蒼の魔術師と月の名の模造虚神
貴方が――蒼の魔術師ですか?
家族で休暇も兼ねて大きな湖の調査に来ていた俺は、
昼時、涼し気な風がゆるりと吹く湖の周辺を探索した後、
妻と愛しの子どもが、花摘みに行くといったので、
別行動を取り、近くに椅子をたてて身体を預けて休んでいた。
澄んだ空気とこんこんとした水の音に感覚が溶けていきそうなすんでのところで
そう声をかけられた。
眠りに落ちる前に声をかけられたことで少し心地の悪さを抱いたモノの、
何か用があったのだろう人の問いかけを邪険になどするはずもなく。
俺に声をかけただろう誰かは、その短い問いの声色を聴く限り、
穏やかで、冷静なようだ。
「こんな穏やかな場所で旅行中の親父になんのようかな、?」
自らの事を親父と形容して言葉に放つと、そう歳を重ねていなくとも、
少しばかり虚しい気持ちが内部に木霊するような感覚を覚えた。
俺の言葉を受けた誰かは、
静かに短い笑い声をフフっと漏らして、
「ああ、いえすみません、用という用があった訳ではないのですが、
少しばかり、お尋ねしたい事がありまして。 」
そう言う人物の声は穏やかではあるが先ほどよりも冷たさが増して、
先ほどよりも、鋭さが募っている。
「はて、どんな事が訊きたいのかな?
あまり難しい事で無ければ、お答えしても構わないが。」
辺りの雰囲気がじりじりと熱くなっていく。
「貴方は――銀の道化を知っていますか? 」
「知らないねえ」
俺がそう零した瞬間、今まで俺の背後にいた人物は、
鋭い殺気を持って何かを俺に振り下ろして来た。
だが、当然手ぶらで居る訳じゃあるまいし、飾りつけておいた小型の刃物で、対した。
対した後、素早く引き後ろへと下がり前を観た。
俺の眼に映ったのは白い金属の色に染まった仮面を顔に身に着けている、
短髪のナニモノかだった。
「おいおい、知らないっていうのにいきなり酷いもんだなあ。」
そう言い放つ俺に向かって仮面の何者かは、すいませんと零した後に腕を構えたまま俺をみている。
「貴方が、蒼の魔術師であるのなら銀の道化を知らない事は無いと思いましたので、
唐突な攻撃に移らせて頂きました。名乗りが遅れて申し訳ありません。
【黄金】の神殺しの従者、ムーンドールと申します。」
ほう、神殺し。こりゃあちょっと面倒だなあ。しゃあないか。
「【蒼王】、発光――。」蒼王、其れは俺がベックに近づくために、
血反吐を吐いて身に沁み込ませた一つの力で俺の全て。
本来、大気中に存在する魔力の内一番漂っている魔力は、
淡く柔らかな色をして、辺りを漂い、視認された後静かに消えるモノ。
ただの人間である俺には特殊な力は何も使えない。
元々言葉に魔力が宿ってるとかそんなことも無い。
だから周りの魔力を自らの肉体に絡ませるようにする力を、技を覚えた。
其れが、蒼王。神には届かないモノが哀れにもソレに近付こうとしたある人間が、
結果的に辿り着いた、数種数本ある内の、細い糸先の一つ。
「それは……何故貴方も――?」そう呟いた仮面のモノの眼が、
驚きをわかりやすく見せるように大きく見開かれていて。
貴方も?どういうこ――。
俺が胸の内での疑問を完了させる前に、
仮面のモノの周りに濃い蒼色の光が集まっている。
ほう、こりゃあ……驚いた。
まさか休暇中に、生涯六人目の純度の高い蒼王使いに会うとはなあ。
「其れは、誰に教わったんだ?ムーンドールさん。オジサンに教えてくれよッ!! 」
持っていた小型の刃物で切り付けようと思った思考を振り払い、
腕と拳に纏いつけた魔力を思い切り眼の前の敵の腹部に当てようとした。
「ふふ、オジサンなんて御歳じゃないでしょうに。
けれど、そんな大振りでよろしいんですか?すぐによけられてしまいますよっ?」
仮面は、俺の拳をよけて腕を掴んで引き寄せる。
ヤベッ――仮面をつけた奴の指先には金属製の鋭い爪がこっちの方を向いていた。
おいおい、休暇中にこんなん、有りか……道具も何も持ってきてないのにな。
転移術式を身体の中で早々と組み上げにかかるが、引き寄せる腕の力が強く、
術式展開よりも早く串刺しになりそうだ。すまないアイリ。
僕はまた君に怒られることになりそうだ。
――、
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――――――、、
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ひと際冷たい風が俺の頬を撫でた後、「縛れ、そして――飛ばせ。」
串刺しになることを予想して眼をつぶって口元を笑ったように固定していたんだが。
手が、迫ってくる勢いが、聞き覚えのある愛しい声が聴こえた瞬間に、止まったような気がして。
おそるおそるゆっくりとつぶった眼をゆっくりと開いてみる。
先ほどまでは眼前に居た仮面の者が、すごい勢いで後方に飛んでいくのが見えた。
これは、もしや。
「なに、やってるの??何かあったら連絡するのが、家族じゃない??ねえ、メル君――?」
あ、これは怒ってる、おこっていらっしゃる。
「い、いや……ちょっと心配かけたくないし、君とあの子になにかあったらもう後悔だけじゃすまないとおもってさ。」顔の横にうっすらと冷や汗をかく。
これは、修行してた時に怪我したのを隠した時と同じように怒られるかもしれないぞ。
焦りのとまらない俺は、段々と胃が締め付けられる気分のまま、彼女に頭を下げている。
「まったく、熱が入ると前しか向かないのはキミの悪いくせだよ?? 」
それとね、とこぼした後、「そんなにわかりやすく遠くからわたしたちを狙っていても、
絶対にわたしの守りは抜けられませんから覚えておいてください。
ムーンさん、でしたかね??あの人に似ている名前なのになんて猪突猛進なんでしょうか。」
そう言って、あの方に教えられた白光球の防御を展開する彼女の眼は、
心なしか、若かりしころの特訓を思い出すように少しだけ微笑みを含んでいた。
蒼色の光を纏ってこちらに突撃してくるムーンドール。
激しい音も火花も、摩擦も起こる事がなく白光球の防御の前で少しも動かないヤツは、
やがて、はあとため息を吐いた後に呆れたように蒼王を解いた。
「あなた方は、穏やか過ぎますね。本当に自らの大事なモノを守るために熱を帯びているようで。
我が主を殺めたモノの系譜がそんなに優し気な顔をするなんて、わたしには考えたくありません。」
ムーンドールはそう言ったあと後ろを向いて、ゆっくりと湖の入口へと戻って行く。
こちらから見えなくなる前に、彼は一言「次お会いした時はもっと深い話を聴かせてください、わたしは……彼を、銀の道化を許せませんから。」と。
そんなことをどこか悲しそうな眼で呟いて姿を消した。
澄んだ水音と、柔らかい風が、ここにきたときと同じように吹いている。
違う事があるとするならば、もう、逢う事はないのだろうと、
何故だかそういう予感が、拭えない時間が少しばかり続いたことだ。
花つみから戻って来た我が子の頭を撫でながら、
突然の来訪者の行く末を、案じて。
俺たちはまた遊びに戻る。
この休暇が、俺たちはもちろん、ヤツにも無駄で無かったことを願って。
妻が作ってくれたおにぎりは少しばかり塩気が強くて、美味しかった。
家族と飯が食える幸せは、きっとその時にしかわからない。
寂しさはいつか限界が来る。
その時に、誰か手を差し伸べてくれる人が、ヤツに見つかるといいな。
――――昼飯の後、水遊びに巻き込まれてびしょ濡れになった俺は、
そんなことをぶるぶると震えながら考えていた。