24:年末の差し入れ
すっかり年の瀬となった頃。この日も外の空気は冷たく、空調を入れて暖めた店内は、訪れたお客さん達を安心させていたのか、この日訪れたお客さんは皆、表情を緩ませていた。
先程一緒にお茶を楽しんだお客さんが店を出てからしばらく、林檎はひとりでぼんやりとしていた。
レジカウンター側から見て左手にある棚から、幾つかの石を持ってきて並べたり、手に取ったりしているうちに、この石を仕入れた場所ではどんなことがあったかだとか、この石にまつわる逸話はどんなものだとか、そう言う事が取り留めもなく頭の中に浮かんでくるのは楽しかった。
数ヶ月前にこの店を訪れた客、アザミは、真っ赤な辰砂のことを警戒していたなと、その石を指で持ち上げてじっと見つめる。
あれ以来、辰砂の取り扱いには気をつけているけれども、どの程度気をつければ大丈夫なのか、それはわからなかった。
そうしていると、店の扉が開く音がした。
「林檎さん、こんにちは」
挨拶と共に店の中を覗き込んでいるのは、黒い外套に袴姿の男性で、この店の常連だ。
「あら、悠希さんお久しぶりです。
鎌谷君もどうぞ中に入って」
林檎がそう声を掛けると、悠希は、扉をすこし大きく開けて、紫色の風呂敷を首に結んだ柴犬を店内に入れた。
ぱたん。と扉の閉まる音がすると、鎌谷と呼ばれた柴犬が静かに歩いて林檎の足下までやって来て、ちょこんと座った。
林檎は籐の椅子に腰掛けたまま、鎌谷の頭を撫でる。すると、鎌谷は可愛らしい鳴き声を出した。
その様子を悠希がすこしぎこちない笑顔で見ていたけれども、林檎の視線に気づいてか、すぐに穏やかな表情になる。
それから、レジカウンターの上に並べられた石を見て興味を持ったようだ。
「きれいな石ですね」
そう言って、レジカウンターに歩み寄り、すこしかがんで石を見つめる。
「先日の仕入れの時に、いくつか新しく入荷したんです」
「そうなんですか。このお店では初めて見る石がいくつか……」
林檎が水晶のような形をした金属系鉱物を手に持って悠希に見せると、明らかに悠希の表情が強張った。
悠希がこの様な表情を見せた事は今までに無いので、林檎は疑問に思い、おずおずと訊ねる。
「あの、どうなさいました?」
「硫砒鉄鉱には、直接手で触れてはいけません」
「硫砒鉄鉱?」
そう言われて、今手に持っている、今回の仕入れで初めて出会ったこの金属が、その名で呼ばれていたことを思いだした。
ふと、辰砂を警戒していたアザミの姿が思い浮かんだ。辰砂は毒だから気をつけた方がいい。そう言っていた。林檎は直感的に、その言葉と悠希の反応を結びつけ、この硫砒鉄鉱と呼ばれる石にも毒があるのではないかと、そう思った。
毒があるのか、悠希にそう訊ねる前に、彼がじっと、林檎の手にある硫砒鉄鉱を見つめながら固い声で言う。
「硫砒鉄鉱は空気に触れると、表面で亜ヒ酸が生成されるんです。
なので、扱う時はなるべく手袋をするか、触った後に手を洗うかした方がいいですよ」
「亜ヒ酸……」
思ったよりも危険な鉱物なのだと、林檎は戦慄する。思わず頬が固くなるのを感じながら、硫砒鉄鉱を棚に戻し、バックヤードに入って手を洗う。それから、また店内に戻って他の鉱物を硫砒鉄鉱と同じ並びに戻した。
「どうもご忠告ありがとうございます」
「いえ、僕も何だか脅すようなこと言ってしまって……」
すっかりいつも通りの柔らかい表情に戻った悠希に目をやると、彼が外套の中から把手付きの紙箱を取りだして林檎に差し出した。
「そういえば、お土産にドーナッツを買ってきたんです。
よろしかったら、真利さんと召し上がって下さい」
先程の緊迫した雰囲気は、いつの間にかなかった物になったかのように感じる。けれども、あまり緊張した雰囲気でいるのも良くないだろうと思った林檎は、ありがたくドーナッツの入った箱を悠希から受け取った。
「いつもありがとうございます。
あ、そうだ。良かったらこれから真利さんのところに行って一緒にいただきませんか?」
隣からは特に話し声が聞こえていないので、きっと今頃真利も暇をしているだろうと判断し、林檎は悠希にそう声を掛ける。
すると、悠希は困ったように笑ってこう答えた。
「実は、先に真利さんのところに行ったんですけど、どうやら難しい作業をしている最中みたいなんです」
「そうなんですか?」
「はい。どんな作業なのかはわからないんですけど、お邪魔しちゃいけないかなって思って」
そんなに気が引けるほど集中するような作業をしていることは珍しい。けれどもそれはそれとして、集中しているならしばらくそっとして置いた方がいいだろう。
「そっか。それじゃあ、うちですこしお茶でもいかがです?
外は寒かったでしょう」
レジカウンターの上にドーナッツを置いて林檎がそう言うと、悠希ははにかんで答える。
「はい、ありがたくいただいていきます。
手がかじかんじゃって」
「あらあら。ゆっくり温まっていって下さいね」
バックヤードから運び出したスツールを勧め、レジカウンターの奥にある棚から、茶器を取りだしお茶を選ぶ。
咄嗟に選び出したのは、リラックスできる香りの、菊の花だった。




