56:夏の課題
入道雲が空に浮かぶ夏の日。夏休みも半ばとなった頃で、この日も林檎はとわ骨董店に置かれた籐の椅子に座ってお茶を飲んでいた。
時折、壁に掛けられた時計に目をやる。お昼も過ぎた頃で、まだまだ気温が下がる気配を見せない時間だ。
さすがにこんなに暑い平日に、お客さんはなかなか来ないだろう。商売としてはお客さんが来てくれないと困るのだけれど、この日はまだしばらくお客さんが来てくれなくても良いと、林檎は思っていた。
ぬるくなったお茶をグラスから飲み干して天井を仰ぐ。今日待っているのは、常連ではあるけれども、お客さんと言っていいのかはわからない、そんな相手だった。
レジカウンターの上に江戸切り子のグラスを置く。その時、店の扉が開く音がした。
「林檎さん、こんにちはー」
「木更さんいらっしゃい。待ってたのよ」
待っていたのは、夏らしいいでたちで大きなトートを持って店の入り口に今立っている、木更だった。この日は木更の夏休みの課題、特に歴史を教えるという約束になっていた。
スツールは既に用意されている。それを木更に勧めて、レジカウンター奥に有る棚から青と黄色の光を湛えたグラスを取りだし、木更に声を掛ける。
「外は暑かったでしょう。まずはお茶をどうぞ。
どっちがいい?」
レジカウンターの上に乗せられている、氷の詰まったブリキの器。その氷の中に刺さってる黄金色のお茶の詰まった瓶と、茶色いお茶の詰まった瓶。それを木更に示すと、木更は難しい顔で瓶をじっと見る。
「これ、どっちが何?」
「黄色い方が金木犀で、茶色い方がティーシロップを薄めたやつ」
「シロップって事は甘いんだな? 茶色い方にする」
「はい。少々お待ちください」
茶色いお茶が詰まった鱒の瓶を氷から引き抜き、グラスの中になみなみと注ぐ。それを木更に手渡し、自分のグラスにも注ぎ、それから瓶に栓をしてまた氷の中へと戻した。
林檎も、自分のグラスを手に持って籐の椅子に座る。お茶を口に含むと、華やかな香りと甘みが口の中に広がった。
「それじゃあ木更さん、これ飲み終わったら課題やろっか」
「はーい」
とりあえずはふたりでゆっくりと甘いお茶を飲んで、涼むことにした。
お茶も飲み終わり、木更が教科書と資料集を広げ、林檎が内容を教えていく。どうやら木更は全体の流れを把握してからでないと上手く覚えられないたちらしく、とりあえず歴史の大まかな流れを説明していく。
ふと、木更が言う。
「なんかさ、飢饉とか疫病とか、そういうのが流行る波とかきっかけとか、そう言うのってあるの?
この辺が突然コンニチハするからわかんなくなるんだよね」
「ああ、飢饉とか疫病とか、その辺りは地球の気候変動が関係してるのよ。
こればっかりは地球の仕業だから、気候の変動を覚えるしか」
「あー、地球先輩には逆らえん」
木更の反応に、これは地球の気候変動も教えた方が良いのではないかと、林檎は思う。正直言ってそこも含めるとなるとかなり遠回りになるけれど、近道をしようとして理解出来ないままでいるよりはましだろうと、そう判断した。
林檎は丁寧に、気候の変動と絡めながら歴史の流れを説明していく。すると、木更も何故その出来事が起こったのかを理解出来たようで、物事のつながりがわかってきたようだった。
そうしてふたりで課題をやって。結局あまり進みはしなかったけれども、理解のきっかけを掴めたようなのでそれで良いだろう。
勉強道具をしまっている木更に、林檎が言う。
「さて、おやつにしましょうか。
今日はたい焼きがあるのよ」
「やったー! たい焼き大好き!」
林檎は、木更にお茶は先程のと同じでいいかと訊ね、そうして欲しいといわれたので、先程と同じようにグラスに注いで木更に渡す。それから、棚から花の文様が鮮やかな九谷焼のお皿を二枚取りだし、バックヤードへとはいっていた。
バックヤードに置かれている冷蔵庫からたい焼きの入った紙袋を取りだし、そのまま、冷蔵庫の上に乗った電子レンジで温める。たい焼きが温まってからお皿の上にそれぞれ乗せ、店内へと戻る。
「お待たせー。たい焼きできたわよ」
「待ってました!」
お皿を片方木更に渡し、林檎もお茶の注がれたグラスとお皿を持って籐の椅子に座る。それから、いただきますをしてたい焼きをかじり始めた。
ふと、林檎が疑問に思ったことを訊ねる。
「そう言えば理恵さんは? 家にいるの?」
すると木更は、隣のシムヌテイ骨董店を指さして答える。
「理恵は真利さんのところで数学やってる」
それを聞いて、林檎は不思議そうな顔をする。
「ふたり一緒に、まとめてやった方が良さそうなのに」
すると、木更はにやっと笑って言う。
「まぁ、色々あるじゃん」
色々ある、と言われ、林檎は理恵の今までの色々を思い出し、くすりと笑う。
「それもそうね」
きっと理恵には、まだ他の人には秘密にしておきたい何かがあるのだろう。それを木更は勿論、林檎も察したけれども、詮索することはなかった。




