四日目と…
…これでよしっ!
紫は汗を手拭いで拭き取ると、完成した小屋をまじまじと眺めながら嬉しそうに呟いた。
「すごい!ここが私のお家なの⁉︎」
彼女は頓狂な声を上げる。
「あぁ!桔梗、君の家だ!」
彼は誇らしくそう告げた。彼女は早速出来た小屋の中でお茶を淹れ彼に差し出す。
「君が何者なのかについて少し調べてみたんだ。」
疎ら花園を一瞥しながら、彼はばつが悪そうにそう切り出す。
「私が何なのか…わかるの…?」
彼女は訝しげに尋ねる。
「君に聞いた経緯と様々な文献を照らし合わせたんだ。」
彼は懐から麻紙の紙束を取り出す。
「この書物は400年も前のもの、君に似た経歴を持つ男性の記録、歳をとらず何百年も変わらぬ姿でいたらしい。だけどもういない。」
彼は淡々と語る。
「その男は数百という年数を重ねたが、ある日ぽっくりと死んでしまったそうだ。」
「どうして…?」
彼女は尋ねる。
「詳しいことはわかっていない。ただ、死ぬ直前に彼は生き神と崇められていたらしい。」
「君や彼のようにある時ふと現れて、数百年の時を渡るものが過去に何度が記録されている。過去の記録者達は、君達の様な存在を神の為り損ない、『蛭子』と呼んだそうだよ。」
「神の…なり損ない…」
彼女は口を噤む。
「まぁ、気にすることはないさ。君は君だ…」
しかし、彼女は俯いたまま何も言わない。彼は烟草を吹かし
「何者も、自分が何者であるか、選んで生まれることはできはしない。それが例え神であろうともね、僕はひ弱な人間だ、多分君よりも先に死ぬ。それは悲しいことなのか…それとも…」
彼はそれ以上に何も言わなかった。空は夕染、烟草の煙が棚引きたつのだった。
四日目
家中を駆け回っても彼女は居なかった。ふと、開けっ放しの縁側を視界の端で捉えた。
「もしかして……森の中に⁉︎」
手に持っていたラジオをかなぐり捨て蒼は素足のまま駆け出した。狭霧に囲まれた森は凛と静寂に包まれており、八月なのに肌寒ささえ覚えた。彼女を探さなくては、一体何故……?彼女は出て行ってしまったのだろう……?考えを巡らすがこれといった回答は見つけることができなかった。
兎に角、彼女はを探す。理由は後でも聞ける。不意に泥濘を踏みつけてしまい地面に倒れこむ。
両足からは血が流れている。彼女はゆっくり立ち上がり、ムラサキの名を叫ぶ。しかし応答はない。
少ししてある違和感に気付く。
なんだ……この間隔……
地震……?
地面が揺れている……
刹那、轟音と共に大量の土砂が麓目掛けて落ちてゆく。土砂崩れだ。蒼はその迫力と衝撃と恐怖とで足が竦んで動けなかった。土砂は彼女の目の前スレスレを過ぎていった。あと数歩ずれていたら巻き込まれていただろう。
安堵したのも束の間、今度は一本の古木が蒼目掛けて降ってきた。目で捉えても身体が動くことができない。
あっ……死ぬ……
蒼は死を覚悟した。
鈍い轟音の後、激痛が疾る。彼女は古木に押されて木ごと数メートル下へ落下した。
痛い……あれ……まだ、生きてる……?
目を開くと手も足も身体も、痛みは残るが五体満足。
よかった……と安堵し落ちてきた古木を見て言葉を失った。
ムラサキがいた。それも口と脇から大量の血を流している。腹部には木の枝が突き刺さっている。
そして察する。本来なら私がああなっていたのだ。私はムラサキに助けられたのだ。
「アオイ……大……丈ぶ……?」
力のない弱々しい声でムラサキは尋ねる。
「私のことはいいの!!!それよりもムラサキが……!」
蒼は叫びながらムラサキの元へ駆け寄る。
「私は……もう、いいの……」
笑いながらムラサキは答える。彼女の口元から血が溢れてくる。
「なんで……私なんかの為に……」
「私……の為かな……」
ムラサキは静かに語る。
「誰かと過ごすことが楽しいことだってわかってた。わかってたから……遠ざけてた……けど蒼と過ごして、あの人と過ごして、日が経ちまたあの悲しみに遭うのなら……一人になってしまうのなら……」
真っ白なワンピースが深紅に染まってゆく。
「蒼のあの笑顔を見ると私、もう一人で生きていけなくなりそうで……だからこっそり家を出た……でもアオイは私を探してくれた……危険を顧みずに……私を……嬉しかった……」
ムラサキの目から大粒の涙が溢れる。
「だから……そんな友達の為に”命を使える”のなら……こんなに嬉しことはない……ムラサキ……命の使い道……これであってたよね……?」
雨は止むことを知らず、その悲しみをただ淡々と紡ぐ。八月の驟雨の中、少女はただ己が無力さに打ちひしがれるのみだった。蒼は泣いた。ムラサキの怪我の具合。恐らくもう助からない。
私の思い込みで勝手にムラサキを探して勝手にムラサキを巻き込んでしまった。ムラサキの生きが段々荒くなって行く。溢れる血は流れ続ける。
「もしね……」
ムラサキは蒼の手を握りながら尋ねる
「何……?」
蒼もムラサキの手を握り返す。冷たい彼女の体躯が、何故か今だけ暖かく感じた。
「もし、またどこかで……会うことがあれば……その時は……ー」
彼女の口元から血が溢れる。
「その時は……また……友達って呼んでくれる……?」
「……当たり前じゃない……!!!」
そう叫ぶと彼女は笑顔で事切れていた。
そこからは、ただ泣き叫んだことしか覚えていない。
慟哭は雨音と共鳴して空を鳴らす。
次、私が目が目にしたのは祖母の庭。
雨はとうに上がった後で、水たまりに夕間暮れの空が茜色に映し出されていた。
ずぶ濡れのシャツを脱ぎ捨て、縁側に上がると
一人分の布団がただ置いてあった。
あれ……夢……、?
手のひらに残った桔梗の花に気付く。
ムラサキの花。
あぁ、そうか。
電車の中で目を覚ます。
またあの夢だ。これから戸上へ行く。
クロはもういない。おばあちゃんも、もう畑で仕事はできない。カバンから読みかけのガラス玉演戯を取り出し、桔梗の押し花の栞を取りページを捲る。さぁ、八月の魔女に会いに行こう。
もう、あそこに彼女はいない。
『暗いよぉ…誰かぁ…』
『よしよし、泣かないの…大丈夫。お姉さんがついてる…』
『おねぇさん…誰…?』
『おねぇさんは…、八月の魔女だよ…』
『じゃあ、わるい人なの…?』
『そうかもね…、あなたは迷子…?』
『うん、お母さんとはぐれちゃったの…』
『泣かないの、ほら…』
『きれいなお花…』
『桔梗って言うのよ。綺麗でしょ?』
『うん!むらさき色でとってもきれい!』
『ほら、あれがあなたの家族じゃない?』
『あっ!ほんとーだ!ありがとね!むらさき色のおねぇちゃん!バイバイ!』
『ばいばい…』
『あっ!そうだ、おねぇちゃん!』
『どうしたの?』
『またこんど遊ぼうね!ぜったい!やくそくだよ!』
『うん…そうね、約束ね…』
またいつかーー。




