静かな夜に(1)
図書室は静謐に包まれていた。
完全な無音ではない。ページをめくる音、書架から本を取り出す音、自習中と思しきペンを走らせる音。そしてそれらに誰かの咳が散発的に混じる。
それらが渾然一体となって図書室という空間そのものを織りなしている。
愛書家というほどではないけれど、読書は昔からそれなりに好きだ。世間の喧騒から離れて、未知や不可知の世界の一端に触れようとすることは、星空を見上げようとするのと似ている――少なくとも僕はそう思っている。
有難いことに、この高校の図書室には僕の好きなSF本が充実していた。
アーサー・C・クラーク、レイ・ブラッドベリ、H.G.ウェルズといった海外の古典SF大家から、冲方丁、山本弘、宮部みゆきといった現代日本のSF作家まで実に幅広い。常に財布事情が厳しい僕にとっては楽園だ。ここは天文部の部室に次ぐ第二の居場所だった。
2冊の本をカウンターの図書委員に返却する。
借りていたのはアルフレッド・ベスターの『虎よ、虎よ!』と、オースン・スコット・カードの『エンダーのゲーム』。両方とも名作SFとして名高く、一度は読んでみようと前々から思っていた本だ。
正直、ストーリーは半分も頭に入っていないと思うが、勢いで最後まで読み終えてしまった。まぁ満足といっていいだろう。
次は何を借りようか、現代作家にしようか、それともさらに昔の19世紀の作家にしようか――あれこれ考えながら本を物色し始めたとき、奥の本棚の側で1人の女子生徒が立ち読みしているのが見えた。
思わず視線をそらして本棚の陰に隠れる――藤崎先輩だ。
まさかここで鉢合わせするとは予想していなかった。
目的の本を探すふりをしながらこっそり覗くと、彼女は手元の本に視線を落としていて僕には気が付いていないようだった。
何の本を読んでいるんだろう。好奇心からしばし見つめてしまう。
本の好みでその人の性格や本性が分かるという。実際、僕が普段読んでいる本を見て他人がイメージするのはSFオタクだろうが、あながち間違いではない。
しかしおかしいな、と思う。はっきり覚えているわけではないが、先輩が今いる周辺の書架は理化学や医療関係の筈だ。もちろん成績優秀な彼女のこと、文系だろうが広い視野を養うためにそうした分野の書物を積極的に読むことはあり得る。だが――
はっきりとは見えない。だが、彼女の顔は何か憂いを帯びているように見える。
自分の勘違いかもしれない。そもそも先輩の顔を丁寧に観察したことなどない。笑顔が印象的な人だけに、たまたまそう見えるだけなのだろうか。まともに会話したのは半日にも満たないのだ。
そこまで考えて、ふと我に返った。一体こんな場所で自分は何をしているのだろう。このままではただのストーカーだ。
思い切ってその場を立ち去ろうとしたとき――彼女は本を閉じて書架に戻した。
本を閉じてから書架に戻す様も洗練されているようで、一瞬目が奪われた隙に彼女はこちらに振り返り――僕と目があった。




