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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
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前世が男の令嬢軍人ですが、何故か悪役令嬢にされて追放されました

作者: 多歩間 結

 

 多少の波乱や苦難は覚悟していた。()()()私が、ずっと平穏のまま生涯を過ごせるなどと楽観するつもりは、これっぽっちも思ってはいなかったのだ。


「以上がマリア・ダニーロヴナ・カルニーラフ中尉が行った不正の証拠となります。更にマリア中尉はこれらの不正を後に揉み消せる様、畏れ多くも皇太子殿下を(たぶら)かし、他者へ己の罪を擦り付ける策謀に協力させようとしていたのであります」


 でも、幾ら何でもこれはあんまりじゃないですか? ()()に生まれ変わらせた神が存在するのなら、一度文句を言ってやりたい。


 そう、マリア・ダニーロヴナ・カルニーラフという一人の女性である私には前世の記憶がある。所謂転生というやつだ。しかも、前世の私は、()であった。


 ……何故(なにゆえ)!? 普通性別はそのままでしょう!? という思いも今は昔、正直未だに女性の身体に違和感があるが、軍人となってからはありのままの――と言っても今世での私としての意識が強い――自分を出せて随分とマシになっている。


 軍に入る前は、中級貴族カルニーラフ家の娘として過ごさざる得なかったが、これが私には苦痛だった。

 男としての前世の記憶によるものなのか、それとも今世の私が元から性の不一致を抱えていたのかは分からない。

 だが、現実問題として私は自分が女性である事に違和感を持っており、女性、しかも貴族令嬢として女性の格好と態度、礼節を強いられたのは拷問に等しかった。

 前世の記憶と貴族としての教育による急速な精神の成熟が無ければ、心を病んでいた可能性すらあっただろう。


 その後、自身に二人の兄と一人の妹がいる故に、私が貴族社会から離れても大きな問題が無いと見越して十五歳で軍に入った。軍人としてなら、男としての心を少しは開放出来るのではないかと考えての事だ。

 両親には反対されたが、二人にだけ性の不一致を明かすと何とか納得してくれた。


 そして、八年間の間に他の軍人達からの侮蔑やセクハラ紛いの行為を、盗賊討伐や小規模反乱の鎮圧での功績で黙らせ、軍務局長の補佐に収まったのだが……突然今日、(おおやけ)の場で近衛兵兼警察官である銃兵(ストレレッツ)に囲まれ、身に覚えのない不正を糾弾されたのだ。


「……これは何かの間違いだ。そ、そうだろう? 君が軍の資金に手を付けていたなんて、ましてや贈賄なんて……」


 濃い茶の髪と碧眼の青年が、呆然とした様子で私を見る。私の祖国である皇国(ツァールストヴォ)の皇位継承第一位のアレクセイ殿下は、皇族らしからぬ動揺を見せていた。

 いつもならうざったく感じていた皇太子殿下だが、今ばかりは頼りにしたくなる。

 アレクセイ殿下が私に好意を抱いている事は前々から理解していたが、貴族社会と距離を取ってなるべく平和(?)に生きたい私からすればいい迷惑だった。

 だが、今回はそれに救われる。そう思って、軍服に包まれた小振りで控えめな胸の前に右手を当てると、小さく安堵の息を吐いた。


 その一瞬の油断がいけなかったのだろうか。


「お――」


 仰る通り全くの間違いですと発しようとした時、アレクセイ殿下の側に立つ一人の令嬢が先んじて口を開いていた。


「殿下、私も信じられませんわ。マリアさんが横領の上、出世をお金で買おうとしていたなんて。しかも殿下を……騙そうとしていたなんて……」


 そう言って見目麗しい大人しめな雰囲気の令嬢、ソフィアがアレクセイ殿下の左二の腕に手を当て、労わる様に身体を近付ける。


 嘘吐け、私の罪をでっち上げたくせに。


 彼女は、人の良い笑顔を振り撒いてアレクセイ殿下の周りをうろちょろしては、自分こそ殿下の婚約者となる者だという無言のアピールが煩い女という印象だったが、どうやら殿下が私に好意を向けているのが気に食わなかったらしい。

 度々、敵意の視線をぶつけて来たり、わざと私の前で転んであたかも私が足を掛けたかの様に見せかけたり、一度は闇討ちとして暴漢をけしかけて来た事もあった。無論返り討ちにしたが。

 しかし今度は、こんな大掛かりな事を仕掛けてくるとは。


 ソフィアの言葉に周囲も私への中傷を始める。


「何という女狐だ、皇太子殿下を誑かそうとするとは……」

「女だてらに軍で出世出来ているのをおかしいと思っていたんだ」


 完全に、私が不正を犯した事に間違いないという空気がこの場に満ちた。

 ソフィアの背後には、貴族議会(ボヤール・ドゥーマ)に席を持つ大貴族の後継である青年達の姿が見える。しかも、彼らはソフィアに熱のある視線を送っていた。


 工作と根回しは彼らか? げっ、他に銃兵隊(ストレリツィ)の隊長達まで居る。大貴族の嫡男達と近衛隊を抱き込むなんて、向こうの方がよっぽど女狐じゃないか。


 ふと、ソフィアがこちらに目を向ける。見た目はあの人がこんな罪を犯すなんてと戸惑っている様に見えるが、私に一瞬送られた視線には優越感と勝利宣言が含まれていた。

 私は思わず噛み締める歯を、理性が操る唇で隠す。


 殿下に御近付きになりたかったなら好きに近付け、私を巻き込むな。私は軍人として生きる事で貴族社会、令嬢としての人生から離れたかったのに。

 そもそも殿下が私に言い寄って来るから! ……軍事演習の時にコテンパンにしてしまった私にも落ち度はあるだろうけれども、まさか新人将校が皇太子で、挙句に負かされた相手に皇太子が惚れるなんて誰が予想出来るというのか。


 苛立ちと遅過ぎる後悔に(さいな)まれている間に、私への弾劾という茶番が進む。

 赤いガウン状の軍服に身を包む銃兵(ストレレッツ)が、不正の証拠とされる書類を抱えたまま、固い声で告げた。


「処分は追って下される。神妙に沙汰を待つ様に」


 この翌日に私の元へ届いたのは、皇国南西にあるチェルニーヒウ自治領、コザークと呼ばれる軍事共同体が牛耳る地域への転属命令だった。

 中級貴族の出である事と軍人としての功績、軍務局の働き掛けで裁判沙汰や除隊は免れたが、軍人生命は絶たれたも同然である。


 こうして私は、皇都を追い出される様に南西の蛮地へと左遷された。


 転属命令から一週間後、私は愛馬に跨って草原の中を進んでいた。

 草と石を除いただけの土の道を行くと、時折茅葺(かやぶき)屋根の木造家屋とその側にある畑を耕す農民の姿を遠目に見かける。

 よく見ると耕される土は黒い。前世の記憶を手繰ると、チェルノーゼムという養分豊富な黒い土の事に思い至る。


「本当に肥沃なんだな」


 チェルニーヒウは肥沃な地域だが、かつてそれが常に争いを呼んだ。皇国を含む周囲の国々は、大昔からこの地に進出しては土地を巡って衝突していたという。

 そして戦乱と重税に嫌気が差して、領主の元から脱走した農奴や没落貴族、果ては遊牧民などが次第に集まり、コザークという共同体が生まれた。

 彼らは領主の支配を拒絶する一方、各国に傭兵としての契約を結ぶ事で自治を守ってきたが、十年程前に終結した西の王国との戦争を機に皇国の保護下に入った。


 以後、コザークは軍役以外の税をほぼ免除され、皇国の国境防衛や反乱鎮圧を担っている。だが、彼らの評判は芳しくない。

 素行が悪く、規律に欠ける。信用ならない。盗賊に毛が生えた連中など、軍で聞いた噂では散々言われていた。

 そんなコザークの元へ行けなど、島流しか何かの方がマシに思えてくる。

 膨らむ不安と諦めを共に連れて、長閑な草原の先にある筈の町、チェルニーヒウの首都を目指す。


 しかし、町が見えてくる前に騎乗した男達が前方から姿を現した。男達は毛皮の帽子を被り、幅広の革ベルトを巻く腰には曲刀(サーベル)を差した上、前装銃(マスケット)を背負っている。コザークだ。

 出迎えかと思ったが、すぐに違うと分かる。彼らは刀を抜いて、こちらに駆け出して来たのだ。


「マリア・ダニーロヴナ・カルニーラフ中尉だ! 私を皇国軍人と知っての狼藉か!?」


 そう叫びながら、私も腰から拳銃を抜く。三人のコザークの男達は構わず近付き、半円状に囲む形で止まった。


「嬢ちゃん、命は取らねぇ。大人しく付いて来な」


 左右に一房ずつ伸びる、細長い毛筆の様な口髭を生やした正面の男が、曲刀を肩へ乗せる。


「断る。お前達の(かしら)は皇国に喧嘩を売る気か?」


 正面の男ではなく、頭頂部の一房を残して頭を剃り上げている右隣の男が答えた。


「いいや? 俺たちゃ皇国の忠実な尖兵だぜ。その皇国の御偉方はお前さんが邪魔だとよ」


 男達がにやにやと笑みを浮かべ始めた事に違和感を感じて、拳銃の撃鉄を起こすと私は感覚を鋭くさせる。

 背後から蹄の音と気配を感じ取った。身体を捻って振り向くと、三人とは別のコザークの男がこちらに馬を走らせている。

 その男は私目掛けて馬上から飛び掛かってきた。


「甘い!」


 拳銃を握った右手を男へ向け、引き金を引いた。押さえ込まれていたばねが解放されて、銃身右側に付いた撃鉄が落ちる。

 撃鉄に取り付けられた火打石が火花を散らしながら火蓋をこじ開け、黒色火薬が盛られた火皿を叩く。火皿から小さな炎と煙がぱっと上がり、銃口から鉛玉と火煙が勢いよく吐き出された。

 飛び掛かって来た男は、胸に赤い穴を開けるとそのまま重力に従って地面へ倒れ込む。


 こちとら何度か実戦を経験しているんだ。舐めるな。


「この(アマ)! よくも!」


 仲間をやられて激昂したコザーク達が、刀を振りかぶる。だが、発砲と同時に私は愛馬の腹を蹴っており、刃が向かって来る前に彼らの脇をすり抜けた。


「くそっ、逃すな!」


 とにかく一旦町へ入らないと。あのコザーク達は、皇国の御偉方にとって私は邪魔だと言っていた。恐らく大貴族の嫡男達の差し金だろう。

 なら皇国本領へ引き返すのは避けた方が良い。そう考えて町への道をひた走る。

 だが、追い駆けて来る男達は、突然指笛を吹き鳴らした。すると道の先にある草葉の影から馬と人間がいきなり現れる。


 しまった! 馬を伏せさせていたのか! コザークは馬術に優れるとは聞いていたが、失念していた。


 道を塞ぐ四騎の騎兵と背後の三騎に挟まれた私は、慌てて速度を落とし道を外れて逃げようとするが、馬術も土地勘も向こうが遥かに上である。あっという間に囲まれた。


「殺すなよ、生かして連れて来いって連隊長の命令だ」


 じりじりと迫る騎兵達に、拳銃に代わって抜いた刀を向けて牽制する。流石に多勢に無勢過ぎるだろうが、やるしか……。


「あっ!?」


 牽制も虚しく後ろから組み付かれ、馬から引き摺り下ろされる。すぐに曲刀(サーベル)と弾の無い拳銃を奪われ、後ろ手で身体の自由まで奪われてしまった。


「手間取らせやがって……しかもこいつ、コーリャを殺りやがった。許せねぇ……」

「おいっ、丁度良く納屋がある。あそこへ運べ。どうせ抵抗されねぇ様に大人しくさせる必要があるんだ、一発マワしちまおう」


 そのまま、引き摺られる様に納屋へと向かわされる。


 え? ちょっと待て、離せ! 嫌だ!


 嫌悪感と恐怖が肌を、臓腑を、骨髄を駆け巡った。()()と男達を振り払うべく、身を(よじ)って暴れに暴れる。


「てめぇ! じたばたすんな!」

「ぐっ!?」


 いきなり首に手を掛けられ気道を締め上げられた。呼吸が出来ず、動きが鈍ったところを更に取り押さえられる。

 だが、それでも首は強く締められ続け、苦しみの中で意識が朦朧とし始めた。


 死ぬ。


 そう脳裏が一杯になった瞬間、急に気道が解放され、空気が肺へ雪崩れ込む。あまりの事に激しく咳き込んだ。咳をしながらも、何とか呼吸を試みる。


「ごほっ……ひゅっ、はぁぁ」


 懸命に酸素を取り込んでいると、再び手が私の喉へ迫る。


「ひっ!」


 またあの恐怖と苦痛を味わうのかと思うと、思わず情け無い声が出た。戦場に立った事があるとはいえ、いつもは指揮官の補佐などで常に味方が一緒だったし、暴漢に襲われた時も一対一であの時は武器も持っていた。

 丸腰で多数を相手にする事も、自分個人だけに強烈な悪意を向けられる事も初めてなのだ。ここまで恐怖に呑まれたのは前世の記憶にも無い。

 先程首を締めて来た男は、伸ばした手を引っ込めると口を歪める。


「抵抗する女には大抵これが効く、また暴れる様なら首を軽く締めとけ。お前ら四人は外で見張りだ。なぁに、後で交代してやる」


 そう言いながら、私を納屋へと引っ張る。恐怖で固まった身体では、抵抗らしい抵抗も出来ずに納屋の中へ押し込まれた。

 よく昔話に悪役として登場する遊牧民の悪漢は、何故か犬の頭を持つ怪物として描かれていたが、その理由が今はよく分かる。

 馬乗りになってくる男は、自分と同じ人間ではなく恐ろしい(けだもの)に見えた。


「や、やめろっ……!」


 何とか絞り出した抵抗の掠れ声は、何の役にも立たずに、両腕を頭の上で押さえられる。

 獣の手が軍服に掛けられ――ようとした時、聞き覚えのある乾いた破裂音が何度も響く。兵の練兵時や戦場でよく耳にする音だ。

 突然の銃声に、コザークの男達は私を押さえ込むのを止め、銃を手に耳を澄ませて外の状況を探る。


「何が起き――」


 男が一人、納屋の戸を開けて様子を伺おうと顔を出した瞬間、凄まじい音と共に仰向けにひっくり返った。

 開かれた戸からどかどかと謎の集団が踏み込んでくる。彼らの手には拳銃が握られ、既にコザークの男達へ銃口が向いていた。

 コザーク達は慌てて前装銃(マスケット)を乱入者らへ構える。


 納屋の中で何重もの破裂音と、硝煙が充満した。


 耳鳴りと鼻を刺す火薬が燃焼した独特の臭いで、著しい不快感を感じながら、ゆっくりと自分の上体を起こす。

 眼下には、頭や胸に鮮血が流れる穴を開けたコザークの男達が倒れ、虚ろな目が虚空を見つめていた。


「無事か? 迎えが遅くなっちまってすまねぇな」


 納屋に突入して来た集団のリーダーらしき男が、右手を差し出す。男も毛皮の帽子を被り、左右に別れる長い口髭を生やしたコザークの姿をしている。


「ぁ……」


 彼らは自分を助けたのだと理解していても、身体が(すく)んだ。


「連隊長、顔が厳ついから怖がってるじゃないですか」

「俺のせいじゃねぇだろ、寄ってたかって襲われたら誰でも怯えちまうさ」


 連隊長と呼ばれた男は、右手を戻すと口髭を撫で付けながらしゃがみ込み、私と目線を合わせる。


「俺はチェルボーヌイ連隊の長だ。軍務局長から話は通ってる。あんたがマリア中尉だろう?」

「局長から……? どうして? そもそも一体どうなって……」

「そこに転がってるクズ共は、ジョーウテイ連隊の連中だ。チェルニーヒウはいくつかの派閥が入り乱れていてな、俺達もこいつらも親皇国派なんだが……俺達チェルボーヌイは皇王(ツァーリ)派であり改革派である一方、ジョーウティは貴族派に味方している。軍務局にいたあんたなら、どういう事か分かるだろ?」


 皇国は大貴族の力が強く、肝心の皇王陛下(ツァーリ)の権力は微妙だ。おまけに中央政府の軍事力である筈の銃兵隊(ストレリツィ)は、豪商や大貴族と結び付いて腐敗や政治介入が目立つ。

 だからこそ中央政府は大貴族の力を弱める為の行政改革を、軍務局は銃兵隊(ストレリツィ)廃止に向けた新式軍創設などの軍制改革を進めている。私もかつては新式軍に所属していた。

 当然、大貴族や銃兵隊(ストレリツィ)は既得権益を手放すまいと、猛反対している。


「コザークにも改革に反対する一派がいると……まぁ改革にはコザークの自治縮小が含まれているから当たり前か……」

「そうだ。だが、俺達は軍務局に協力する代わりに自治縮小の動きを撤回させるよう局長に要請している。それと今回は局長からあんたの保護を頼まれてるんだ」

「なるほ……え? 自治縮小撤回ってまさか局長、内務局のチェルニーヒウ地方官署へ横槍入れてた!? 道理で内務局の役人からネチネチ文句言われる訳だ」

「そっちも苦労してるんだな……」


 苦笑した連隊長はすっくと立ち上がり、右手を私へ向けて差し出した。


「もう落ち着いただろう、立てるよな?」


 はたと気が付く。連隊長と会話している内に、恐怖で固まっていた身体がだいぶ(ほぐ)れていた。小さく感謝を述べながら、差し出された手を取る。

 途端にぐいっと納屋の外へ引っ張り出された。外では青空が広がる草原に、槍を持って銃を背負うコザークの騎兵がずらりと並んでいる。


「我がチェルボーヌイ連隊は、マリア・ダニーロヴナ・カルニーラフ中尉を歓迎する。これからよろしく頼むぞ」


 にかっと笑顔を見せる連隊長の背後で、赤地の軍旗が、勇ましそうにはためく。


 こうして、私の新しい人生が始まった。



 ***



「ソフィア! マリアは完全に排除しておいたぞ! 今頃は土の下だろうな」

「え?」


 私、ソフィア・キリロヴナ・ミロスラフスカヤは呆然とするしかなかった。この大貴族の後継者は何を言っているのか。


「コザーク共に始末を頼んでおいたんだ。ソフィアをコケにして来た挙句に、罪の一部をソフィアに押し付けようとした奴だ、追放程度じゃ生温いよ」


 そっちの貴方も何を言っているの? 国政に関わる貴族議会の大物の息子よね?


「大丈夫、もう二度とアイツの顔は見なくて済む。安心してくれ」


 全然安心出来ない。始末? 土の下? そこまでは望んでない。殿下の好意を持っていって腹立たしかったのは確かだけども、ただちょっと邪魔だっただけ、追放されればそれで良かった。なのに……。


銃兵隊(ストレリツィ)の方も胸のつかえの一つが取れたと言っていたよ、軍務局長の片腕をもげたって。これで秩序を破壊しようとしている連中の動きが鈍くなるね」

「しかし、皇王陛下(ツァーリ)も皇太子殿下も我ら大貴族や銃兵隊(ストレリツィ)を遠ざけようとしている。陛下と殿下を唆している連中を排除しないと完全に解決しないだろうな」


 私を置いてけぼりにしてどんどん壮大な話が進んでいく。


 ()()()()()を自覚してからは、このゲームか小説の様な世界を楽しんで生きてきた。貴族に生まれたのもラッキーとしか思っていなかった。

 貴族としての教育を受けてからは、流石に政治や貴族の役割と責任を理解したけれど、マリア達の改革はそれを滅茶苦茶にする非現実的なものに見えていた。

 両親や周囲もそんな事をしょっちゅう言っていたのもあって、マリアは公私共に邪魔に思えたのだ。でもまさか命をまで奪うなんて。


 自分が身を置く貴族社会が急に恐ろしく感じていると、大貴族の青年達は話題をマリアの実家に移した。


「そういえばマリアのカルニーラフ家って、マリアの案で化粧品事業起こそうとしてたらしいね。マリアが白鉛入りの白粉は人体に有害だって主張して、安全な化粧品を製造販売する予定だったとか」


 ……え?


 思わず自分の頬を(さす)って、指に付いた白い粉を凝視する。


「はぁ? 鉛なんて葡萄酒によく甘味料として入ってるだろ。葡萄酒の味を良くする鉛が害だぁ? 意味が分からん」

「元々マリアは化粧嫌いで有名でね、西方の書物を読んでから母親を始め貴族の女性が貧血や病気がちなのは白粉のせいだって言い出したそうだよ。化粧品事業は結局両親に任せてたそうけど、マリアの不正騒ぎでカルニーラフ家もどうなることやら」

「マリアの家なんざどうでもいい。それよりも父上によると軍務局の動きが鈍っている間に、改革派の連中を排除する機会を――」


 彼らの話に、自分の顔が青くなっていくのを感じる。私はもしかしたら、公私共にとんでもないことをしでかしたのではないだろうか。




 一月後、皇都にて課税強化に反発する民衆と給料不払いに耐え兼ねた都市(ゴロドスキー・)銃兵隊(ストレリツィ)の一部が暴動を起こす。

 これに大貴族と近衛隊である選抜(ビボルニ・)銃兵隊(ストレリツィ)が便乗して、中央政府へのクーデターを試みた。

 彼らは民衆の支持をもって中央政府を打倒し、皇王(ツァーリ)に貴族議会の権限強化を迫ろうとしたのである。


 しかし、クーデターに対して新式軍の皇室親衛連隊と皇都駐屯連隊が緊急出動。砲兵部隊の大半が改革派の人間であった事に加え、最新の燧発式(フリントロック)前装銃(マスケット)を装備した新式軍の圧倒的火力を前に、主装備が火縄銃と半月斧(バルディッシュ)銃兵隊(ストレリツィ)は手も足も出なかった。

 なおこの反乱において、アレクセイ皇太子率いる部隊とマリア・カルニーラフがかつて所属した部隊が目覚しい活躍を遂げたという。


 クーデターが粉砕され暴動も鎮圧されると、皇王(ツァーリ)と中央政府は大貴族の粛正に乗り出した。数多くの貴族が処刑或いは投獄され、権勢を誇った一門もほとんどが衰退する事となる。

 皇太子妃候補と目されていたソフィア・ミロスラフスカヤも、ミロスラフスキー家没落により修道院へ入った。


 大貴族の力が弱まった皇国は中下級貴族の積極登用により、貴族議会の形骸化と中央集権化に成功。諸改革の軌道に乗り、大国としての地盤が出来上がる。

 皇都で歴史が大きく動いた一方、チェルニーヒウにいるマリアは……。




「皇都で暴動? ふーん」

「ふーんって、呑気ですねぇ」


 毛皮の円柱型帽子を被る青年の言葉に、草の上で寝転がったマリアはのんびりとした様子で答える。


「ここから皇都までどれだけあると思う? 私達が出来る事なんか何も無いし、そもそも心配要らない。新式軍もいるし中央政府の砲兵局が改革派だから砲兵隊も皆味方だしね」


 マリアは青空を見上げながら、一度大きく息を吸う。皇都の不衛生な空気とはまるで違う爽やかな空気に、自然と笑みが浮かんだ。


「何だかんだ、ここに来て良かったかなぁー。派閥が入り乱れてるって聞いたから、内紛に巻き込まれるかと思ったけど、意外に平和だし」

「今の棟梁(ヘーチマン)が上手い具合に派閥調整してますからね。しばらくは落ち着いているでしょう」

「良いねぇ、ちょっとした休暇だ。さて……休憩終わり、畑仕事の手伝い再開!」

「はい、マリア中尉殿」


 マリアは晴れ晴れとした顔で立ち上がり、農地へと向かった。その後ろをこの一月で親しくなったコザークの青年が、従兵よろしく付いて行く。


 畑へ入って鍬を振るうマリアは、楽しげに呟く。


「これぞスローライフ。前世どころか今世でも諦めてた事が出来るなんて、追放されて得したなー」


 そんなマリアをコザークの青年は、どこか眩しそうに見つめていた。


 後にこの二人は、親交のある仲間と共に東方探検で名を馳せる事になるのだが、それはまた別の話。



本作は連載を考えていたものですが、現在執筆中の連載作品を最優先にしているため、読み切りという形で投稿しました。なので少し無理矢理詰め込んだ感があると思います。

そんな作品を最後まで読んで頂きありがとうございました。


皆様のアクセス、反応と自分の気分次第でいつか連載するかもしれません。その時はよろしくお願い致します。



以下、キャラ設定などの解説


マリア・ダニーロヴナ・カルニーラフ

男としての前世を持つ女性。前世の記憶のせいか性同一性障害状態。なおマリアの両親は、性同一性障害をきちんと理解しているわけではなく、一時的なものだと思ってマリアの入隊を認めている設定。

追放後スローライフを満喫していたが、東方探検の任務を受けて数人のコザークと共に東方へ旅立つ。

道中、貿易を著しく制限している極東の島国の存在を知ると、東方探検に生涯情熱を注ぐようになった。が、存命中にその島国を訪れる事は出来なかった。

軍歴については実在の女性軍人マリア・ボチカリョーワをある程度モデルにしている。

カルニーラフの元ネタは帝政ロシア軍人ラーヴル・コルニーロフ。


マリアの実家カルニーラフ家は大貴族粛正後に中央政府に登用され、マリアの不正騒ぎの風評も搔き消える。なお化粧品事業からは早々に撤退した模様。


アレクセイ皇太子

皇位継承第一位。皇子は軍将校を務める事が普通であったが、本人の希望で身分を明かさずに一年を軍で過ごした。

その時に行った軍事演習で、マリアを始め数人の将校から指揮の面でボコボコにされている。ボコった側は正体を知って蒼白になったが、本人は逆に好印象を持った。

クーデター時、マリアと会えなくなった恨みを反乱軍にぶつける。

皇王(ツァーリ)になってからは、内政面で多くの業績を残すも治世後半では西の王国との戦争やコザークの反乱を招く失態を演じた。歴史家からの評価が安定しないタイプ。


ソフィア・キリロヴナ・ミロスラフスカヤ

マリアと同じく転生者。大貴族粛正で実家が没落した為、修道院へ入った。マリアの事は死んだと長い間思い込み、懺悔の生活を送る。

後に、無鉛白粉の商品化と鉛中毒の周知を行うが、いずれも失敗に終わった。後世では無害化粧品の先駆者として称えられている。



史実からの固有名詞


皇国(ツァールストヴォ)

モデルはロシア・ツァーリ国。ツァールストヴォとはツァーリを君主とするツァーリ国のこと。ツァーリは皇帝とも訳されるが、実際に皇帝に当たるのはピョートル大帝が名乗った「インペラートル」なので、ツァーリは皇帝ではない。

ツァーリは欧州や古代中国の爵位で当てはまるものが無いロシア独特の地位で、上手い訳が無い。一部文献だとツァーリ国を皇国と訳しているらしいので、本編では皇国と皇王という字を採用した。



銃兵(ストレッツ)銃兵隊(ストレリツィ)

元ネタは「雷帝」イヴァン4世がオスマン帝国の常備歩兵軍イェニチェリを参考に創設した欧州初の常備軍ストレリツィ。

対タタール戦やカザン征服などで活躍したが、イェニチェリと同じく時代とともに腐敗や旧式化が進み、反乱やクーデターを起こす事もあった。ピョートル大帝によって解体される。

ちなみに一度解体する予定が戦争で中断されたのもイェニチェリとそっくり。

ストレリツィの再現

https://www.youtube.com/watch?v=BcV750vxBYc



コザーク

元ネタはコサック。コザークはウクライナ語読み。ウクライナを中心に勢力を持っていた軍事共同体。非常に優秀な軽騎兵として有名。

起源は不明だが、本編と同じ様に脱走農奴や遊牧民などが集まって拡大したとされる。

単独での力が十分とは言えなかった為、ポーランド・リトアニア王国やロシアの保護下に入っていたが、独立意識の高さから度々支配に反発、反乱を頻発させるなど安定しない歴史を持つ。

一時はヘーチマン国家という形で独立したが、最終的にロシアに支配された。

本編のコザークはザポロージャ・コサック(ウクライナ・コサック)をモデルにしている。

ザポロージャ・コサック

https://www.youtube.com/watch?v=4j4AYK8KGKU


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― 新着の感想 ―
このように素早く、心温まるご返信をいただけたことに、私は本当に驚きと喜びで胸がいっぱいです!とりわけ、マリアと彼女の愛馬との深い絆が、私が最初に思い描いていたものと見事に重なり、共鳴する瞬間がとても嬉…
私は貴方のマリアに関する素晴らしい小説をすべて読み終わりました。読み進めるたびに心から楽しみ、まだ余韻に浸っているところです。マリアは本当に素晴らしいキャラクターで、伝えたい感想が山ほどあります!この…
[良い点] 近世ロシア独特の時代背景や雰囲気が伝わってきてとても興味深く、また文章もテンポよく一気に読めました! 短編でしたが、同じ主人公の別のお話も読んでみたいと思いました。 [気になる点] まぁ、…
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