めぐりあい(2)
「言っとくが、俺は大いに不本意なんだぞ」
鞆浦先生は自分に言い聞かせるように言った。
遡ること1週間、天文部の部室――地学講義室である。
北向きに位置するこの部屋は季節を問わず常にひんやりとしているが、真冬の1月は特に寒い。普通教室と異なる黒い長机と木製スツール以外は個性に乏しく、窓際にある地球儀と、部屋の背後の壁に貼られた星図だけが申し訳程度に他の部屋との差別化を主張している。
「今年度限りで廃部……ですか」
懸念していたことだった。天文部の名簿上の在籍者は5人しかいない。3年生が2人、2年生が1人、1年生が僕を入れて2人だ。
しかも3年生は受験の真っ只中、2年生は去年の夏頃までにフェードアウト、1年生のもう1人は元より幽霊部員で、現在まともに活動に参加しているのは部長代理の僕1人しかいない。
これで3年生が卒業したら、事実上部員は僕だけの部活になる。
もちろん、新学期を迎えて新1年生が大勢入部してくる可能性は皆無ではないが、ここ数年の入部状況では望み薄だろう。
「仕方ないと――思います。この有様じゃ」
「隣街の高専じゃeスポーツ部が新規に発足するんだとさ。これも時代の流れかね」
鞆浦先生――この部の顧問にして、僕の在籍する1年4組の担任でもある――は肩をすくめた。
天文部の活動は地味だ。定期的な天体観測とレポートは、部活というよりは大学のゼミに近いかもしれない。部名だけはロマンチックなのか、年度当初は関心を持つ生徒が比較的大勢やってくるらしいのだが、すぐにその実態を知って離れていく。
「もっと声をかけられたら良かったんですが……」
対人関係の構築の苦手な僕にとって、部員獲得のための宣伝や広報などというのは苦行でしかない。だが鞆浦先生は頭を振った。
「いや、部員の数はあんまり関係ないんだ。新聞やニュースで言われてるだろ。『働き方改革』だのなんだの。長時間労働や教員の不足の改善のために、教育委員会が業務の整理に動いてるんだ。で、その一環として部活動顧問の適正配置、ひいては部活そのものの整理・統廃合も進めろってなわけだ」
確かに教員のマルチタスクぶりは一生徒として傍から見ていてもよく分かる。授業の準備に採点、学習指導、学校行事、学級運営だけでも時間が足りないだろうに、それに加えて各種研修やら保護者対応、そして部活動とくれば暇がある方がおかしい。
「そりゃ今のご時世、まともに残業代も払わずやりがいだけで働かせるのは許されないだろうよ。社会がそういう方向に向かうのは正しいと思う」
ただな、と腕を組みながら先生は呻くように言う。
「どうにも世間的に部活動こそが問題の根っこみたいに思われてるようでなぁ。まぁ確かに拘束時間は長いし負担に思ってる先生方もいるのは間違いないんだが、他の業務に比べると『楽しい』って言う先生が大半なんだ」
「先生は天文部を楽しいと思ってくださってたんですか」
不機嫌なせいか若干声に毒が混ざってしまったかもしれないが、鞆浦先生は破顔して椅子にもたれかかった。
「そりゃ楽しいさ。むしろ教員生活の中で一番楽しいといっても過言じゃない」
実際、部員が極小の部活動にも関わらず、鞆浦先生は熱心だ。
「学習指導要領が変わって以来、純粋に教える授業内容が増えてるし、小中の先生方なら全国学力テストの準備やら。目を向ける場所が間違えてると思うんだが・・・お偉いさんはとりあえず目に見える結果が欲しいから、見当違いなところに力を入れちまうんだよな」
小さくため息をついて、先生は僕に向き直った。
天文部は週2日の活動で、運動部や吹奏楽部などに比べれば拘束時間は長いものではない。そんな部から真っ先に整理の対象になるのは先生にとっても皮肉なことだろう。
「まぁお前に言っても詮無いことだな。悪いが、今年度限りで天文部の歴史は幕を閉じる。そんなに日は無いが、今のうちにやりたいことがあったら言ってくれ」
僕は身を乗り出した。
「種子島に遠征しましょう」
「無理だ」
笑顔で即答されてうなだれる。わかっていたけど。
「種子島ってことは宇宙センターか。ロケット打ち上げは俺も生で見たことないな」
「いや、もちろん発射場も見たいんですけど、あそこは秒速5センチメートルってアニメの聖地なんですよ」
「秒速5キロメートル?IRBMでも降ってくるのか」
「違いますって。ていうか新海誠監督知らないんですか。『君の名は。』の」
「アニメは見ないんだよ。しかし、あれだな。最近の若いやつは、こういうとき物分りがいいというか、さっぱりしてるな。俺が学生の頃なんかは、闘争とまでは行かなくても教師と押し問答はしょっちゅうだった。生徒会の選挙なんか、教員には全員体育館から出ていってもらったりしたもんだ――あ、別にゴネろとは言ってないからな」
「教え子の物分りがいいと、教師冥利に尽きるでしょう」
「嫌味を言うんじゃない」
苦笑する先生。鞆浦先生はいい人だと思う。実際男女問わず生徒から人気があるし、担任としても顧問としても頼りがいがある。ただ――
心の底では全く納得していない。
誰にも話したことはないが、この高校に入学した理由、その一つは天文部があることだった。自分の高校生活の根底が揺らいだ気がして、それ以来、どこかぼんやりした日が続いていた。
――彼女がやってきたのは、そんな矢先だった。