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とわ骨董店  作者: 藤和
2004年
3/75

3:布の花

 まだ肌寒い日が続くとは言え、吹く風が温み初めて来たある日のこと。その日は快晴で、日向では近所の飼い猫がうとうとと昼寝をしている。

 とわ骨董伝の店内は、窓から入る光と申し訳程度に点けている暖房のおかげか、眠気を誘うような、穏やかな温かさだ。

 良い天気なのに、開店してしばらくしてもお客さんが来ない。その事でつい気が緩んで瞼が落ちそうになったので、林檎は眠気を振り払おうと、両手で頬を軽く叩く。


「ちょっと気分転換した方が良いかなぁ」


 そう呟いて、レジカウンターの奥に有る、様々な焼き物が置かれた棚の中から、小さな香炉を取りだした。

 その香炉の中には白い灰が詰まっていて、この灰の中に、真っ黒な炭団を入れて火を付け、灰を被せた上に雲母でできた銀葉という板を乗せて香を焚くのだ。

 香炉の入っていた棚の引き出しから、小さな炭団と銀葉をひとつずつ取り出して、香木の欠片の入った瓶も用意する。

 香炉の中の灰に小さな穴を開けて炭団を入れる。マッチで火を点け、灰を被せ、その上に銀葉を乗せる。それから、香木を一欠片つまんで銀葉の上にまた乗せた。香木から溶けるように芳香が立ち上る。甘く、どこか軋むような、清浄な香りが漂った。

 これですこし気持ちがしっかりとしたけれども、やはり暇なのでお茶を淹れようと、林檎は棚から、続いて茶器も取り出そうとした。

 その時、今までずっと閉まっていた店の扉が開いた。

 振り向いて見てみると、背が高く、ハイネックのカットソーの上にループタイを付け、黄みがかった緑色の髪をショートにした男性が入り口から入ってきていた。

 林檎に気づいた男性が、軽く頭を下げてから店内を見て回る。真っ先に、棚の上に置かれた仏像の首が目に入ったのか驚く様子を見せたけれども、そこからさっと目を離して他の品物を見ている。

 仏像の首があるのとは反対側の棚の上に並べられた、鮮やかな絵付けの陶器。それらをまじまじと見て視線を移動させていった先で、彼の視線が止まった。そこには、細やかな細工が施された、布の花の飾りがいくつも並んでいる。

 その布の花の飾り、つまみ細工は、螺鈿の箱に入れられた物と、寄せ木の箱に入れられた物とが有る。螺鈿の箱に入った物が古物で、寄せ木の箱に入れられた物は、古布を使っているとは言え最近作られた現代物だ。

 ふたつの箱の間で男性が視線を泳がせる。それから、手に取ったのは寄せ木の箱に入れられた、深紅の花のブローチだった。

 彼はレジカウンターにそれを持ってきて、愛想の良い笑顔で林檎に声を掛ける。


「こちらをいただきたいのですが」

「ありがとうございます。ご自宅用ですか?」


 男性が着ける。と言うのはなかなかに塩梅が難しそうなその品を見て、林檎がそう訊ねると、彼は迷わずにこう答えた。


「自宅用なので、簡単で良いですよ」


 まさか自分用だとは。すこしの驚きを感じながら、林檎は、かしこまりました。と言って電卓に価格を打ち込んだ物を男性に提示し、レジカウンターに付いている引き出しからクラフト紙の袋を取りだし、その中に赤いつまみ細工を入れる。それの口をテープで留め、紺色の紙袋に入れ、またその口を唐草模様のシールで留めた。それから、会計を済ませて紙袋を彼に渡す。

 その時にふと、こう訊ねた。


「もしお時間許すようでしたら、お茶でもいかがですか?」


 この店では、お客さんにお茶を振る舞うことが少なくない。暇な時間にやっと来てくれたお客さんと、言葉を交わす時間があっても良いだろうと思ったのだ。

 林檎の問いに、男性は嬉しそうに答える。


「良いんですか? それじゃあお言葉に甘えて」


 軽く頭を下げる男性に笑顔を返し、林檎はまず、バックヤードから丸い座面のスツールを一つ持ってきて、男性に勧めた。それから、レジカウンターの奥に有る棚から茶器を用意する。ポットは、大きめのガラスのティーポット。カップは自分用の萩焼の物と、すこし悩んでから赤地に白いまだら模様のある美濃焼きのカップを取りだした。

 それから、お茶をどうするか。それを決めるために男性に訊ねる。


「普段、お茶はどんなものを飲んでおられます?」


 その問いに、男性はふいっと斜め上を見てからこう答えた。


「コーヒーを飲むことが多いんですけど、お茶だと紅茶のことが多いですね。

あまりお茶には詳しく無いというか、こだわりが無いと言うか」

「なるほど、そうなんですね」


 それを聞いて、林檎は棚の中に有る、透明な密閉容器に手を伸ばす。その中には黒い茶葉がいくつか塊で入っていた。


「プーアル茶など、いかがでしょう?」


 容器の蓋を開け、男性に差し出す。彼は容器を受け取って香りを嗅いで、不思議そうな顔をしてからはにかんで林檎に返す。


「なんだか変わった香りのお茶ですけど、試してみます」

「はい。それでは少々お待ち下さい」


 にっこりと笑顔を返し、林檎は容器の中の茶葉をティーポットにいくつか詰め込み、お湯を注ぐ。それから、ティーポットを軽く振ってからバックヤードに入り、お湯をシンクに流す。店内に戻ると男性がびっくりしたような顔をしていたけれども、またティーポットにお湯を注いで、お茶を蒸らすためにレジカウンターに置いた。

 蒸らしている間に、男性が訊ねてきた。


「あの、最初のお湯はなんで捨てちゃったんですか?」


 それを聞いて、林檎はなるほどと思う。自分は中国茶にそこそこ馴染みがあるので、一煎目は茶葉を洗うために捨てるというのを知っているけれども、お茶に馴染みの無いひとからすれば不思議な工程だろう。林檎がその事を簡単に説明すると、男性は感心したような顔になる。


「なるほど~。お茶も奥が深いなぁ」


 そうしている間にお茶もしっかり蒸らされたので、カップの中にお茶を注ぐ。美濃焼のカップを男性に渡し、林檎も萩焼のカップを持って籐の椅子に腰掛けた。

 ひとくち、ふたくちとお茶に口を付け、林檎が訊ねる。


「ところで、先程のブローチですが、やはりご自分でご使用になるんですか?」


 すると男性は、嬉しそうに答える。


「はい、そうです。ああいう感じのブローチとか好きなんですけど、なかなか手に入らなくて」

「確かに。つまみ細工は髪飾りはよく見ますけど、ブローチは余り見ませんよね」

「あと、仕事の関係で私物の紹介をする事があるんですけど、そういうときにこう言う珍しい物が有ると結構評判が良いので」

「そうなんですね」


 私物の紹介、と言った時に、彼はすこしだけ疲れた顔をした。それを見逃さなかった林檎は、穏やかな口調で言う。


「大変なお仕事なんですね」


 すると男性は、困ったように笑って、大変な仕事だというのがなかなかわかって貰えないと、そう言った。


「でも、こう言うお店でお茶をいただくと、仕事の疲れを忘れて落ち着けます」


 彼のその言葉に、林檎は軽く頭を下げて言う。


「でしたら、是非ともゆっくりしていって下さいませ」

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