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魔女は真夜中に恋をする  作者: 三浦理生
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初恋魔女8

フランクイヒ王国は、主に三つの身分で国民たちを分けていた。

国民の大多数を占める一般市民を第三身分、特権階級である貴族を指す第二身分、同じく特権階級を有する聖職者を指す第一身分。

(尚、他国では魔法使徒の数が極端に少ないため貴族身分の下位に権力を擁立するが、フランクイヒにおいては各身分に魔法使徒が多数存在するため、独立した身分を擁していない。)

税の徴収は第三身分からのみ行われており、全ての待遇に於いて第一身分、第二身分が優遇されていた。

フランクイヒ王国は現在財政難に陥っており、第三身分からの徴収は増す一方であった。これに第三身分は猛反発し、思想家を名乗る若者たちが発行するパンフレットには第三身分の立場を擁立する謳い文句が多数並び立てられていた。

また、どれだけ税収を増やし試みても財政難が軟化することはなく、ついに、現国王は第二身分へも課税を課すことを決める。

しかし、これに第二身分は今までの絢爛な生活が崩れることを恐れ反発。

困った国王は第三身分の熱量を利用をすることを考えた。

170年前に開催されて以来開かれることのなかった、三部会。それはそれぞれの身分から代表者を選出し、主に新たな課税を決める議会である。

国王はこの三部会にて、第三身分たちの熱量を第二身分へ向けさせ、『貴族身分への課税』を推し進めようとしたのだ。

ルイはこの三部会に、国王とともに出席することが決まっていた。

王位第一席である彼は、自然、次期国王の立場にあった。

おそらく、彼は未来の国王として毅然としたスピーチをしただろう。この国を背負う立場の人間として、現在この国が如何様な困難に陥っているのかを説き、その解決策を提案し、人々から支持を得ただろう。

ルイは、良き善王になる人だった。


「は……? 余が、兄上の代わりに……?」


ツンと澄ました顔のまま告げる男に、足元がふらついた。


「なっ……!」


短く息を吐き出して、男の胸倉を掴む。

老いた顔に深い皺を刻んで、顔を横に背けた。


「何故そのようなことを申すのだ! 兄上は、大事には至らなかったのだろう!」


フィリップとシェリが駆けつけたとき、治療室にはたくさんの人々が押しかけていた。慌ただしく行き交う人の群れを目の前に立ち尽くしたフィリップの肩に、シェリの温かな手が触れた。


「大丈夫ですよ、殿下。必ずルイ殿下は私が助けます」


彼女は、そう言って何度もフィリップを励ましていた。

また、彼女がそう言えば本当に大丈夫な気がして、安心してしまうのだ。

実際、三時間ほど治療室にこもっていたシェリは、高く結い上げていた髪を解き朗らかに笑いながら出てきた。

何もできない自分の愚かさを呪いながら待っていたフィリップの顔が、僅かに弛緩する。


「もう、大丈夫ですよ」


その、瞬間、また涙が湧き上がってきた。

わっと泣きながらシェリにしがみついて、よかっただとか、ありがとうだとか、そういうことを、言葉にならない声で捲し立てた。

今日だけで、もう一生分の涙を流してしまった気がする。目は腫れてみっともないし、きっと化粧はとっくに落ちてしまっている。

しかし、そんなことを気にする余裕はなかった。

シェリがいてくれてよかった、と言うフィリップに、少女は照れるようにはにかんだ。さっきまでは気が動転して気が付かなかったが、幼い姿の彼女は愛らしいが、成長した彼女は少し大人っぽい。丸い目の端は僅かにつり上がって、猫みたいな目だと思った。

可愛いと言うよりも、綺麗な女性だった。

シェリの名前はすぐに城で働く人々の間を駆け抜けていった。それは、白の魔女の弟子である彼らを称える声だ。

リアムは五行全てを扱える優秀な魔法使徒で、城仕えの人間を助けている。シェリは主に医学に通じていて、しばらく前にフランクイヒ王国を襲った病に効く薬を調合したのも、彼女だと言うのだ。

彼らがいれば、もう何も恐れることはないと思った。

これから先は大変なことが起こっても、きっとリアムと、シェリが、助けてくれる。

白の魔女の弟子たちが、これからはルイと、この国を支えてくれるのだ。


「シェリ……」


どれだけ詰め寄られようと表情を崩さない男から顔を背けて、驚くほど色のない、少女の姿を探す。

けれど、ここはフィリップの部屋だ。

ルイが襲われた時間から一夜を開けて、城は僅かに平常の落ち着きを取り戻していた。

少女らしい装飾品に囲まれた部屋のなかには、当然、シェリの姿はない。

何人かの権力者たちとメイドが、フィリップを逃すまいと取り囲んでいる。

助けて、と小さく呟いた。ルイを助けたときみたいに、もう一度、自分を助けて。

奇跡みたいな魔法を、君は使えるのでしょう。


「ここに彼女は来ませんよ」

「うそ……シェリ、どこ……シェリ……っ!」

「殿下、そろそろお戯れはこれまでになさいませんか。あなたはこの国の王太子であらせられます。ご自覚を持たれませよ」

「たすけて、しぇり」

「ルイ殿下の命に別状はございませんでしたが、今後万が一のこともある。そうなれば、次期国王はあなた様です。三部会への出席はそのための足掛けとお思いください。なに、殿下は何も喋らず、ただそこにいてくださればよいのです。全ては、私どもが御手配申し上げます」


それでは、ただの人形じゃないか。

綺麗に飾り立て、そこに座るだけの人形に、何の価値があるというのか。

不意に、フィリップの動きが止まった。

恐る恐る、男を下から見上げる。


「だいたい、白の魔女などという得体の知れない女の弟子を簡単に城に招き入れるなど、ルイ殿下はご乱心召されたとしか思えない」


この顔を、フィリップは知っている。


「フィリップ殿下に王位が移ってからは、そのような馬鹿げたマネをしないよう、我々が誠意を持って殿下を御支え致します」


幼い頃、彼に同じように諭されたのを、思い出した。


「そのような巫山戯た格好もこれまでにして、王太子に相応しい装いに変えませんと。大丈夫。全て私が御手配差し上げますよ、フィリップ殿下」


嫌味なしたり顔も、幼い子どもを己なら御せれると考えている傲慢さも、なにもかも、変わらない。


「貴様が……ッ」


幼い頃、フランクイヒ王国のためだと、狙ってもいない王座を守るためだと、そう欺瞞を並び立てた男だった。

奥歯が欠けるほど、強く食いしばる。

大きく足を踏み出して、男の胸倉を掴み上げた。


「貴様がそれを申すのか! アルトワ伯よっ!」


血が沸騰するのが分かった。目の前が白く点滅している。

鼻息を荒くするフィリップに、しかし、アルトワは嫌に丁寧な仕草でフィリップの指を解いて言った。


「お可哀想に。殿下は何か勘違いしておいでのようですね。私は昔も、これからも、フィリップ殿下のお味方でございますよ」

「ふざけるなよ……ッ! 貴様が今の余を作ったのだ! その業を忘れ去り、また、奪うというのか!」


胸倉を押し返して、男を突き飛ばす。

二人を取り囲む給仕や騎士の面々を睨みつけるように見渡した。

赤い髪を探す。どこにいたって目を惹く、鮮やかな赤を。


「シュヴァリエ! いるのだろう、さっさと出てこい!」

「シュヴァリーの倅は殿下が免職申し上げたではありませんか。奴はもう殿下のお側に来れる身分ではありませんぞ」


胸元の皺を指先で伸ばして、つまらなさそうに呟いた。

それよりもシャツについた皺が気になるようで、つまんだり伸ばしたり落ち着きがない。

こんな男に未来を奪われ、次は都合のいい人形にされるのかと思うと、怒りを過ぎて笑いが込み上げてくる。


「はっ……ははは……、あははははっ!」


背中を丸めて、声を出して笑った。

こんな、男に。

己の権力ばかり考えているような男に。

奪われたのか。

あったかもしれない未来を。

あったかもしれない幸福を。

シュヴァリエと、普通の主従でいられたかもしれない関係を。


「嗚呼……もうやめた」


髪を結っていた紐を取る。

長い黒髪が宙に舞い、腰に降りた。

目尻が跳ねた、気の強そうな目が、まっすぐにアルトワを射抜く。

反射的に一歩後ずさった彼を追いかけるように、右足を踏み出した。


「いいのか、シュヴァリエ。このような男に好き勝手言わせているままでは、余のムシの居所が悪いぞ」

「それは困りますね。殿下のご機嫌を取るには、とっておきのアップルパイをご用意しなくてはならない」


アルトワの後ろに控えていたメイドが、左手に持ったシルバーのナイフをアルトワの首に突き付けた。

「ひぃ!」と短い悲鳴をあげるアルトワの右手を後ろに回しあげて関節を締めあげる。


「なっ! 貴様、何のつもりだ!」

「動くな! 一歩でも動けば首を斬る!」

「ッ!」


メイドを取り囲もうとした騎士たちの動きが止まる。

全員腰の剣に手を伸ばしつつ、それ以上動けないでいた。

メイドは、赤い髪をしていた。女性と言うには鍛えられすぎた体は、メイド服には酷く不似合いだ。

好戦的に笑う顔は、もう何年も見つめ続けた青年だった。

ただ、見慣れた男というには少々……いや、かなり無理がある。

フィリップは呆れたように息を吐いて、腰に両手を当てた。


「お前、なんだその格好は」

「護衛のお暇を頂戴しましたので、今度は殿下付きのメイドにでもなろうかと今朝メイド長にお願いしたのです。なかなか似合っているとは思いませんか?」


事情は心得ているらしいメイド長が、自信満々に胸を張るのが視界の隅に映った。

その心意気は嬉しいところだが、もっと他にあっただろう。執事とか給仕係とか。何でよりによってメイドなんだ。

ぐっと息を飲み込んで、声を張り上げる。


「気味が悪いわ! お、お前は騎士の装いの方が、うんと、ずっと、か……っ、かっこいい!」

「ッ! あははは、殿下! シュヴァリエは今、大変嬉しゅうございます!」


今にも踊り出しそうなほど喜色を全身に浮かべるシュヴァリエの手の中では、不安定にゆらゆら揺れるナイフにアルトワが顔を青褪めさせている。


「シュ、シュヴァリー家の倅か! 気色悪い格好をしおって! 私に働いた無礼は全て本家に報告させてもらうぞ!」

「ううむ、それは困りますな。仕方がない、閣下にはここで死んでもらいましょう」

「待て待て待て待て待て! この件は内密にしてやるから私を殺すな! 今すぐ解放しろ! やめろ! お前たちもボケッとしていないで私を助けんか!」

「しかしながら閣下! 閣下のお命を人質に取られている限り、我々は動けぬのでございます!」


メイド長が胸の前で手を組んでいけしゃあしゃあと言ってのける。

目に涙を溜めて如何にも悲痛な様子だ。シュヴァリエの企みに協力した張本人が、である。

女とはかくも恐ろしいものなのかと、ぶるりと背筋を震わせた。

不意に、シュヴァリエの目が優しく細められた。


「殿下、シュヴァリエは殿下のお側に戻って参りました。次は何をお望みでしょうか?」


やわらかな声。

この声に、フィリップは今まで何度も甘やかされてきた。

ドレスの裾をぎゅっと掴んで俯く。

咄嗟にシュヴァリエを呼んでしまったが、昨日の今日でどんな顔をすればいいのか分からなかった。


「シュヴァリエ……、その……昨日はすまなかった。今更何をと思うかもしれないが……も、もう一度、余の」

「殿下」


やわらかな、声が、またフィリップを甘やかす。

いつだってフィリップのことを考えて、側で守ってきてくれた。

じわっと視界が滲んだ。

今はおかしな出で立ちをしているけれど、彼はやっぱり世界で一番かっこいい。

この気持ちは恋じゃないかもしれない。

ただの憧れかもしれないし、執着なのかもしれない。

それでも、好き。

笑うと悪役みたいな顔になるのが好き。強いところが好き。ナイフを握る指先だってかっこいい。城ではアルトワ伯がかっこいいと女性たちに持て囃されているが、シュヴァリエの方がずっとかっこいい。

悪そうな顔のまま、しぃ、と人差し指を唇に立てた。それがあんまりにも様になっていて、頭がクラクラする。


「殿下に魅力的な悪女への変身方法を教えましょう。秘訣は簡単。忠実な犬が必死になるのを、高みから優雅に見下ろして命令するだけでよろしいのです。さあ、ご命令を」


シュヴァリエがいないと、息の仕方が分からなくなる。どうやって生きていけばいいのか分からなくて、真っ暗な暗闇に一人放り出されたような焦燥に襲われるのだ。

恋はもっと純粋で、無垢で、綺麗なものだけれど。

自分の感情にくらい、自分で名前をつけてもいいでしょう。


「……シュヴァリエ、命令だ。余をここから攫い出せ!」

「Oui! Mon altesse!」


鮮烈な赤が目の前を横切った。

体を抱きかかえられて、窓の向こう側に体が飛び出す。シュヴァリエの首にしがみついて見つめたアルトワは、腰を抜かして床に座り込んでいた。

窓の向こうに体が飛び出す。メイドたちが甲高い声で悲鳴をあげて顔を背けた。そのなかで、メイド長だけが胸の前でかたく手を握りしめたまま、祈るように必死な眼差しで二人を見つめている。

その表情が、八年前の記憶と重なった。

ああ、そういえば君も、あのときこの部屋にいたのだね。窓から飛び降りたフィリップを追いかけるように、真っ先に窓枠にしがみついたのは彼女だった。

八年で、随分と出世したじゃないか。


「……余には君しかいないと思っていたが、どうやら違ったらしい」


ルイが、レオが、シェリが、脳裏に浮かぶ。

今ならシュヴァリエがいなくなっても、意外とどうにかなるのかもしれないと思った。

彼と離れた短い間、それでもフィリップは息をしていたし、食事をして、眠って、生きていたし、二本の足で立っていた。

体がどんどん地面に落ちていく。

シュヴァリエの指先が階下の窓枠を掠めた。彼の唇から小さな声が出る。もうひとつ下の窓枠に掴まるより早く、フィリップの小さな手が壁の窪みを捕まえた。


「殿下っ!」

「ぅあ……っ!」


二人分の体重を支えているせいで窪みに食い込む指先は赤く充血していた。

慌てて窓枠に足を乗せて、窓ガラスに勢いよく拳を叩きつけた。破片から守るようにフィリップを抱き締めて、廊下に転がり込む。


「あんな無茶をするなんて、何を考えていらっしゃるんですか!」


叱咤とともに両手を包み込まれた。

傷ひとつなかったはずのその手は黒く汚れ、未だ赤く染まっている。

君が窓から飛び降りなければよかったんだ、とか、君こそ無茶をしたなとか、言いたいことはたくさんあったけれど。それを全部飲み込んで、シュヴァリエの両頬を挟み込んだ。


「シュヴァリエ! 好きだ!」


それは、まるで向日葵が咲いたような顔だった。

きっと、明日からはシュヴァリエがいなくたって生きていける。兄がフィリップのことを本当に大切に思ってくれていることが分かったし、彼の護衛も何だかんだ優しいようだ。それに、友達ができた。可愛くて、博識で、昼間は同い年くらいなのに夜になると大人になる不思議な女の子。

それでも、やっぱり、隣にいてくれるのはシュヴァリエがいい。


「で、んか……っ、俺は!」

「何も言うな。今は、これだけで充分だから!」


シュヴァリエに恋をしなければ、その相手がレオやシェリであれば、フィリップは泣かなかったかもしれない。今よりももっと幸福で、笑って、過ごしていたのかもしれない。

それでも、違う幸福な未来を選べるとしても、何度だってシュヴァリエに恋をする未来を何選ぶのだろう。

最近この小説のヒロインが誰かわからなくなってきました。

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