第2話 玄関でのごちゃごちゃ
月曜日は昼過ぎから雨が降り出した。校庭の片隅にある桜の木も、とうとう最後の花びらを散らして、濡れそぼっている。先週まで順調に暖かくなってきたのに、また季節が後戻りして、少し肌寒かった。
帰りのホームルームが終わって、僕は急いで隣のクラスに行った。けれど神薙さんの姿はない。扉の近くにいた女子に尋ねると、たった今帰ってしまったと教えてくれた。
彼女には申し訳ないことした。僕のほうから約束したのに、遅れてしまうとはまったくもって不徳のいたすところ。でも悪いのは僕じゃなくて担任だ。
うちの担任の三宅先生は国語の教師だというのに、残念なほど話をまとめるのが下手くそ。生徒が彼のことを「ノデ」と呼んでいるのは、「~ので」で延々と言葉を繋ぎ続けるからだ。その日のホームルームでも、彼は遺憾なくその残念さを発揮してくれた。来月の球技大会の説明に、「ので」を三十六回も使って頑張った。
しかもクラス全員が「お前、それ、三分の一の時間で説明できるよね?」と思ってしまうほどに頑張り過ぎた。そのせいで、隣のクラスの大半がもう帰宅の途についた頃、僕らはやっと椅子から立ち上がることを許されたのだった。
つまり言いたいのは、神薙さんを待たせたのは僕が悪かったわけじゃないってこと。すべてはノデのせいなんだ!
ガッカリして玄関まで降りてみると、ありがたいことに神薙さんがまだ下駄箱の前にいた。彼女以外にも生徒が数人いて、現在進行形で土砂降ってる雨を眺めている。彼らの手には傘はない。つまりそういうこと。
朝の天気予報ではちゃんと雨だと言っていたのに、予報士を信じなかった者がこんなにいるのは、僕としては信じられなかった。
「天気予報は信じたほうがいいと思うよ」
僕が後ろから声をかけると、神薙さんはヒッっという声を出して、驚いた顔で振り返った。
「な、な、なに!?」
「つまりさ、最近の天気予報はわりと当たるんだって」
「天気予報、というよりテレビを見てないから」
「なんで!?」
今度は僕が驚く番だ。うちの家族は必ず朝のチェックは欠かさない。それが世の中の常識だと思っていた。
「朝はわりとギリギリなの」
「あ、分かった。アニメや漫画の中のアレをやっているとか?」
「アレ?」
「食パンを咥えて走……」
「ってない」
「しょぼん」
無表情の神薙さんが、食パンを咥えて走っている姿を想像して面白かったのに、きっぱり否定され、僕は酷くがっかりした。
「口で“しょぼん”って言う人に初めて会った」
「ああ、それはね、去年同じクラスだった宝来ってやつの口癖……」
「呼んだ?」
まさかの宝来有樹本人が登場。下駄箱の横からひょいと顔を出した宝来は、相変わらずチャラい感じに茶髪をワックスでセットしている。ピアスの数もいつもの通りで、両耳にそれぞれ四つずつ。いくらうちの高校の校則が緩いからといって、穴だらけのやつは彼だけだ。来年は鼻と唇もと言っている。それは止めておけと僕はアドバイスしたけれど、たぶん聞かないだろう。
「いや、呼んでないって」
「でも俺の名前、口にしたろ?」
「したけど、呼んだのとは違う」
「なら陰口かよ。しょぼーん」
宝来が悲しそうにそう言ったおかげで、説明する手間が省けたらしい。神薙さんも納得したような目で彼を見てくれた。
けれど宝来はチャラい。じゃなくて強い。こんなことで負けるやつではなかった。前髪を指先でいじりながら、
「あ、そうだそうだ。海知さぁ、長い傘持ってきたよな? でもって、折りたたみも持ってる感じ?」
もと級友は、ふた月前に似たような天気になった時に貸したことを覚えていた。チャラ男の記憶が、ふた月はキープされることを証明された瞬間でもあった。
「家まで遠いから、緊急用にいつも持ってるよ」
「したら、俺の緊急事態に貸して」
「それはダメ」
僕は慌てて断った。というのも、チャラ男のテンションに負けて、神薙さんがそろそろと歩き始めたからだ。
「折りたたみは神薙さんに貸すんだよ」
「私は平気。彼に貸せば?」
「でもそしたら、僕と同じ傘に入ることになるけど、いい?」
相合い傘という言葉を思い浮かべないほど、僕は悟りを開けてはいない。むしろ煩悩数108のうちに70ぐらいまでは軽くカウントできる、ごく普通の男子高校生だ。だからもし神薙さんが“ありがとう”と言ってくれれば、宝来に折りたたみをグイグイと押しつけられるくらいの気分ではいた。それなのに――
「無理」
顔を赤らめるなんていうのは、神薙さんのキャラじゃないって今でこそ分かるけども。でもあの時は2mmぐらいの穴が心に開いたことは確かだ。
「それに、この天気でうちに来るつもり?」
「だって約束」
「してないから」
「えっ!? 海知って、神薙さんとつき合ってんの?」
大げさに驚く宝来。それに対し、「つき合ってません」と氷魔法を唱えているような声で即答する神薙さん。
「海知、泣くな」
「泣かない。けど凍った」
「よし、俺が応援してやる。神薙さんは能面みたいだけど美人だし、海知はボケッとしてるけど顔いいし、ふたりはマジお似合いだよ。能面仲間のお前もそう思うだろ、子門?」
宝来が声をかけたのは彼の背後にヌボッと立っていた子門丈司。ハンドボール部の副部長だ。スポーツ刈り、180もある身長、無口、しかも強面という容姿だから、下級生はもちろん上級生からも恐れられている。そんな子門と宝来は不思議と馬が合うようで、いつもつるんでいた。
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神薙さんへ
質問5
二話目終わりませんでした。この三倍ぐらいの長さになりそうですが、いいですか?
佐伯くんへ
チェック5
不要な会話文が多すぎです。カットしてください。特に能面の下りは必要ですか? 仮にも小説のヒロイン役の女子が能面みたいなのは、色々問題があると思います。
神薙さんへ
回答5
では短く書いてみます。けど、能面にどんな問題があるのかまったく想像がつきません。僕は別に気にならないです。それに能面みたいでも美人のヒロインなら、男は嫌いじゃないと思います。
佐伯くんへ
返信5
ええと、ヒロイン役は可愛らしいほうが、ウケがいいと思います。それに何度も言いますが、実在の人物をそのままモデルにしなくてもいいんですよ?
神薙さんへ
《変更案》
月曜日に神薙さんを迎えに行ったらもう彼女は教室を出てしまっていて、悪いことをしたなって思っていたけど、ラッキーにも雨のせいで彼女は玄関で足止めを食らっていて、だから「傘貸すよ」って言ったのに見事断られ、しかも突然現れた宝来が「相合い傘だー」って茶化して、みたいなごちゃごちゃがあって、したら急に宝来が、「なんで家に行くんだよ」って聞いてくるから、「芝桜を見に行くんだ」ってうっかり答えてしまったら、「あー、知ってる。神薙さん家の神社にある芝桜、有名だよね。ならさ、今日は子門も部活がないし、今からみんなで見に行こうぜ」って宝来が勝手に決めて、僕も神薙さんも拒絶したけれど、なんだかんだで結局、僕と宝来と子門の三人で神薙さん家の神社に行くことになった。
佐伯くんへ
再チェック
そうですか、そう来ましたか……。あ、他意はありません。ただ初めて小説を書く佐伯くんに厳しいことを言ったと反省しただけです。三話目から自由に書いてください。ただし今回の創作クラブ会誌では、部長の権限をもってしても、原稿用紙百枚以上はページが割けませんので、できる限りでいいですので簡素にお願いします。




