今の話 ―3月末日―
夜の浜辺で二人。
一人は年端もいかない少女、もう一人はどこか疲れた風貌の男性。
春先だというのに少女は薄着で静かに湾になった向かいの高速道路の明りを見つめている。
男はそれを後ろから声をも掛けずじっと眺めている。
「ねぇ、先生」
澄んだ空気に少女の声が響く。
薄い輪郭の少女が青白い街灯に照らされて振り向いた。
「ねぇ、先生」
冷えた夜の空気に彼女の小さな声が震え伝わる。
対岸の高速道路の明りがやけに眩しい。薄着の彼女は春先の冷たい浜風を受けながらも眉ひとつ動かさず薄いフレームの眼鏡の奥の真っ黒な瞳を僕に向けてくれる。
「連れてきてくれて、ありがと」
中学生の日に焼けていない真っ白な肌が青白い街灯に照らされて彼女の無表情な顔が照らされる。
僕はそんな彼女に見とれながらも、首をゆっくりと横に振って見せた。お礼を言われるようなことはしてない。ただ、彼女を連れて海の見える場所に行きたかったのだ。
海面に高速道路のオレンジ色の明かりが縦に伸びて歪む。きっと僕らの関係は水面のオレンジ色の光りと同じく歪んでいて、少しの波で揺ら揺ら途切れて消えてしまうものなんだ。
彼女は肩から横がけに下げた鞄を背負い直す。
「行きましょ、先生」
「もういいの?」
潮風に揺れて名残惜しそうな彼女の後ろ髪を見て言う。
「はい、少し肌寒くなってきました」
春先とはいえ、袖の長いTシャツ一枚のその姿は見ているこちらも肌寒く感じてしまうほどだ。それでも彼女は上着を着ないのには何か理由があるのだろうか。ただ、冷たい夜風に薄着で立つ彼女のその姿はどこか『孤高』という言葉が似合っていて僕はそんな、彼女に年甲斐もなく惚れているのだ。
少女の小さな唇から漏れる白く濁った息が風に揺れて空に上がっていく。
夜空には黄金の月が燦々と彼らに月光を垂れ流している。