54:雨が降る日に
梅雨に入り蒸し暑い日が続く頃。この日も外は生ぬるい雨がしとしとと降っていて、湿気が絡みつくようだった。
レジカウンターの上には、氷の詰まったブリキの器と、その中に二本刺さった鱒の瓶が置かれている。鱒の瓶の中にはどちらも黒いお茶が入っている。こんなふうに湿気の多い日は、空調で店内を冷やすと体が冷えすぎてしまうことがあるので、せめて効能的には体を温めてくれると言う事になっているプーアル茶を用意しておきたかったのだ。
それにしても、過度の湿気は思考を奪っていく。いつもの籐の椅子に座った林檎は、紫色の江戸切り子に注がれたプーアル茶に時折口を付けながら、ただただぼんやりとしていた。
静かに響く雨音。その中に、話し声が聞こえた気がした。声は少しずつ近づき、店の前まで迫った。
静かに扉の開く音がする。
「林檎さーん、お久しぶりです」
「どうも、お久しぶりです」
そう言って店内に入り、傘を畳んでいるのは水色の髪を肩の辺りで揃えた女性と、白銀の髪を短めにまとめた、背の高い女性。
そのふたりを見て、林檎ははっと目を覚まし、挨拶をする。
「あら、花恵さんに照さん、お久しぶりです」
ふたりの相変わらず仲睦まじい姿に、何故だか林檎はほっとした。それはもしかしたら、以前花恵から聞いた、悩み事の話の事があるからかも知れない。
軽く挨拶を交わした後、花恵と照のふたりは店内をゆっくりと見て回る。以前来たときのように七宝のアクセサリーをじっくりと、手に取りながら見た後に、仏像の首や棚の横に置かれた仏像を眺める。それから、つまみ細工の簪やブローチ、その横に置かれた翡翠のネックレスと、瑪瑙や珊瑚の指輪をみている。
すこし前の仕入れで、瑪瑙や珊瑚の指輪は国産の繊細な物が入っている。サイズはまちまちだけれども、合う物を探す楽しみがあるだろうと、若干多めに仕入れてきたのだ。
その指輪を、花恵と照はひとつずつ手に取り、お互い相手の指に填めて、サイズを見ている。その様はまるで何かの儀式のようで、第三者である林檎が見ていて良い物なのかわからなくなり、つい目を逸らしてしまった。
しばらくそうしていて、ふと声がかかる。
「林檎さん、お会計をお願いします」
そう言って照が差し出したのはふたつの指輪。緑色の瑪瑙が据えられた金の指輪と、色の薄い紫水晶が填められた銀の指輪。サイズを見てみると、紫水晶の指輪の方が若干大きい。
「えっと、お会計は」
「別々でお願いします」
にっこりと笑って答える花恵に、どちらがどちらの指輪の支払いをするかを訊ねると、瑪瑙の方を照が、紫水晶の方を花恵が出すという。
すぐさまに花恵と照の手のサイズを見比べる。やはり照の方が大きいように見えた。
電卓に値段を打ち込みながらふたりに訊ねる。
「プレゼント用のラッピングはなさいますか?」
それを聞いて、悩んでいる様子の花恵に照が笑いかけて、こう言った。
「はい。プレゼントラッピングでお願いします。
花恵、いいよね?」
「いいけど……むぅ」
照れているのか頬を膨らませている花恵の様子を微笑ましく思いながら、林檎はレジカウンターの引き出しから八角柱のケースをふたつ取り出す。そのケースの蓋を開けると、中には切り込みの入ったクッションが入っていて、その中に指輪を納められるようになっている。
ケースに指輪を填め込み、蓋を閉め、引き出しの中から出した正方形のグラシン紙の上に乗せ、グラシン紙に細かくひだを寄せながら包んで銀色のワイヤータイでねじって留める。それから、瑪瑙の指輪には鍵のチャームを、紫水晶の指輪には花のチャームを付けてふたりに見せる。
「この様な包装でいかがでしょうか?」
「わ~、かわいい!」
「いいですね。花恵も文句ないみたいですし、お会計をお願いします」
花恵と照両方に好評なようで良かったと思いながら、ひとりずつ会計を済ませていく。
それから、ひとつずつ別々の紙袋に入れて手渡すと、ふたりは林檎の目の前で、紙袋を交換していた。その様子を見て、なんとなくくすぐったい気持ちになってしまう。
お会計も済ませたところで、林檎がふたりに訊ねる。
「ところで、お時間許すようでしたら、お茶でもいかがですか?」
すると照が嬉しそうに言う。
「よろしいですか? 実はちょっとそれを期待してきたところもあるので」
「照ちゃんほんと正直だよねー」
こう言う事はよくあるのか、すこし呆れ顔をする花恵。そのふたりを見て微笑ましく思いながら、林檎はバックヤードから丸い座面のスツールをふたつ運びだし、レジカウンターの側に並べた。
それをふたりに勧めてから、レジカウンターの奥の棚から、青と黄色の光を湛えたグラスをふたつ取り出し、カウンターに並べる。そうしてから、ブリキの器に詰まった氷から鱒の瓶を引き抜き、中の黒いお茶をグラスに注いだ。
「お待たせしました」
グラスをふたりにそれぞれ手渡すと、香りを聞いて不思議そうな顔をしている。
「プーアル茶なのになんかお花の匂いがする」
花恵がそう呟くと、照も不思議そうな顔をする。ふたりの様子を見た林檎は、くすくすと笑いながら種明かしをする。
「そのお茶は、薔薇の蕾が入ってるんですよ」
「薔薇の蕾?」
「えっ、すごい。めっちゃ高級っぽい」
予想外の内容だったのか、驚くふたりに林檎は優しく言う。
「是非味わっていってくださいな」




