静かな夜に(3)
「そういえば、先輩って2年7組ですから文系特進ですよね。もう希望進路は決まっているんですか」
無難な話題を振ってみる。
「今のところ文学部。西洋史を専攻したいなって思ってる」
自分はその方面の知識はさっぱりだ。来年度からの社会科目も地理を選択するつもりでいる。
「そういう透也くんは理系だよね?やっぱり進路は理工学部?」
「そうですね。将来は――」
彼女の問いに視線を逸らしそうになりつつも、まっすぐ見て僕は言った。
「大学院まで出て、JAXAで働くことが夢です」
JAXA――国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構は、内閣府・総務省・文部科学省・経済産業省が共同して所管する国立研究開発法人だ。
宇宙の基礎研究を筆頭に、ロケットや人工衛星の打ち上げ、そしてそれらを利用した防災、気象、交通、物流から農業漁業に至るまで産業振興も含めた技術を支える重要な役割を担っており、名実共に日本の宇宙開発の中心といえる。
宇宙開発の最前線で働くこと、それは数年前からはっきり意識し始めた夢だ。だがクラスの知人にはもちろん、担任の鞆浦先生や両親にもまだ言っていない。
それを出会ってまだ数日の藤崎先輩に言う気になった理由は――自分でもよくわからない。彼女になら、自分の本心を打ち明けても良い気がした。単純にロマンチックだの何だのといった物言いでいなされない何かが彼女にはある。
「1年生でもうそこまで考えてるんだ。すごいな」
感嘆した様子で先輩は言った。
「私は学部や専攻をぼんやり決めてるだけで、将来の働き方までなんてとても」
「いえ、適うかどうかも到底わからない、ほとんどただの願望というか、妄想というか――」
実際、JAXAは狭き門だと聞く。国内の理工系エリートが揃い踏みする機関だ。今の自分の学力で果たしてそれが適うのか、自信は全くない。
「謙遜することないよ。私も――そんな風に将来をまっすぐ描けたらなっていつも思ってるから」
目を伏せ気味に先輩は言う。その一瞬、先程書架の前で本を読んでいた際の表情が垣間見えた気がした。
「いやそんな――先輩なんて僕よりよっぽど高校生活充実してるじゃないですか。将来だって」
先輩を知らない僕のような人間はモグリ扱いされるほど校内でも指折りの有名人だというのに。
「そんな充実してるかな」
彼女は苦笑しながら答えた。
「だって先輩って勉強も部活も出来るそうじゃないですか。おまけにグラビア飾ったり――」
そう言った瞬間、先輩の顔色が変わる。
「もしかして例のやつ……見た?」
少し上目遣いで照れたように話す。例のやつとは先輩が表紙に掲載されたというタウン情報誌のことだろう。
「あ、いえいえ。噂で聞いただけです」
慌ててそう答えると、先輩は軽くため息をついた。
「もともと部活の取材に来てたんだよね。それが記者の人に『次号の表紙飾りませんか』なんて声かけられて。丁重にお断りしたんだけど、先輩から後輩までみんな面白がっちゃって、結局成り行きで、ね」
本人はあまり乗り気ではなかったらしい。なんだかそう言われると、恥ずかしがっている彼女の様子と相まって、かえって見たくなった。
何月号だったか忘れたがクラスの誰かに頼み込んで見せてもらおう。そうでなければバックナンバーを取り寄せられないか出版社に問い合わせてみるのもいいかもしれない。
そんな勝手なことに思いを巡らせたところで、先輩の部活についてクラスメイトが話していたことを思い出した。
「部活といえば、先輩ってソフトテニス部だったんですね」
「あ、そういえば4組だから――そっか。志帆と同じクラスなんだね」
僕と先輩との関係を問いただしてきた同じクラスの工藤のことだ。
「辞めたって聞いたんですけど、本当なんですか」
先輩は頬をかきながら答える。
「うん、まぁね。志帆は何か言ってた?」
「いや、特には」
告白十人切りがどうのこうの言っていたが、それをこの場で聞く勇気はもちろんない。
「ただ――辞めた理由を知りたがっていました」
「そっか。そうだろうね」
先輩の顔が曇る。僕もその理由は聞きたかったけれど、練習を共にしてきた仲間にも言えないことを出会ったばかりの人間に話してくれるとも思えない。
「個人的な理由――なんですよね」
「……うん」
先輩は小さく首肯した。やっぱり聞かれたくないことなのだろう。何と言葉をかけたものか迷った。