63:故郷に帰る
段々と空気も暖かくなり、色々な花の蕾が綻ぶようになった頃。とわ骨董店ではレジカウンターの上に桃の花を生けて、それを愛でながら店主の林檎が温かいお茶を飲んでいた。
お茶を飲みながら、時折壁に掛けた時計を気にする。この日、店の入り口に欠けられた札は『定休日』となっているので、物を買いに来るお客さんを気にしているわけでは無い。それとは別の、約束事が入っているのだ。
ぼんやりと入り口を眺めていると、そっと扉が開く。それから、ラズベリー色の髪の毛を前下がりのボブにした女性がひょこっと覗き込んだ。
「林檎さん、お久しぶりです」
「いらっしゃいまつひさん。お久しぶりね。
待っていましたよ」
林檎が返事を返すと、まつひはそのまま店内に入ってくる。リュックサックを背負って、手には棒らしき物が入った袋を持っている。それらはカメラ用品だろうと、林檎は察する。この日は、まつひが店内の撮影をしたいと予約を入れていた日なのだ。
「あの、早速撮影の準備をして良いですか?」
「はい、どうぞ。
なにかお手伝い出来ることがあったら、言って下さいね」
余程この日の撮影を楽しみにしていたのだろう。まつひは手際よくリュックサックから取り出したカメラの設定をし、細長い袋から出した三脚をセットして、撮影の位置を決める。それから、リュックサックの中から出したレフ板を広げて、林檎に声を掛けた。
「林檎さん、レフ板をお願いして良いですか?」
「はい、構いませんよ。
どのあたりに当てれば良いでしょう」
「えっと、その仏像の頭に横からふんわり光が入るように……」
こうして、まつひの撮影が始まった。
撮影は、薄暗い店内なのにもかかわらず、フラッシュは焚かずに行われる。棚に置かれた品物が傷まないよう、フラッシュは焚かないで撮影して欲しいという林檎の要望を汲んでのことだった。
真剣な表情で、カメラ越しにモチーフと対峙しているまつひ。その姿を見ていると、カメラのアシスタントという立場に甘んじているというのは信じがたい。
シャッターを切る音が響く。ゆっくり、何度も、まるでその空間をそっくりそのまま切り取ろうとしているかのようだった。
じっくりと仏像の頭を撮った後は、他の品物も撮影すると言うことで、何度も位置を変えて撮影が行われた。木に彫り込みを入れて作られた型や、七宝の小物、色鮮やかな陶器、螺鈿の箱に収められたつまみ細工。そんな様々な物の撮影をして、それでも結局、まつひが主に撮影していたのは、仏像の首だ。他の写真を撮りながらも、窓から差す光の加減が変わる度に、仏像の首と何度も向かい合っていた。
すっかり陽も暮れて、撮影時間が終わった後、林檎はまつひに温かい紅茶を振る舞った。金木犀が甘く香る紅茶は、体の疲れを癒やしてくれるようだった。
「林檎さん、今日もありがとうございました」
「いえいえこちらこそ。
このお店を気に入って貰えてありがたいわ」
ふたりでおやつのラングドシャを食べながら談笑する。その中で、林檎がこう訊ねた。
「そう言えば、お仕事の方はどうですか?」
まつひがメインカメラマンとして登用されていれば。そう思って訊ねたのだけれども、予想外の返答が帰ってきた。
「実は、来月から地元の写真屋さんに勤めることになったんです」
それを聞いて、林檎は驚いた。
「地元の、と言う事は、東京からご実家に帰るという事ですか?」
「はい、そうです」
折角、長いこと訪れてくれたお客さんが遠くに行ってしまうのは寂しいと林檎が思っていると、まつひは笑顔でこう言った。
「地元の写真屋さんで、カメラマンと現像の技師をやる事になったんです」
「カメラマンと現像ですか?」
「はい。現像は高校の時から得意だったし、好きなので、カメラマンと一緒にできるんだったら、こんな良い話はないなって」
そう語るまつひは本当に嬉しそうで、きっと、やっと夢を掴んだのだなと、林檎も感慨深くなる。
「なんだか大変そうですけれど、頑張ってくださいね。私、応援していますから」
林檎がそう言うと、まつひも照れた顔をして言う。
「ありがとうございます。
あ、でも、ここから遠くはなりますけど、またたまに来ますから」
「うふふ、ありがとうございます」
「まだこれからも、このお店の写真を撮りたいなって」
そんなにこのお店を気に入ってくれるのはありがたい。林檎がそう思っていると、まつひがカップとおやつの乗っていたお皿をもって立ち上がり、レジカウンターの上に置いた。
なんだろうと林檎が見ていると、仏像の首が置かれた棚の側に行ってにっと笑う。
「それで、この仏像の首をいただきたいんですけれど」
「そちらですか?」
林檎も慌てて、お皿とカップをレジカウンターの上に置く。それから、電卓に金額を打ち込んで不安そうにまつひに見せると、まつひは力強く頷いてこう言った。
「この日のために、貯金したんで大丈夫です」
「まぁ……」
林檎はその言葉に驚きと喜びを感じた。
随分と長いことこの店にいた仏像の首だけれども、今日この日に、まつひの元へ行くために、ずっとここにいたのだという確信が産まれた。
仏像の首を持ってレジカウンターに入り、丁寧に梱包材で包んでいく。念のため段ボールでできた箱に入れ、それを更に紺色の紙袋に入れた物をまつひに渡す。会計も済ませ、お互い何だかすっきりした顔になった。
紙袋を持って、荷物を持って、まつひが店から出る。
「それじゃあ、また」
そう言い残して去る彼女の背中に、林檎が声を掛ける。
「またのお越しをお待ちしております」




