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魔女は真夜中に恋をする  作者: 三浦理生
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初恋魔女3

少女のような愛らしい見た目をした少年に睨め上げられているシェリは、背中を丸めてガクガク震えていた。

さっきは彼が胸の内に秘めている恋心に気付いて勝手に仲間だと浮かれてしまったが、よくよく考えれば、恋する相手がいる前で己の恋心を指摘されるなど、恥ずかしいったらたまらないはずだ。

特にフィリップは王位継承第二席を賜るこの国の王子で、少年で、恋をする相手もまた男性なのだから。シェリとは全く異なる境遇の彼のことを思えば、今から殺されても文句は言えない、と覚悟を決めて目を閉じた。


「シェリ、さっきは大きな声を出してすまなかった。その、君が余の気持ちに気付くとは思わなくて、驚いてしまったんだ」

「ふえ……?」


恐る恐る目を開いた向こう側には、本当に申し訳なさそうに眉尻を下げるフィリップの姿があった。


「お、怒っていらっしゃらないのですか?」

「何故怒る必要がある? 君は真実を指摘しただけだ」


夜色の目を細くすると、ルイによく似ている。

かわいい、けれど、少しだけ男の子っぽい。

余裕を携える姿は、やっぱりこの人も王子様なんだと思った。


「お、恐れながら、申し上げてもよろしいですか?」

「ああ、どうぞ」

「えっと、私、フィリップ殿下に嫌われているのだと思っておりました」

「余が、君を?」


丸い目がさらに大きくなって、こぼれ落ちてしまいそうだ。

咄嗟に差し伸べそうになった手を胸の前で組んで、ぎゅう、と固く両手を握りあわせる。


「はい。先程初めてお会いしたとき……、あの、まるで仇にするような怖いお顔をしていらっしゃいましたので。それに加えて先程の無礼に怒っていらっしゃらないのは、その……ちょっとだけ、不思議……です」

「ふふふ、仇とはその通りかもしれない。君は余の恋仇だからね」

「私が殿下の?」


思わず、大きな声が出てしまった。

少し離れた場所にいる護衛二人を尻目に捉えたフィリップに、しい、と示されて、慌てて唇を覆う。

いい子、と言って笑うと、目が細くなる。怖いと思っていた吊り目は、よくよく見れば猫みたいだと思った。

フィリップの手は、シェリみたいに小さくて、柔らかくはない。男の子の手だ、と言葉にしないで思う。


「シュヴァリエは元々余の護衛だったんだ。それが、君が来てからはシェリの護衛になっただろう? 大好きな人を取られたら、そりゃ悔しいさ」

「あっ、私……っ、ごめんなさい。お兄さまに言って、シュヴァリエ様にはちゃんと殿下の護衛をしてくださるようお願いします!」

「それは嬉しい申し出だけどね、週に二日会う方がずっと情熱的だ。会わなかった間の出来事をたくさん話せて、今日はいつもよりうんと楽しかった。シェリのおかげだ、ありがとう」


彼はシュヴァリエの名前を出すと、嬉しくてたまらない様子ではにかむ。かわいい、と思った。今度はちゃんと伝えたくて声をこぼしたら、ぽすぽすと赤くなる。「ありがとう」と言って耳に髪をかける仕草だって、かわいい。

フィリップは恋をすると女の子になる。

これは、きっと、白の魔女さえ知らない奇跡の魔法だと思った。

シェリしか知らない。フィリップにしか使えない。

恋って、すごい。


「殿下は、どうしてシュヴァリエ様のことが好きなんですか?」

「そうだなあ、奴はまず顔がいいだろう? それに紳士だし、強いし、あとやっぱり顔がいい」

「ええ、そんな理由で?」

「恋なんて、実際にはそんな理由しかないんだよ」


それなら、レオの方がずっといいと思った。

精悍な顔立ちのなかに涼しさと優しさが滲んでいて、笑うと目尻に皺が寄るところがたまらない。突然現れたシェリに優しくしてくれるし、騎士団の団長だからきっとずっと強いはずなんだ。

それを伝えたくて、でも言葉にするのは恥ずかしくてうずうずしていたら、フィリップはおかしそうに笑って「分かるよ」と短く言った。


「惚れた男が世界で一番かっこよく見えるものなんだ。だから、余にとってシュヴァリエが世界で一番かっこいい」


ツンと澄ましていると少し怖くて、恋をすると可愛くて、ふとした瞬間ちゃんと男の子になるフィリップは、そのときはまるで世界の全てを見通しているような、達観した大人の顔をしていた。


「殿下は……すごいですね。可愛くて、かっこいいです」

「可愛いは嬉しいが、かっこよくはないよ。子どもの頃はよく泣いていた。こういうドレスもね、本当は着たくなかったんだ。だけど、周りの大人たちは怖い顔をしてドレスを着ろって言う。わけがわからなくて泣いているうちに、無理矢理着せられていた。元々持っていた服は全部捨てられた。ドレスしかない衣装部屋で、余は男なのにって余計に泣いたよ」


懐かしいなあ、と呟いて、まだ紅茶が入っているティーカップに親指を突っ込んだ。ぬるくなった紅茶を指先でくるくるかき混ぜる。

シュヴァリエにはじめて会ったのは、そのときだった。

彼はまだ騎士見習いになったばかりで、王族に会えるような立場ではなかった。その日のフィリップはいつもより泣きじゃくって、渡されるドレスを全部ハサミで切り裂いていた。癇癪を起こす小さな子どもに、大人たちが「この方は将来ルイ殿下に害をなすかもしれない」と真面目な顔をして言う。

今考えれば馬鹿な大人たちだ。ただドレスを着たくないと駄々をこねる子どもが、どうして王位を狙う話になるのか。

彼らはフィリップを失墜させたかったのだろう。どんな手を使ってでも、フィリップが王になる未来を刈り取りたかったのだ。


「余はとにかく手に負えないほど癇癪を起こしていて、それをメイドたちが必死に抑えようとした。余を捕まえようとするメイドの手から逃げるために、窓から飛び降りたのは……、うん、それだけ嫌だったからだろう」

「窓から……?」

「そう、窓から飛び降りたんだ。三階の窓。まだ五歳の子どもだったが、落ちたときは死ぬんだなと思った。でも、特に怖くはなかった。父上と母上は余のことなど眼中になかったから放っておかれていたし、兄上とは会話をすることも禁じられていた。使用人は腫れ物に触れるように余を扱う。毎日は退屈で、寂しくて、死ぬことになんの未練もなかった。もう無理矢理ドレスを着せられずに済むのなら、寧ろ死んでもいいかもしれないと思った」

「でも、殿下は今生きている」

「そう、そうなんだ。余は生きている。あのとき、シュヴァリエに会ったから生きている」


指についた紅茶を舐めとった。甘ったるい砂糖の味が口の中に広がる。


「余の話はもう十分だ。それより、シェリの方はどうなんだ? お前だってベルナールドが好きなんだろう」

「えっ、何でそれを……!」

「見ていたら分かるさ。そんなに慌てるとは何だ。どこまでいった? 告白くらいはしたのか」


真っ赤になって慌てるシェリに、楽しげに声を弾ませる。

そこから先の話は、幾らせがまれても誰にも話すつもりはなかった。これはフィリップだけの思い出だ。共感も共有もいらない。自分だけが知っていれば十分だった。

シュヴァリエと初めて出会った瞬間のことは、今でもはっきりと覚えている。

落ちた先に赤があった。燃えるように鮮やかな、赤だった。

一瞬自分の血かと思ったが、フィリップの体はまだ落ちている途中だ。窓枠にしがみついていたメイドの悲鳴に、赤い色が空を見上げた。

両手が伸ばされて、空から降ってきた小さな少年をしっかりと抱き締める。反動で尻餅をついた彼は驚いた顔をしていて、耳を寄せた心臓はドクドク高鳴っていた。少年の腕の中で、フィリップの心臓も五月蝿いくらい鳴っていた。

お互いの心臓の音が、同じ速さで動いている。

それが、すごく、奇跡みたいなことだと思った。


「びっくりしたあ。君、怪我はない?」

「なんで……」


そこから続く言葉は、何で助けたの、だったし、何で自分を知らない、となじるものだった。

さっきまでは安心しきっていたのに、不意に不思議そうに首を傾げて、自分の上に乗っているフィリップの髪を耳にかけた。


「君、男の子?」


言葉に、カァッと顔が熱くなる。

フィリップはついさっきメイドに頭から被せられたワンピースを着たままだった。

恥ずかしくて、このまま、早く、死んでしまいたかった。

少年の上で体を丸くする。メイドの声がやけに大きく響いてくる。


「み、るな」

「あっ、ごめんなさい」


この少年の前では泣きたくないのに、勝手に涙があふれてくる。

ぽたぽた落ちてくる涙を隠すために長く伸ばされた髪で自分の顔を隠した。


「でも、すごく可愛いよ」


笑う、顔は、屈託なくて。

そういう風に言われるのは、初めてのことだった。

メイドも家臣たちもドレスを強要するばかりで、フィリップと言葉を交わそうともしなかった。

その瞬間、きらきら、きらきら、光の洪水が襲ってきた。長い髪の隙間から覗いた少年が、涙に光って輝いて見える。

遠くから走り寄る騎士兵とメイドたちの声が、遠い場所に消えていく。


「お前、の、名前は……?」


その瞬間、彼の右手が自分の胸を力強く叩いた。

頼りなくも見える垂れ目を吊り上げて、真面目な顔をしている。


「俺はシュヴァリエ・シュヴァリー。国王陛下とフランクイヒ王国を守る騎士です!」


まだ見習いだけど、と彼が恥じるように言葉を付け足したところで、後ろから肩を引かれた。

振り返った先の、青褪めたレオが、フィリップの肩を強い力で掴む。

待って、もうちょっとだけ時間をちょうだい。そう言いかけた唇が言葉を紡ぐより早く、声を被せられる。


「ご無事ですか、フィリップ殿下!」

「え……、は!? 殿下!?」


驚く少年の、シュヴァリエの姿が尻目に映る。

その瞬間、嗚呼もうこの想いは叶わないのだろうなと思った。

恋とも呼べない、淡く、甘い感情は、彼に伝えることさえ許されない。

フィリップ・ド・フランクイヒ。

フランクイヒ王国、王位第二席の位に座す王太子だ。

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