静かな夜に(6)
「そういえば、ネットニュースで見たんだけど、もうすぐ超新星爆発をおこすかもって言われてるのがベテルギウスだよね」
「はい」
僕は頷いた。
恒星は核融合反応により膨張しようとする力と、自身の重力で縮小しようとする力が均衡している。太陽よりも重い恒星は核融合のための燃料を使い果たすと、膨張する力を喪失して自らの重みに耐えられず潰れはじめ、やがてその反動で大爆発を起こす。その最期の輝きこそが超新星爆発だ。
そしてベテルギウスは、その超新星爆発を近々起こすのではないかと考えられている最有力の天体だ。
「すごく明るいんだってね。昼間でも見えるくらいだとか」
「ええ。月がもう1つできるようなものですよ」
超新星爆発そのものは宇宙ではそこまで珍しい現象ではない。だが、同じ天の川銀河の中で、それも約600光年という近さの星となると極めて稀だ。
実際に超新星爆発を起こしたら、1等星の1万倍以上の明るさで昼も夜も青白く輝くという。
「これだけ近い距離の超新星をもし生で見れたりしたら、ここ数百年、いや人類史上最大クラスの幸運だと思いますよ」
彼女が期待に胸を膨らませた小学生のように顔をほころばせた。
「そっかー。見れる日が来るといいね」
「でも夢を壊すみたいですけど、たぶん――見れないと思った方がいいでしょうね」
「そうなの?」
先輩が首を傾げる。
「いつ超新星爆発をおこしてもおかしくないのは間違いないんです。急激に変形したり、暗くなったりしていて。前触れとは思われてるんですが。でも、いつおきるのかは全く予想できなくて。実際に爆発するのは100万年後かもしれない」
「……気の長い話だね」
先輩は気圧されたように身をすくめた。
そう。宇宙のスパンは距離も年月も僕たちのスケールと桁が違いすぎる。宇宙138億年の歴史からすれば100万年なんてまさしく刹那だ。何しろ、誕生して1億年の星は若いと形容される世界なのだから。
「天文学者の間では、我々が生きているうちに見れる可能性は低いという意見が多いんです。もちろん明日かもしれないし、10年後、100年後もあり得る」
「明日か、100万年後か……」
先輩は撫でるように手のひらをベテルギウスに向けた。
「それって、ベテルギウス自身にも分からないのかな」
ぽつりと呟く彼女。
「それは――」
病に倒れた人、老いて赤色超巨星となった星。
両方とも、死期が近づいているということは当人にも分かる。だが、その正確な臨終の時はどうなのだろう。
人は誰しも自分の死に予感を覚えるともいう。星もそうなのだろうか。
一度も死んだことの無い人間が、死の予感なんて偉そうに語るのを信用するもんじゃない――どこかの小説の主人公がそんなことを言っていた気がする。人も星も死から蘇る術が無い以上、それは誰にも分からないのだろう、きっと。
「おそらく分からないでしょうね。でもその方が、いいのかもしれません」
「透也くんは超新星を見たいと思わないの?」
「もちろん見たいですよ」
実のところ、僕は子供の頃から壮大な天体ショーとあまり縁が無い。小学生の頃に見た金環日食、あとは皆既月食や部分日食くらいで、大彗星も、皆既日食も未経験だ。金星の太陽面通過は雲に邪魔され見れなかった。次回は2117年らしいから、コールドスリープでも発明されない限り僕が拝むことはできないだろう。
世の中には優雅に大海原へ出て、雲の無い場所でゆったり眺める皆既日食クルーズなどというものがあるらしいが、高校生の僕にはとても手が届かない贅沢だ。
一度でいいから、道行く人誰もが揃って空を見上げるような一大天体ショーを見たいとは思う。
「でもこればっかりは運ですしね。願っても仕方ないことってのはありますし、それに――」
僕も改めて赤く輝くその星を見上げる。
赤い光――死を控えた星から放たれて、約600年かけて今し方たどり着いたばかりの光だ。
「死ぬことを大勢から名指しで切望されるなんて、ちょっと可哀想な気もして。そんなの歴史的な暴君か、ベテルギウスくらいでしょうから」
先輩は笑った。
「やっぱり面白いね――透也くんは」
どきりとする。真面目、博識、そういったことは聞き飽きるほど言われた。でも、面白いと言われたことは人生でほとんどない。
「そうだね。それにベテルギウスがなくなったら、オリオン座も崩れちゃうんでしょ。ちょっと寂しいし、今のままでいいんだね、きっと」
僕もちょっとおかしくなって笑った。寿命100年にも満たない人間、それも一国の地方の高校生2人が揃って、辿り着くこともままならない恒星のことを可哀想だなんて評している。
この世に神様がいるのなら、おこがましいとお叱りを受けるかもしれない。
でも、それはきっと夜空に向けて想像の翼を広げることができる、人間という生き物だけに許された特権だ。是非お目こぼしをお願いしたい――そんなことを想った。




