初恋魔女10
「……革命、というのは、やはり度重なる重税のせいでしょうね」
そう告げたのは、リアムだった。
すっかりぬるくなった紅茶を飲み干すこともなく、手持ち無沙汰そうに両手で握っている。
フランクイヒ王国は現在財政難に陥り、多大な借金を背負っていた。その借金を返すために更に借金を重ねる悪循環にハマっており、第三身分のみに課せられた課税により国民の大多数に不満が蓄積していた。
多くの陳情書が城に寄せられているが、王がまともにそれらを目にしたことはない。
この国のトップは同盟のために隣国から送られた浪費癖のある王妃と、そんな王妃の陰に隠れてしまう優柔不断な王だった。
「これまでにも国民たちの間に不満は多く横たわっていたはずです。それが最近になって爆発したのは、政治に参加する機会だと睨んだ第三身分のブルジョワたちが煽り立てているんでしょう。最近じゃあ、市井では啓蒙活動が活発に行われているようですよ。『第三身分とは何か』と謳ったパンフレットが、ゴミ芥のように印刷されて町中にばら撒かれています」
「……規制は掛けているはずだが?」
「そんなものを掛けるから連中は余計に反発するのです。機嫌の悪い猫を手懐けるにはね、猫撫で声で擦り寄って甘い菓子を見せなきゃダメなんですよ」
「さすがは白の魔女の弟子ですね。人心の掌握の仕方を深く心得ていらっしゃる」
「……どうも」
レオの言葉に片目を細くして、ソファに背中を預ける。
今にも喧嘩を始めてしまいそうな雰囲気に、シェリの方がハラハラしてしまった。
喧嘩はダメですよと諌めたくなるけれど、たった今その喧嘩をしている最中なのは、シェリとリアムのほうなのだ。
「国民たちの不満を収めるには、やはり第二身分への課税をなんとしても押し通すしかないな。これ以上の増税も減税もできないとなると、どうやって第二身分の連中を丸め込むかだが……」
「簡単じゃないですか。あなた方王族が、もっと慎ましく生活なさればいい」
「……なに?」
ルイの目が細くなる。
怖い、顔だ、と思った。
なのに、リアムは気にした様子もなく、ぬるくなった紅茶を一口含んで顔をしかめている。どうしてルイの前でそんなに余裕を携えていられるのかと、やっぱり、シェリの方があわあわしてしまった。
「お、お兄さま! あまり軽率な発言はお控えくださいませ!」
「いや、構わないさ。リアム、君の率直な意見を聞かせてくれないか」
「それでは率直な意見として申し上げますが、早々に女王陛下を隣国に送り返すか暗殺してしまいなさい」
「おっ、お兄さま! それはあまりにも不敬が過ぎるわ!」
「どうしてだい、シェリ。君も森にいるうちから陛下の悪い噂は散々聞いてきただろう。ギャンブル三昧に浪費の数々。この財政難が彼女によるところではないとしてもだね、その浪費の一部でもパンに変えて民衆たちに与えれば、少なくとも王家に噛みつこうとする馬鹿な連中は現れなかったはずだよ」
「そ、そうだとしても……」
それでも、女王陛下はルイとフィリップの母親なのだ。
母親を殺してしまえと言われて、それも女王の首を指して、リアムが罰せられないとは思えない。
ぎゅっ、と胸の前でかたく手を握った。ソファから立ち上がって、ベッドの側まで駆け寄る。膝をついて、深く頭を垂れた。
「殿下、愚兄の無礼極まる発言、何卒ご容赦ください。女王陛下を陥れようとしたのではなく、ただ、ひとえにフランクイヒ王国のためを思ってこそなのです」
「シェリ、そういうのはこの人にはいらないよ」
「もう、お兄さまは暫く黙っていてちょうだい! 大体、お兄さまがあまりにも不敬極まりないことを申し上げるのが悪いのよ! お兄さまだって先生のことを悪く言われたら嫌でしょう? 自分がされて嫌なことはね、他人にもしてはいけないの」
「ふっ……!あっはははは! リアム、君の妹はとても可愛らしい子だね! 話に聞いていた通りじゃないか!」
「ぷっ……ふははは! あっ……あまり笑っては可哀想ですよ殿下っ」
「へっ……え……?」
突然腹を抱えて笑い始めたルイとレオに、シェリはおろおろと二人の顔を交互に見やった。一体、どうしたというのだろう。そんなにおかしなことを言ったつもりはないのだけれど。
奥の方ではリアムまでもが口元を覆い隠して肩を震わせている。
三人の姿を交互に見つめて、みるみるシェリの顔が赤くなっていった。
「だ……騙したのですねっ!」
「ふっ騙してはいないよ。ただ、お前がどんな子なのか、少し興味があっただけさ」
「私も言ったではありませんか、殿下。彼女はとても純粋で無垢な愛らしい少女だと。殿下だって何度か直接お会いしたことがあるでしょう」
「そのときはどこぞの番犬が邪魔をして、まともに会話もできなかったからな」
その番犬とやらは、シェリに睨まれるとツイと顎を上向けてそっぽを向いてしまった。
あくまでも自分は何も企んでいなかったと言いたいらしい。
ぷくりと頬を膨らませて、シェリもリアムと反対の方に顔をそらす。
「お兄さまなんてもう知りません」
「そう険を滲ませないでくれ。お前を試すような真似をしたのは、俺がリアムに頼んでのことなんだ」
「殿下が……? 一体どういうわけですか?」
尋ねられて、ルイの唇が真一に結ばれた。
夜色の瞳はフィリップによく似ている。
「改めて、シェリ・ヴンサン・ラ・ジュヴワ嬢。フランクイヒ王国 王位第二席ルイ・ド・フランクイヒより、白の魔女と同じく、奇跡の魔法を使う君に、頼みたいことがある」
その瞳に頼まれごとをするのは、二度目だった。
脳裏に、昨夜会ったばかりのフィリップの姿が過ぎる。
咄嗟にシェリは頷いていた。
フィリップと違ってまだ会ったばかりの、よく知らない少年の言葉に。
「私にできることがあるのならば、何なりとお申し付けくださいませ。ルイ殿下」
視界の隅で、リアムが眉尻を下げて、困ったような顔をするのが見えた。
何か言いたそうに口を開いて、すぐに閉じる。
「殿下はこの国の現状を変えようと必死になっていらっしゃいます。現在目の前にある財政難を乗り越えるためには、第二身分への課税が重大な課題ですが、第二身分からの反発が大きい。今度開かれる三部会も、なんとか課税を免れようとした第二身分から提案されたものなのですよ」
それに、シェリは「うん?」と呟いた。
第三身分の人々が現状を打破しようとしているのは知っている。だから、彼らが三部会を開いて第二身分への課税を認めさせようとしているのなら分かるのだが、第二身分の人々が三部会を開く理由がピンとこない。
「……何で第二身分の方々は、わざわざ三部会を開くよう提案されたのですか? そこで決定すれば、従わないわけにはいかないんですよね」
難しい顔をするシェリに、レオの顔が華やぐ。
教え子に対する教師のように、人差し指を立ち上げた。
「決定しないからですよ」
「え?」
「第一身分は貴族階級を、第二身分は主に聖職者を指します。しかし、実際には第一身分の家系において家督を継げない第二子以降の貴族が、第二身分の宗教家になる立場を取っていたのです。つまり、それぞれ三つの身分が集まる三部会を開き、その中において身分ごとの多数決で議決を取るとしたら?」
「……第一身分と第二身分が手を組んで、二対一の構図になります」
「そう、第二身分への課税は絶対に通らないんです」
「第二身分がただ騒いでいるだけなら話はまだ簡単だが、それだけではなく第三身分が自分たちの立場を独立したものにしようと声を大きくして騒いでいるから、余計ややこしいことになっているんだ」
「えっと……?」
「殿下が仰っているのはね、度重なる重税と圧政に耐えられなくなったっていうことだよ。彼らには参政権も人権も与えられず、渡されたのは多大な負担だけだからね」
このとき、第三身分には国王への租税の他に、領主への貢租、教会への十分の一税が課せられていた。
更にフランクイヒ王国の財政難により課税率は高まっていたため、国民たちの生活は困窮を瀕し、パンや食料を盗んだ罰により処刑される平民たちが多かった。
(西洋ヨーロッパにおいて後に開発されるギロチンと呼ばれる処刑器具は、最初、貴族も平民も関わらず安楽死するために作られたものだったが、次第に増す盗難者及び反革命者を効率的に殺害する目的で使われていた。)
聞き慣れない不穏な単語の数々が、ぐるぐると頭の中を駆け巡っている。そのうち頭から煙を噴き出しそうなシェリに、ルイが苦く笑った。
「とにかく、問題なのは我々の中に、その第三身分たちの不満を扇動して王家への不満を高めている不届き者がいるってことだ。三部会で俺たちが果たさなければならないのは、第二身分への課税を押し通すこと、第三身分の不満を解消させること、その不届き者を炙り出すこと、だ」
「わ……わたしは何をすればよろしいのでしょうか!」
ぷすぷす煙を噴き出しつつあるシェリが、声を高くして叫ぶ。
難しい話はよく分からないけれど、とにかく何とかしなければならないのは何となく分かった。
私にできることなら何でもします! と繰り返したシェリに、リアムは俯いて手の中の紅茶を見つめた。
うん、とルイが短く頷く。
「シェリには俺とともに三部会に出席してほしい」
「はい、畏まりま……へ?」
ぱちぱち瞬きを繰り返すが、ルイの微笑は崩れない。
もう一度、今度は殊更ゆっくり、同じ言葉が繰り返された。
告げられたばかりの言葉を、自分の中で噛み締める。
ルイとともに、三部会に出席する。
恐らくこの先のフランクイヒ王国の行く末を決める、大切な議会に。シェリが。王位第一席の王太子とともに。
ぱたん、と後ろに倒れたシェリに、リアムが慌てて駆け寄った。シェリ! と叫びながら、小さな体を抱き起す。
「あう……ご、ごめんなさい……。つい、びっくりしちゃって。だって、わたし、そんな大変なことできるか分からなくて……」
「お前は何もしなくていいよ。ただ、俺の隣で微笑んでいればいい。今この国が必要としているのは、白の魔女が扱えるような奇跡なんだ」
「でも……わたし、まだ先生みたいな凄い魔法を使えません」
「いいんだよ。シェリほどに一瞥しただけで魔力の高さがわかる魔法使徒は少ない。それだけで十分なんだ」
「でも……三部会には」
言いかけて、シェリは慌てて口を噤んだ。
つい思っていたことをそのまま口にしてしまうのは悪い癖だ。
どうした? と尋ねるリアムに、ぶんぶん首を横に振る。
三部会にはフィリップが出席する。そう言いかけたけれど、それは秘密なのだと、フィリップと約束したのだ。
どうして秘密なのか彼は教えてくれなかった。ルイたちには何も教えずに、ただ革命の時が迫っていることと、城の中にその扇動者がいることだけを伝えるよう、十分過ぎるほど釘を刺されていたのだ。
短い付き合いの中で、彼もシェリの悪い癖に気付いているようだった。
「わ、分かりました! 私、頑張ります。三部会に、私も出ます!」
「うん、ありがとう、シェリ」
少し怖く見える顔が、優しく笑った。
レーヌやリアム以外の人からお礼を言われることに慣れていなくて、擽ったそうに笑う。
「それじゃあ、シェリはもう部屋に戻るといい。リアムとはまだ少し話があるから、レオ、彼女を送ってやってくれ」
「ふえ!? そんなっ、私、大丈夫ですよ!」
「可愛らしいお嬢さんをひとりで放り出すわけにはいきません。どうか私めをお供に付き従わせて頂けませんか?」
いやに丁寧な仕草で、レオが腰を折って片手を差し出した。
おずおずと掌を重ねる。そうすればふわりと優しく微笑まれて、とうとうシェリの頭から本当に湯気が立ち上がった。
「あう、わわ、うあ」と小さい声で叫ぶシェリを立ち上がらせる。
「それでは、リアム様。殿下のことはよろしくお頼み申し上げます」
「ええ。ベルナールド殿こそ、シェリをお願いしますね」
一瞬だけ視線を交わした二人は、すぐにふいと顔を背けてしまった。
それを見たシェリの頭が、一瞬だけ冷静になる。
さっきの、リアムとレオの不穏な空気は。お芝居だと思ったけれど、本当だったのかもしれない。
それならば、どうして?
二人がそんな風に険悪な仲にならなければならない理由が、シェリには分からなかった。
考え込もうとした意識は、けれど、レオの低い声に名前を呼ばれてすぐに霧散してしまった。心配そうな面立ちで覗き込まれて、また言葉にならない呻き声を漏らしてしまう。
ああ、フィリップ殿下!
惚れた方が世界で一番カッコよく見えるというのは、まさしくその通りでした!