めぐりあい(1)
「ね、『スイセイ』ってどうやったら見れるの?」
それが彼女の第一声だった。
先日、廃部が決まった天文部の部室を出たばかりの僕はどう答えればいいか分からず、硬直したまま彼女と向き合う形となった。
癖のない黒髪は肩まで伸び、茶褐色の大きめの瞳が端正な顔によく映えている。胸元のスカーフは青色――つまり1学年上の先輩だった。
「ええと……天文部、だよね」
答えに窮した僕を見て、わずかに首をかしげながら言葉を紡ぐ彼女。部外者に声をかけたのかと疑っているらしい。頭の中の整理が追い付かないまま、ひとまず回答することにした。
「あの、スイセイって——ほうき星の方の彗星でいいんですよね」
「そう!そうだけど……むしろそれ以外にスイセイってあるの?」
口元を綻ばせる目の前の闖入者に、少しだけ頭を痛めながら答えた。
「水金地火木土天海って聞いたことあるでしょう。太陽系の惑星の順番」
「うん。あるある」
「最初のスイっていうのが水星、水の星って書くんですけど――そっちのスイセイじゃないか、一応確認したくて」
彼女は眉をひそめた。
「そんな専門用語知ってるわけないよ」
「いや、専門用語ってほどじゃなくて、中学校の理科でも習っ――」
「中学生未満って言いたいわけ?」
いよいよ言葉に詰まった僕を少し眺めた後、あははと屈託なく笑いながら彼女は続けた。
「まぁそれはともかく、そのほうき星の方の彗星。それって今すぐ見ることって出来るのかな?」
「すぐにって言うと……難しいかもしれないですけど」
彗星と聞いて多くの人がイメージするのは映画やアニメに舞台装置として出てくる大彗星だろう。尾を長く伸ばして、夜空に燦然と現れる天文現象。時に地球に接近して人類存亡の危機になったり、ラブロマンスの象徴になったり、はたまた宇宙帝国の本星だったり。
ともあれ、彼女が見たいのは一般人が肉眼でも容易に見える彗星のことに違いない。
「今、誰でも見れるような接近した彗星は無いですね。望遠鏡を使えば暗い彗星を見れるかもしれませんが、ぼんやり小さくて、こう言っては何ですが見ても面白くないと思いますよ」
ついでに言えば、僕の観測技術では望遠鏡を使って見るのも難しいかもしれない。たぶん相手は10等星以下だろうから、自動導入の無い部室や手持ちの望遠鏡では広い夜空から探し出すだけで朝になってしまうだろう。
「そっかー。プロがそうおっしゃるなら諦めようかな」
「いや、プロとかそんなんじゃなくて」
たかが高校生の、それも後輩だ。そんな自分から少し目をそらして俯く彼女に、かける言葉が無くて少々気まずい沈黙が続いたが、彼女はこちらを向くと微笑んだ。
「ありがとう。参考になったよ。ごめんね、突然押しかけて」
そういって踵を返す彼女の背中を見て、ふっと疑問がそのまま口に出た。
「あの——どうして、彗星を見たいんですか」
振り返った彼女は、口元だけで小さく笑いながら首を振った。
「ううん、別に深い動機はないよ。ただ、見れたらいいなって不意に思っただけ」
何故かは分からない。けれど、その顔は一瞬泣き笑いに見えた。
再び戻ろうとし始めた彼女の背中に、思わず声をかけた。
「あの、彗星は見れないですけど――さっき言った水星の方なら、今日の夕暮れにでも見れるかもしれません」
またしても彼女が――今度は怪訝な顔をして——振り返る様を見て、しまったと思った。
彼女が見たいのはあくまで美しい彗星であって、それも出会ったばかりの他人には話したくない理由があるのだ。それを本人もよく知らない、同音の全く別の星を勧められても困惑するのは当たり前だ。
余計なこと言ってすみません――その言葉が喉まで出かけたところで、彼女が身を乗り出した。
「見れるの?すごい!じゃあ見に行きたいから教えて」
「いや、あの……」
予想外の反応に、自分から提案したにも関わらず固まってしまった。
「本当にいいんですか?見たいのは彗星って、ほうき星の方の星なんですよね?」
「うん。でも君が言う方の水星ってのも見てみたい。だって綺麗なんでしょ?水の星って書くくらいなんだから」
今度こそどう反応すればいいか分からず、僕は曖昧に首肯した。