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魔女は真夜中に恋をする  作者: 三浦理生
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白の魔女1

ここは、夢と魔法の世界。

魔法を使うのに必要なのは、知識と才能と、スプーンひと匙の勇気。

しかし、魔法を使うことができるのは、多くの国民のうち一握りの人間だけだ。

大地とともに生きる彼らは、その自然に直接語りかけて使役する。

それは水であり、あるいは風であり、または炎であり、土である。

ひとりの人間が使役できる大地の精霊はひとつだけ。その精霊と友となり、語り合い、大地の恩恵をほんの少し分けてもらう。

国民たちは畏怖と敬意をこめて、彼らをこう称する。


我らが偉大な、魔法使徒。






大陸の中央に位置するフランクイヒ王国は、広大な土地に豊かな緑、瑞々しい作物を有していた。

誇るべきはその大地だけではない。

大陸に住まうほとんどの人間が有していない魔力を、微力ながらも体内に所持している人間が多いのだ。

フランクイヒ王国は、その土地と資源を他国から虎視眈々と狙われている。休まる日のない王国が今日までその土地の一欠片も他国に奪われることなく発展してきたのは、強大な軍事力と、彼ら魔法使徒の力に依るところが大きい。

『一人の魔法使徒には、一個中隊の力があると思え。』

とは、大陸じゅうの軍人が一番はじめに教えられることだ。

しかし、そう恐れられる魔法使徒たちも、普段から剣呑とした態度で周りの人間をビビらせているばかりではない。

近くの村から馬車を三十分程走らせたところにある、深い森の中。そこをさらに一時間も歩くと、拓けた野原に出る。

四季を楽しめるフランクイヒ王国において、不思議なことに一年中、春ののどかな風が吹いている。

獰猛な獣はその野原に踏み入ることも許されず、小さな動物がたまに迷い込んでは、草を少しだけ食んで出て行ってしまう。

一言で言えば、のどかな場所だった。

野原の中央には木材でできた小屋がポツンと建っている。ひとりきり、ベランダでシーツをせっせと干しているのは、まだ年端もいかぬ少女だった。

シェリ・ジュブワ。今年の夏で十歳になる。

陽に翳せば透けてしまいそうな淡いブロンドは優しく波打ち、白い肌は未踏の雪のような清潔さがある。くりくりとした両目に嵌め込まれた瞳は蜂蜜色で、小さな唇にはほんのりさくらんぼ色の朱が色付いている。

親の顔は知らない。森の近くに捨てられていたのを、彼女の育ての親兼師匠であるレーヌ・ヴンサンに拾われた。


「おい、シェリ。お前はまだちんたらやってんのか。リアムはとっくに掃除を終わらせたぞ」


酒に焼けた低いテノールの声が、少女の名前を呼んだ。

ベランダの手すりに上半身を預ける女は、幾らあたたかな季節と言え、不相応としか言えない格好をしていた。


「先生こそ、何度言ったらきちんと服を着てくださるんですか」

「あたしに服を着せたかったら、早いとこ一人前の使徒になるんだな」


ぷう、と頬をふくらませるシェリに、ケラケラ声を出して笑う。

薄着のタンクトップに、太腿を大胆に露出したショートパンツ。これが淑女のする姿かと思うと頭が痛い。

レーヌがポケットから取り出した煙草に指を翳すと、小さな炎が指先に灯った。煙草の表面をちりちりと焦がして、美味しそうに紫煙を吐き出す。


「シェリ、手伝おうか?」


手すりから顔だけを覗かせた少年が、ハラハラとした面持ちでそう提案した。

シェリより三つ歳上のリアムも、この自由奔放な女性に拾われた子どもである。

ハニーブラウンの髪はところどころ外側に跳ねていて、シェリのものよりも少し濃い瞳は紅茶のような色をしている。唇は薄く色づき、まるでお人形みたいで素敵、というのは、シェリの兄を溺愛する常套句だった。


「大丈夫よ、お兄様。お兄様は先に向こうで遊んでいてくださいな」

「でも……」

「あとで一緒に花冠を作りましょう。それまでに、たくさんお花を集めておいてほしいの」

「うん!」


途端、パァっと顔を輝かせて家を飛び出したリアムを「元気だねえ」と見送るレーヌに短く嘆息する。

魔法使徒の多くが、薄い色素の髪と瞳をしていた。己の魔力が高いほどその色は薄くなっていく。

つまり、一見すればそれだけで、その人の魔力を測れるというのだ。

二人の子どもを拾った風変わりな女は、魔法使徒のなかでも珍しく、真っ白だった。

色が抜けきった長い髪は乱雑にひとつにまとめられ、瞳はうさぎのように赤い。色素が抜けすぎて血管が透けて見えているのだとは、幼い頃に酔った勢いで聞かされた話だから真実かどうか疑わしいところだ。肌はいっそ不健康に見えるほど白く、手首には青い筋が幾つも走っている。

整った鼻梁に、酷く吊り上がった目尻。赤い唇は熟れ上がった林檎のようだ。

気の強そうなこの美丈夫は、触れただけで倒れてしまいそうなくらい細いくせに、引き締まった体に、豊満な脂肪を胸に蓄えている。彼女と本当に血が繋がっていれば、自分も将来は……と考えたのは、一度や二度のことではない。

そのくせ己の姿形には無頓着だから、何度服を着ろと言っても是とは言わない。

曰く、こんな辺鄙な場所に来客は来ないとのこと。

だとしても服くらい着ろと言っても、暖簾に腕押しで話にならない。彼女のことだ。別に好き好んでその格好をしているわけではないのだろう。ただ、噛み付いてくるシェリの反応を面白がるのと、意固地な彼女のことだから、幼い少女に素直に従うのが嫌だというのが一番の理由だろう。まったく、困った師匠だ。

呆れてシーツ干しに戻るが、レーヌも家の中へ踵を返す気配はない。

煙を宙に吐き出しては、何かを考えるように白い煙を目で追っている。


「……なあ、シェリ」

「……何ですか、先生」


いつになく真剣な声に、小さな唇を引き結ぶ。


「これから先、お前の未来には大きな決断を迫られる日が来る。けれど、これだけは覚えておきなさい。お前は、お前が選びたくない未来を選ぶ必要はないんだよ」

「先生……?」


彼女は時折、こういう未来視めいたことを言う。

それはどれも曖昧で、的確なアドバイスを得られたことは一度たりとないけれど、シェリが彼女の言葉を蔑ろにしたことはなかった。

白の魔女とも呼ばれるレーヌの力を信じていたからだし、何より、大好きな師匠の言葉を疑いたくはなかったからだ。

けれど、その日は言葉に感じる重みがいつもとは違った。

燃えるように赤い瞳が、幼い少女を見つめる。


「あたしはどこにいてもお前の味方だよ。お前は、お前が幸せになることだけを考えていればいい。あたしは、そのためなら何だってするんだから」

「……はい、先生」

「うん、よろしい」


鋭い目付きが、やわらかく微笑んだ。

春の微睡みに包まれた、穏やかな日のこと。

それから一週間後、レーヌ・ヴンサンは忽然と姿を消した。

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