67:弟の思い人
梅雨も明け、良く晴れ渡った夏の頃。この日林檎は、とわ骨董店の中でそわそわしながらいつもの籐の椅子に座っていた。
レジカウンターの上には、ブリキの器の中に氷を入れ、そこにお茶の入った鱒の瓶を刺した物と、紫色の江戸切り子のグラス、それに青と黄色の光を湛えたグラスをふたつ、並べていた。
しっとりと汗をかくブリキの器を見て、思いの外店内が暑いのだなと言うのを実感する。
ふと、レジカウンターの奥にある棚に目をやる。お香を焚こうか、やめておこうか、そんな事が頭を過ぎる。
「ああ、でも、お香が苦手だったらどうしよう……」
お香が苦手な人は普段のお客さんの中にもいるのだろうけれども、今日は特に、その辺りに気を配らなければいけなかった。
今日、この店に蜜柑が恋人を連れてくる。
それは前からの約束だったし、弟の恋人を紹介して貰えるのは嬉しい。けれども、だからこそ、不快に思わせてしまう要素は少しでも減らしておきたいのだ。
お香のことでも迷うし、レジカウンターの上を見ると花でも生けておけば良かったかなど、今になってそんな事が後から後から浮かんでくる。
「どうしよう、今からお花屋さん行って間に合うかな」
椅子から腰を浮かせておろおろしていると、店の扉が開く音がしたのですぐさまに腰を下ろし、澄ました表情を作る。
「姉さん、こんにちはー」
「いらっしゃい蜜柑。そちらの方が恋人さん?」
少し前までの林檎の様子もつゆ知らず、弟の蜜柑は笑顔で林檎に挨拶をする。林檎も、先程まで挙動不審になっていたのを悟られないように、勤めて平常心を装っている。
あんな姿を弟の恋人には見せられないと内心冷や汗をかきながら、蜜柑の後ろから店内に入ってきた女性を迎える。
その女性は、銀髪に緩くカールを付けて、清楚な印象のワンピース着ている。その姿を見て、林檎は思ったより大人しい子だなと、そう思った。
蜜柑自体が比較的元気な性格だと言うことと、かねてよりロリータファッションが好きな女性だと聞いていたので、もっと派手な服装で来るかと思っていたのだ。
「お姉さん、あの、初めまして」
緊張しているのか、顔を赤くして声を強張らせる彼女に、林檎はゆったりとした口調で話し掛ける。
「うふふ、そんな緊張なさらないで。
でも、思ったより大人しそうな方で少し驚いたかも」
「え? そうなんですか?」
「えっと、蜜柑からよく話は聞いているんですよ。あのー……服装とか……」
「あ、あー……それは、その、やっぱり家族の方に会うんだったら、きちんとした服装でないとと思いまして……」
服装のことに触れられて、彼女は側に居る蜜柑の腕をぎゅっとつまむ。蜜柑は笑顔のままだけれども、一瞬強張ったので痛かったのだろう。
「あっ、あのね姉さん、亜麻さんはロリ服もほんとかわいいから!」
「蜜柑君、今欲しいのはそう言うフォローじゃなくて」
恋人の可愛さを声高に訴える蜜柑の腕を、彼女はまたぎゅうっとつまむ。その様子を見て、つい林檎は吹きだしてしまった。
「ふふふ、本当に仲が良いのね。
家族と言っても両親って言うわけでもないですし、ここに来る分には好きな服装でも大丈夫ですからね」
「はい、ありがとうございます」
林檎が始終和やかな雰囲気を出しているおかげか、彼女の緊張も解けてきたようだった。
その頃合いを見て、林檎は倚子から立ち上がり、お辞儀をして名乗る。
「私は蜜柑の姉で林檎と申します。よしなに」
それを見て、彼女も慌てて頭を下げて名乗った。
「蜜柑君とお付き合いさせていただいている亜麻と申します。よろしくお願いします」
「亜麻さんとおっしゃるのね。すてきな名前だわ」
林檎の言葉に、亜麻は照れたように笑う。その様子を微笑ましく見てから、林檎はバックヤードへと向かった。
「そう言えばまだ椅子をお出ししてなかったわね。少々お待ち下さい」
すぐさまに丸い座面のスツールをふたつ運びだし、レジカウンターの側に並べる。それを蜜柑と亜麻のふたりに勧めて座ったのを確認し、ブリキの器に入った氷からお茶の入った瓶を抜き、レジカウンターの上に並べたグラスの中にお茶を注いでいく。
みっつのグラス全てに注ぎ終わってから、青と黄色の光を湛えたグラスふたつを、蜜柑と亜麻それぞれに手渡した。
「どうぞ、お召し上がり下さい」
そう声を掛けたところで、蜜柑が持っていた紙袋を林檎に差し出してこう言った。
「そう言えば姉さん、パイナップルケーキ持ってきたからみんなで食べよう」
「あら、ありがとう。
それじゃあ準備してくるわね」
紙袋を受け取り、レジカウンターの奥にある棚から九谷焼のお皿を三枚出してバックヤードへ入る。台所でパイナップルケーキを開封し、ひとつずつお皿に乗せ、それぞれを四等分に切った。それに銀色のフォークを添え、お盆に乗せて店内へと戻る。
「お待たせしました。どうぞ」
パイナップルケーキを亜麻と蜜柑に渡し、林檎もグラスとパイナップルケーキを持って籐の椅子に腰掛ける。
美味しいお茶請けと冷たいお茶で、話が弾む。その中で、亜麻がロリータファッションの同好で撮影会をする事があると言う話になった。
「撮影会、楽しいんですけど、撮影場所を借りるのが難しいんですよね。良い雰囲気のスタジオもなかなか見つからないし」
そう言う亜麻に、林檎は隣を指さしてこう返す。
「それでしたら、隣のシムヌテイ骨董店がレンタル料を払えば撮影もさせて貰えますよ。
後で見に行ってみて、お気に召したら是非」
「えっ、そうなんですか?
えー、骨董店で撮影とかすごい夢が有る……
あの、もしかして林檎さんのところも、撮影とかできたり……?」
骨董店で撮影ができるというのが驚きなのだろう、顔を赤らめて訊ねる亜麻に、林檎はにこやかに返す。
「できますよ。勿論、レンタル料はいただきますけれど」
「あっ、すごい! このお店、和ロリとかすごく合いそうだから、いつかお願いしたいです!」
「うふふ、いつでもと言うのは難しいですけれど、是非ご相談下さい」
林檎と亜麻で撮影の話で盛り上がって、取り残されている蜜柑がすこしだけ寂しそうだった。




