞くが、先輩は楽しそうに撮ったばかりの写真を見ている。

「どうしようかなーふっふー」

 けれど、喜んでいる先輩の姿を見るのは、全く悪い気はしなかった。

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