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第3話 芝桜の別名はハナツメクサだって

 傘は三本、男が三人、女が一人しかも美人。

 この状況で男どもがすることは、殴り合うか論争するかジャンケンしかない。僕らは平和裏にジャンケンで決めることにした。

 あいこが三回続き、四回目で宝来が負け、五回目で僕が負けた。つまり神薙さんとの相合い傘権を仕留めたのは、あろうことか子門だった。

 子門丈司は無口って書いたけれど、考えたらそれほどでもない。口から先に生まれ出た宝来と一緒にいると、どうしても口数が少なくなってしまうだけだ。この時も「後出しだ後出しだ後出しだ」という宝来の三連続攻撃を、「違う」のひと言だけで防戦した。


 さて出発と玄関の外までみなで来た。雨はだいぶ小降りになっている。傘の装備を諦めた生徒たちが次々と走り出ていく中、僕と子門の傘が広げたところで、神薙さんがふと重大なことに気がついた。


「考えたら、私が一本使って、残りの三人で二本を使えばいいのでは?」

「うぁぁあああ、なんでそれに気づくんだよぉぉおおお!!」


 宝来が泣き叫ぶ。子門も小さなため息を吐き出した。

 そう、恐れていた野郎同士の相合い傘という試練が、僕らの前に立ちはだかったのだ。

 もう一度ジャンケンしようと宝来が提案をする。けれど即座に「子門くんと宝来くんが一緒に入ればいい」と神薙さんが決定を下してしまった。僕としては、そうなったらいいなと希望していたので、宝来の「しょぼーん」という言葉に内心ニンマリした。


 神薙さんの神社まで、距離にして一キロぐらい。学校の前にある国道を東に行って、五つ目の信号を左に曲がり、さらに“豊表(とよおもて)神社”と書かれている看板がある山道を行った先だ。その山道の突き当たりには参拝者用の駐車場があって、そこからは長くて急な石段を登らなければならなかった。

 数えて上ると全部で235段。宝来は最初の20段目からずっと文句を言い続け、150を過ぎた頃から半べそになり、最後の35段はほぼ死んでいた。

 そうしてやっと登り切ったところに、大きくて古そうな鳥居がでんと構えている。真ん中の神額には金色の文字で“表”と書かれてあった。

 まず神薙さんがくぐる。

 それに続くかと思われた宝来&子門ペアだが、子門の誘導で石畳の一番端まで移動していった。


「って、子門、どうしてこっちに来た」


 足も腰もガクガクになっているらしい宝来が口をとがらせる。子門は柱の横で立ち止まり、しばし考えてからモソモソした声で、「なんか崩れそうで怖いから」と説明をした。


「なんだよ、それー」


 文句を言ったものの、子門が傘を持っているせいで宝来もしかたがなくついて行く。そんな二人の後をついて、僕も鳥居の横を通り過ぎた。


 数十メートル石畳の参道を歩いて行くと、二基目の鳥居があった。神額には“豊”と書かれている。僕は面白いなと見上げ、それからまた子門を真似して鳥居をくぐらずに、横から境内へと入った。

 豊表神社の(やしろ)はかなり大きくて、何度か修復された跡はあるけれど、鳥居と同じくらい古くそうに見えた。社の近くに碑みたいのがあった。読んでみると、「明応八年(西暦1500年)建立」と書かれてある。つまり五百年以上前に建てられたのだと知り、僕はとても興味を持った。

 境内には他に灯籠や手水舎(ちょうずや)や小さな祠があり、僕が今まで行ったことのある他の神社と同じような感じだ。違うところと言えば、境内に山の香りがしていることぐらい。


「あずさちゃん家ってどこ?」

「なんで宝来は、神薙さんの名前を知ってる?」

「妬くな、海知。学校のカワイイ子を、すべてチェック済みなだけだ」

「あっ、そ」

「で、あずさちゃん家は?」


 もう一度馴れ馴れしく尋ねた宝来に、神薙さんは馴れ馴れしくされたくないという表情で、社の左を指さして答える。そこには、社に隠れて屋根の一部だけが見える家があった。

 けれど神薙さんは家に招待などするつもりなど当然ないようで、家に背を向けるようにして歩き始めた。


 境内にはどの神社にもあるような、おみくじを引いたりお守りを買ったりする建物(授与所っていうらしい)がある。その横にある砂利道を神薙さんが行くのを見て、僕ら三人も慌てて後ろをついていった。

 道は百メートルぐらいゆるゆると蛇行し、小さな池の縁に沿って山のほうへ大きく曲がった。

 それから雑木林のようなところを抜け、やがて開けた場所に出た時、僕らはそれに目を奪われ立ち止まってしまった。


 丘一面に広がるは、目に鮮やかなピンクと紫のじゅうたん。春風に優しく撫でられて、花たちは嬉しそうに花弁を揺らしている。

 視線をわずかに上げると、灰色の雨雲の切れ目からは、薄い光芒が下界へと降りているのが見えた。

 極楽に来てしまったかのようだと僕は思った。無意識に黒い傘を閉じたのは、この世界を汚してしまうような気がしたから。僕を真似したように子門も濃紺の傘を下ろす。隣にいる宝来も、珍しく文句は言わなかった。

 ただひとり、グレーの折りたたみ傘を差したままの神薙さんが、僕らから離れた場所で花たちを眺めている。傘に隠れて、彼女の表情は見ることはできなかった。


「うほっ、マジクソきれいだし」


 ようやく宝来が宝来らしい言葉を口にした。


「クソはないんじゃないの?」


 神薙さんの声は非難に満ちていた。

 僕もそれには同意して、うんうんとうなずく。


「しょぼーん。でも“マジクソ”っていうのは……、まあ、いいや。それよりこんなきれいなのに芝桜って名前、地味過ぎね?」

「芝桜の別名は、ハナツメクサって言うらしいわ。花を詰る草ね」

「それもなんか地味。もっと派手なのが似合うのに。たとえば、アメージンワンダフォーフラワーとか」


 宝来の命名センスと発音力のなさが明らかになると同時に、極楽に来たような僕のありがたい気分も萎えてしまった。子門も同じことを思ったのか、小さなため息でその気持ちを表現する。宝来自身も恥ずかしかったらしく、顔を赤くして「なんだよ!」と子門をひじで突っついた。


 前から思っていたけれど、子門は宝来に弱いみたいだ。力なら絶対に子門のほうが強いはずなのに。子門も嫌がっている素振りはないし、こういう友情関係も有りなんだろう。

 で、宝来に睨まれたその子門は、ごまかすように花じゅうたんへと視線を戻してから、小さな声で「あ……」と言った。


「なんだよ?」


 同じ言葉だけれど、今度は疑問符をつけて宝来が尋ねる。


「いや、あそこに子どもがいるから」

「子ども?」

「ほら、あそこに」


 子門の太い指が、丘の上を差した。


「いねぇし」

「いるし」

「いねぇって」

「いるって」


 こんなやり取りが十回ぐらい続いたあと、助けを求めるように子門が首をめぐらせ僕を見た。

 なんと答えるべきか、僕は正直迷ってしまった。本当のことを言って、この不毛な戦いがさらに激化するのはもっと不毛だ。だからといって黙っているのも気が引ける。答えに苦しんで、口の中でウーウー唸っていると、神薙さんが先に答えてしまった。


「いないわよ。こんな天気の悪い日にだれか来るわけないじゃない」

「え、でも……」

「ほらみろ。お前、クスリでもやってるんじゃねーの?」

「本当にいるだって。な?」


 一度は神薙さんの傘を見た子門が、ふたたび僕に救済の視線を送ってくる。なんで彼が僕のことを救世主だと思っているのか、それが少々不思議ではあった。


「ええと、実を言うと……」


 それ以上は言えなかった。

 なぜなら神薙さんのすぐ横に、彼女を見上げる子どもが立っているのに気づいたからだ。


『ねぇねぇ、どうしてボクが見えないふりをするの?』


 年は幼稚園児か、もしくは小学校低学年ぐらい。首まである薄いピンクの髪は、毛先があちこちに飛び跳ねている。瞳は珍しい薄紫。芝桜と同じくなんとも華やかな容姿だ。けれど着ている物はかなり地味で、藍色の粗末な着物に浅黄色の帯を締めている。“ボク”なので男の子だと思うけれど、ボクっ娘ではないとは言い切れなかった。


「あ、来た」

「どこどこ?」


 子門の目は完全に子どもを捕らえている。宝来は辺りをキョロキョロして、必死に探し回っていた。


『ねぇ、どうして?』


 だけど神薙さんはなにも答えない。


『ねぇねぇねぇねぇ、どうしてどうしてどうしてどうしてどうして?』


 彼女の周りを子どもがぐるぐる回る。

 彼女の表情はまだ傘に隠されて分からなかったけれど、柄を握りしめた手が微かに震えているのが僕には見えた。


『ねぇねぇねぇ、どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして?』


――桃色の髪が、春風に揺れる花のようにゆらゆら揺れている。

――紫色の瞳が、雨粒に濡れる花のようにうるうる濡れている。


「るさい!!!」


 叫んだ神薙さんの声に、子門と宝来と子どもがビクッとなった。


「もういいよね? 帰ろう」


 神薙さんはきびすを返して、もと来た道を歩き出した。困惑した子門と、その彼を引っ張るようにして宝来が続く。僕ももまた戸惑いながらも数歩進んで、ふと振り返った。そこには、パステルカラーの花々を背にした子どもが、寂しそうにたたずんでいる。雨は完全に止んでいた。


 境内に戻ると、神薙さんは僕に傘を押しつけるように返すと、「ありがとう」と呟くように言った。けれどそれ以上の言葉はなく家へと消えてしまった。

 僕らはどうしたものかとしばらく残っていた。小雨に濡れた前髪がおでこに張りついている。子門も宝来も制服の肩が濡れていた。

 風邪を引くから帰ろう。僕が提案しかけた矢先、宝来が「あっ!」と叫び声を上げた。


「ん?」

「わりぃ。ちょっと俺、行ってくる」

「行ってくるって、どこに?」

「花んとこ。写真撮るの忘れてた。せっかくだからツイに載せるわ」

「ちょ、ちょっと……」


 たぶん止めようとした子門の言葉を無視し、宝来は砂利道を戻って行ってしまった。


「ヤバいかも」

「どうだろう。でも、あいつだけは本当に見えてなかったみたいだし」


 だけど子門の表情を見て、僕も不安になったことは確かだ。なぜなら、あの花たちの向こうに嫌な気配を感じ、彼の心配げな顔がそれを裏づけしているように思えたからだった。


―――――――――――


佐伯くんへ

チェック6

 佐伯くんが思った以上に詩人だと感心しました。花の描写の部分は素敵でした。

 それとあの時、佐伯くんにも見えていたんですね。今知りました。なんだか……。いえ、なんでもありません。次はきっと私の知らない事情なんだろうと想像して、楽しみ半分不安半分といったところです。


神薙さんへ

回答6

 描写は頑張りました! 昨日と一昨日は三時間もトイレに籠もって、考え続けました! あの花のところが上手く書けたのは、トイレのおかげです。家族のだれも、三時間の占領に文句を言わなくて良かったです。

 あの時のことは、えっと、ちょっと言い出しにくくて。すみません。


佐伯くんへ

返信6

 謝らなくてもいいです。それとトイレの事情は知りたくなかったと一応言っておきます。次を楽しみにしてますので、頑張ってください。



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