69:髪を飾る
残暑は厳しいけれど、秋の兆しが見え始めた頃。この日とわ骨董店では、少し前に仕入れてきた焼き物や古布、アクセサリーを店頭に並べる作業をしていた。
店頭の品物は勿論、バックヤードに置いていた物もだいぶ入れ替わり、次はいつ頃、どこへ仕入れに行こうかと思いを馳せる。
バンコクや香港、バリ辺りが候補としてあげるけれども、どこが良いだろう。古布を箱の中に入れながら考えて、そろそろ更紗を仕入れに行ってもいいかも知れないとぼんやり思う。
古布を箱の中に入れ終わったら、アクセサリーの陳列だ。今回久しぶりに古い和物の簪を入荷したので、それをつまみ細工の入った螺鈿の箱と寄せ木の箱の隣あたりに並べる。 品物の陳列が終わった所で、店の扉が開いた。
「いらっしゃいませ」
そう声を掛けて入り口の方を見ると、黒ずくめで、赤い瞳が印象的な人が立っていた。
そう言えば、このお客さんは以前にも来たことがある。その時は何を買っていったっけ。思い出そうとしながら、林檎はそのお客さんが店内を見ているのを眺める。
そのお客さんは、七宝の小物が置かれた棚で、髪飾りばかりを手に取ってじっと見ている。きょろきょろと周りを見回しているので、何か目的の捜し物があるのだろうかと、そっと声を掛けた。
「何かお探しの物がございますか?」
するとその人は、視線を泳がせながらこう言った。
「ホームページを拝見してきたのですけれど、入荷したばかりの瑪瑙の髪飾りは、まだ有りますか?」
「瑪瑙の髪飾りでございますか?」
林檎は今し方品物を並べていた棚を見て、そこから緑の石が付いた物、赤い石が付いた物、赤に白の縞模様が入った石が付いた物など、みっつほど簪を手に取ってその人に見せる。
「新しく入荷した物はこちらのみっつです」
その人は、林檎に一声かけてひとつずつ手に取ってじっくりと簪を見る。時折、何かを思い出すように目を閉じたりしながら、慎重に選んでいるようだった。
そして選んだのは。
「こちらの赤い石が付いた物をいただきたいのですが」
「ありがとうございます。
こちら、緑青が浮いてしまっているので実用するにはかなりのお手入れが必要ですが、大丈夫ですか?」
赤い簪を受け取りながら林檎がそう言うと、その人はためらう様子もなく答える。
「構いません。ただそれが欲しいだけなので」
「かしこまりました。ではお会計を」
林檎はお客さんをレジの前へ通し、レジカウンターの中に入る。電卓に金額を打ち込み提示して、お会計の準備をしている間に簪を梱包する。引き出しの中から出した梱包材で軽く包み、それをクラフト紙の紙袋の中に入れて口を留める。それを紺色の紙袋に入れて唐草模様のシールで封をした。
お会計を済ませ、お客さんに紙袋を手渡しながらこう声を掛ける。
「ところで、外はまだ暑いでしょう。
冷たいお茶でもいかがですか?」
すると、お客さんはレジカウンターの上に置かれている、氷の詰まったブリキの器に目をやって微かに笑う。
「ありがとうございます。喉が渇いていたので、助かります」
林檎も笑顔を返し、すぐさまにバックヤードから丸い座面のスツールをひとつ運び出し、レジカウンターの側に置いてその人に勧める。それから、レジカウンターの奥にある棚から青と黄色の光を湛えたグラスをひとつと、紫色の江戸切り子のグラスを取りだしレジカウンターの上に並べる。その次に、ブリキの器に入った氷に刺さっている瓶を一本引き抜く。薄緑色のお茶が入ったその瓶の栓を抜いて、グラスの中になみなみと注いだ。
青と黄色の光を湛えたグラスの方をその人に渡し、江戸切り子の方を手に持って、林檎も椅子に座る。
「どうぞ、お召し上がり下さい」
「はい、いただきます」
そっとグラスに口を付けたその人は、すこしだけお茶を口に含んで、味と香りを楽しんでいるようだ。
「良い渋味ですね」
その人がぽつりと言う。
「そうですね、嫌味のない渋味があるお茶はなかなかないですが、こういうのも良いでしょう?」
しばしふたりで静かにお茶を飲んで、ふと林檎が訊ねる。
「ところで、ああいった簪を集めるのがお好きなんですか?」
そういえば、このお客さんは以前来た時に、花の簪を買っていったのだった。それを思い出した林檎がそう訊ねると、その人はすこし寂しげに笑ってこう答えた。
「以前ここで買った簪は、知り合いに贈ったんです。
今回の簪は、昔、想いを寄せていた人が使っていた物に似ていたので……」
「まぁ、そうなんですね」
聞いてはいけないことだっただろうか。けれども、その人はお茶をすこしずつ飲みながら、愛おしそうに買ったばかりの簪が入った紙袋を見ている。
余程大切に思っていた人なのだなと、林檎はそう思う。
それにしても、古物の簪に似た物を使っていただなんて、一体どんな人なのだろう。現代物ではあまり無い素材の簪だし、現代物でも見た目がたまたま似ている物が有ったのだろうか。
なんとなく不思議な感じを受けながら、林檎はまた静かに、お茶に口を付けた。




