幼魔女2
シュヴァリエの噂を以前から聞いていたルイは、痛む額を押さえて机に体重を預けた。
「いや、うん、まあ、お前が言いたいことは分かる。しかし、お前のこの国一番の武人をつけろという要求を飲もうとするとな、都合がいいのがどうしてもアレしかいないんだ」
「ですから、ベルナールド殿をシェリにください!」
「私かい?」
びしっと指差され、突然降ってかかった火の粉に目を丸くする。
無理だ、とすぐさま否を示したのはルイだった。
「これは俺の護衛だし、王国騎士団団長だ。そんな簡単に貸し借りできるような立場の男じゃない」
「……ならば、もう結構です。森に帰ります」
「まあ、待て待て。シュヴァリーはああ見えてなかなかに腕が立つぞ。中身はアレだが、王国のなかでも指折りの剣士だし、性癖はアレだが、紳士的な男だから女性に無体は働かない。頭はアレだが、」
「殿下、それ以上はおやめになったほうがいいかと」
レオの言葉に、相変わらず肩を震わせているリアムに気付いた。説得しようと試みたのだが、どうやら逆効果だったらしい。
どれだけ良いところを並び立てても、どうしても足を引っ張ってくるあの趣味さえなければ、本当にどこに出しても恥ずかしくない立派な騎士なのだ。……悪癖さえなければ。
とにかく、とわざとらしく咳払いをする。
「ひとまず、お前の仕事が落ち着くまで一ヶ月程度、様子を見てみないか? その上でどうしても不可と判断したのなら、森へ帰れば良い。色々言ってはいるが、お前は簡単に手放すには惜しい人材なんだ」
「ふん、ようやく先生の弟子の価値に気がつくとは、相変わらず凡庸な王子のようですね」
澄ました態度で髪を後ろに払うリアムに、ルイの頬が引き攣った。彼と相対するうちに何度聞いたか分からない声が、抑えて、と囁いてくる。
ようやく普段の調子を取り戻してきたのだ。このまま機嫌がいいうちにさっさと仕事に戻ってもらおう。
「それでは、一ヶ月ここに留まる条件として一週間に二日、そちらのレオ・ベルナールド様をシェリにお貸しください」
「あのな、再三言っているが」
「貸してくださらないのならば、今すぐ森へ帰ります」
「はあ? そんなこと……ッ、ああっクソ! 分かったよ、許可しよう!」
「寛大なお心、感謝いたします。ああ、それと、これも予めお伝えしておりましたが、夜の間は僕が隣にいますので、くれぐれも人を寄越さぬようお願い致しますね。王太子殿下」
白々しく笑う少年に、もう好きにしてくれと天井を仰いだ。あの小賢しい少年に口で勝てる未来が想像できない。執務室を出た瞬間他の魔法使徒に捕まったようで、聞こえてきた甲高い悲鳴に胸がすく程度だ。
何の気なしに見上げた先の、困ったようにルイを見下ろすレオに気が付いて、眉尻を下げて微笑んだ。
「すまない、レオ。お前をこんなことに使ってしまって」
「構いませんよ。私というカードはあなたのものなんですから、好きなように使ってください。しかし、くれぐれも安売りはされませぬよう。私は意外と、切り札にも使える手札ですので」
人差し指を唇に当てて片目を瞑る仕草は、精悍な顔立ちの彼がすると酷く様になる。
すげえな、という独り言は、意識して呟いたものではなかった。
「お前、いつもそういう風に女性を口説いてんの?」
「は?」
「いや、何でもない」
体を起こして書類との睨めっこに戻ったルイの背中を、疑問符を頭中に浮かべながら見つめた。
この男、顔がよく、体つきがよく、性格が良く、家柄もいい完璧な男だが、ひとつだけ欠点を言えば、己への評価に無頓着だった。
***
可愛いものが好き。
リボンに、レースに、お人形、それから甘い砂糖菓子。
だから、そういう可愛いもので作られた女の子はもっと好き。
シュヴァリエ・シュヴァリーは可愛いものが好きだった。可愛くて、ちいさな女の子は、もっと好きだった。
人々の間で噂されているように幼女へ恋愛感情を抱いたことは、己の名誉のために宣言すれば一度たりともない。ただ、可愛い彼女たちを愛でて、飾り立てればそれだけで十分満足だった。
そんな彼は今、自分の理想が服を着て、しかも歩いて、喋っているという現実を直視できないでいた。
陽に翳せば透けてしまいそうな色素の薄いブロンド。蜂蜜色の瞳はくりくりとしていて、周囲を縁取る睫毛はまるで精巧な人形のようだ。未踏の雪のような白い肌は清潔で、そこだけ色を落としたような唇は、可愛いさくらんぼ色。
真っ白のワンピースは、シュヴァリエが彼女のために用意した。胸元には大きなリボンがあって、袖には幾つも重なった繊細なレース。腰から先にはやわらかなフリルが重なり、腰には大きなリボン。
まるで御伽噺のお姫様のようだし、よくできた人形のようでもある。
さっきから床で転がり続けているシュヴァリエを、不思議そうに首を傾けて見下ろす姿に、とうとう鼻の奥の血管が切れた。
可愛い。可愛すぎる。こんなに可愛い存在でヌいているなどと下卑た噂を立てる不届き者たちの首を刎ねていきたい。崇高な存在は、綺麗に、可愛く飾り立てて、そこに存在するだけで十分なのだ。
「あの……シュヴァリー様」
「天使が喋った……!」
「あの……」
さっきからずっとこの調子なのだ。やりにくくて仕方がない。
ただでさえまともに人と話したことが少ないシェリにとって、目の前の青年は触れるのも躊躇う新種の生き物としか思えなかった。ハンカチを赤く染め上げながら息も絶え絶えな様子のシュヴァリエに、意図せず体が後ろへ引いてしまう。
「うっ……、失礼しました、白の魔女の弟子様。何なりと御用命をお申し付けください」
「あっ、私のことは気軽にシェリと呼んでください。私は、お兄さまほど出来のいい魔法使徒ではないんです……」
「でしたら、俺のこともシュヴァリエと呼んでください。それでおあいこ。ね、シェリ様」
「えっと……、はい、シュヴァリエ様」
恥じらうように頬を桜色に染めて躊躇いがちに呟かれた名前は、それだけで途端に神聖さを帯びたように感じた。
蜂蜜よりも、砂糖よりも甘い味が、舌の上に広がる。
膝から崩れ落ちたシュヴァリエは、「シュヴァリエでよかった……」という謎の言葉をもらして静かに涙を流した。
「あの、シュヴァリエ様。ひとつ、お聞きしたいことがあるんです」
「俺に答えられることであればお答えしますよ」
「森の中まで私たちを訪ねてこられた方達のお名前をお聞きしたいのです」
「ああ、殿下と団長?」
「デンカとダンチョウ?」
長い間森の奥に住んでいたせいで、随分聞きなれない言葉だった。
デンカ様とダンチョウ様……と呟くシェリに、笑いながら違いますよ、と膝を曲げた。目線の高さを同じくらいにして、自分の両目の端を吊り上げて見せる。
「こんな怖い目つきをした方がルイ・ド・フランクイヒ王太子殿下。次期国王で、この国で今二番目に偉い人です。一緒にいた背が高い方がレオ・ベルナールド団長。王国の平和を守る王国騎士団団長で、城にいる間は殿下の護衛のためにずっと後ろに張り付いています。お二人は幼い頃からの仲で、格別の信頼を預けているそうですよ」
「ルイ様とレオ様……」
「あっ、団長のことはお名前で呼んでいいけど、さすがに殿下をお名前でお呼びするのはマズイかもですね。怖い顔をしたレディたちに虐められちゃう」
「っ!」
慌てて唇を両手で覆うシェリに、シュヴァリエの顔がだらしなく緩んだ。
こんなところをルイにでも見られれば、弁解の余地なくロリコンの烙印を叩きつけられてしまうに違いない。全くの間違いじゃないだけに、弁解が難しいのが悩ましいところだが。