8:夏休みの宿題
眩しい日差しが降り注ぎ、子供達は夏休みではしゃぎ回るようになった頃。この日は快晴で、それでも薄暗いとわ骨董店。空調が効いて快適な店内で、林檎がちらちらとレジカウンターの上に置かれた時計を気にしていた。
しばらくそうして待っていると、元気な声と共に店の扉が開いた。
「林檎さん、こんちわー」
「木更さんいらっしゃい。待ってたのよ」
夏らしいカットソーワンピースに、大きめのトートを持った姿でやって来た木更。彼女に林檎は、あらかじめ用意してあった倚子を勧める。今日はいつものスツールを、レジカウンターの前に据えてある。そこに木更が座り、トートの中からいそいそと、プリントと日本史の教科書、それに筆箱を取り出した。今日から暫くの間、林檎の所で夏休みの宿題を教えて貰うと言うことになっていたのだ。
「外は暑かったでしょう? まずはお茶をどうぞ」
林檎がそう言って、青と黄色の光を湛えたグラスをひとつ取りだし、レジカウンターの上に置く。そうすると、木更は慣れた様子でこう訊ねてきた。
「今日のお茶は何が有るの?」
不思議そうに木更が見ているのは、氷が詰まったブリキの器に入れられている、鱒の瓶。片方は真っ黒と言えるほど濃い茶色の、もう片方は爽やかな緑色をしたお茶が詰まっている。
林檎はそれぞれを指さしながら、こう答える。
「プーアル茶と、桃の香りの緑茶。どっちがいい?」
それを聞いて、木更は林檎が使っていたであろう、空の江戸切り子を見てこう言った。
「林檎さんはどっち飲んでた?」
「私? あまり体を冷やしすぎるのは良くないから、飲むと温まるって言うプーアル茶の方」
「冷たいの飲んでるのに冷やしたくないって」
「私くらいの歳になるとね、わりとそう言うの覿面に来るのよ……」
「アッ、ハイ」
大人って大変だなといった顔をする木更が選んだのは、プーアル茶の方だった。林檎としては、甘い香りがするお茶の方が子供は好きだろうと用意していたので、少し意外だった。
それに気づいたのか、木更がシャーペンと消しゴムを出しながら嬉しそうに言う。
「桃のお茶も、今日の分の宿題が終わったら貰う」
それを聞いて、林檎もなんとなく嬉しくなった。
「そう? それじゃあ、宿題頑張らないとね」
そんなやりとりをして、木更は思いの外素直に宿題に向かい始めた。
小学生の頃は、ここで宿題を教えて貰うと言ってもなかなか手を着け始めなかった物だけれど、中学生になって心持ちが変わったのだろうかと、林檎は少し意外に思い、それと同時に木更の成長を感じられて微笑ましかった。
教科書とプリントを交互に見ながら空欄を埋めていく木更が、時々どうしてこう言った流れになるのかと言うことを林檎に訊ねてくる。確かに、歴史の勉強となると、ただ年代を覚えたりだとか、そういった丸暗記だけでは掴みにくいこともあるのだ。だから、木更に訊ねられる度、林檎はどう言った流れでその出来事が起こったのか、しっかりと説明していく。
木更の質問は後から後から湧いて出る。それを林檎が丁寧に教えながら、木更はしっかりと聞きながら、プリントを進める物だから、この日割り振られた分をこなすだけでも相当な時間が掛かってしまった。
「あー! 今日の分終わったー!」
「ふふふ、お疲れ様。
それじゃあおやつとお茶にしましょうか」
林檎が笑ってバックヤードに入り、銀色のスプーンを用意し、冷蔵庫の中からよく冷えたフルーツゼリーをお皿に移して持ってくると、木更は待ってましたとばかりに宿題と筆記用具を片付け始めた。
「やった、そのゼリーもしかしていいやつ?」
「どうでしょうね」
ふたりで笑いながら、桃が入っているのと枇杷が入っているの、どっちが良いかと選び、それから、林檎は木更が使っているグラスに桃の香りの緑茶を、自分の江戸切り子にプーアル茶を注いだ。
二本の鱒の瓶を氷の中に戻す林檎に、木更が言う。
「あ、桃のお茶だったらやっぱり桃のゼリーがいい」
「そう? それじゃあまだ手を着けてないし、桃の方取っちゃってくれる?」
「はーい」
勉強でお互い気を張ったからだろうか、なんとなく体が熱い。それを冷ますように、林檎はふたくちほど、冷たいプーアル茶を喉に流し込む。木更も同じように、緑茶を飲み込んだ。
それから、桃の周りを囲ったゼリーを崩しながら、木更が林檎に訊ねる。
「そういえば、なんで林檎さんって歴史得意なの?」
その問いに、そう言えば木更にはまだ話していなかったなと、学生時代の話を始める。
「元々歴史が好きだったって言うのはあるけど、大学が考古学科だったの。
それでかな」
「考古学科ってなにやるん?」
「うーん、すごく昔の歴史を研究するとか、そう言うの。遺跡とかの発掘もするしね」
それを聞いて、木更は信じられないという顔をする。
「うわー、そんなの無理だわ爆発する」
「うふふ。好きな事は人それぞれだから。
私はたまたま、そう言うのが好きだっただけ」
「うーん……」
なにやら考え込んでしまった木更を見て、林檎は困ったように笑う。
「勉強したいほど好きなことがなきゃいけないわけじゃないけど、私はなんとなく、木更さんはそれくらい好きな何かを見付ける気がするな」
「そう?」
「うん。学校の勉強とは少し離れたことかも知れないけど。でもそれはそれで良いと思う」
林檎の言葉を聞いて安心したのだろうか、木更は照れたような笑顔を浮かべた。