彼、彼女らの実力
イリス・フロレンツィア・フォン・ローゼンクロイツを良く知る人物は彼女をいろんな意味で凄い女性であると認識している。それは他の人がありえない、冗談だろ、と思うことを本当に実行してしまうせいである。しかし数カ月離れていた梓はそれを失念していた。彼女が話していた梓にとって迷惑極まりないアプリ。これを本当に開発している可能性があることを。
梓はジリジリと鳴り響くスマホに手を伸ばし、覚醒しきっていない脳を回転させ鳴り響く機械の停止を試みる。スマホの画面上にはイリスが枕を抱きしめて寝ている絵と、その少し上にベルのマークが表示されている。また画面中央には『イリス起床の時間十分前です』という文字が点滅していた。
梓が画面に何度かタッチすると音は止まり、画面上にはイリスの寝顔だけが写る。梓は重たい身体を起こしながら、このウィルスを削除しようと適当にボタンを押して設定画面を開く。しかしどこを見てもアンインストールの項目が見つけられず、そのうち目がすっかり覚めてしまった。
「いつの間にインストールされたのかな……そういや、イリスが来た日になんかアップデートされていたかも……」
彼はスマホをベッドの上に放り投げると、顔を洗い着替えを始める。ワイシャツを着た後にカーディガンを手に取るも、彼は静止して窓を見つめる。梓はやがて彼の中で結論が出たようでそのままカーディガンを着る。そして家のキーカードとスマホを持って玄関のドアを開きイリスの部屋に向かう。
どこに居るのか解らない小鳥達のさえずりを聞きながら、梓はそのまま隣の部屋であるイリス宅へ行きチャイムを鳴らした。
するとコンビニで流れていそうな音楽がドアの奥から聞こえるも、それ以外に音がなることはなく、ドアも開くことはなかった。梓は面倒くさそうにスマホを取り出し彼女の電話へ直接電話をする。しかし十回近くコールしてもまったく出る気配は無かった。そのかわりにカチリとドアのロックが開く音が梓の耳に入った。
音を聞いた梓は恐る恐るドアを押すと、彼の押す速度にあわせてゆっくりとドアが開いた。しかしドアの先には彼女の姿は無かった。どうやら彼女は遠隔でロックを解除したようだ。
「イリス、はいるよ?」
彼は通話を切ると声を上げて玄関に靴を脱ぎ玄関に上がる。昨日有ったダンボールの中身は片付けてしまったようで廊下には畳まれたダンボールが置かれていた。梓はダンボールを避けながら廊下を歩き、適当にドアを開く。
3LDKという一人暮らしには分不相応にも感じられる量の部屋から、一回で寝室を当てられたことは、わざわざ他の部屋に行かなくて済んだ彼にとって、小さな幸運だったのかもしれない。しかし彼のこの後を考えるとその幸運はまやかしだった。
彼女が寝室としていた部屋にはいくつかの段ボール、クローゼット、そして白いフリルが大量についた高級そうなベッドがあった。そんなベッドの上にはパジャマを着て小さく寝息を立てているイリス。また彼女は右手の近くにはスマホが置かれている。またそのスマホには遠隔で鍵を開けるアプリが起動していた。
梓はそっと彼女に近づき肩をゆする。すると彼女は少しだけ顔をしかめ白く細い腕で梓の手を掴む。そしてプリンのように柔らかく、不思議な弾力のありそうな唇から『ううん』と年齢に似合わず色っぽい声が漏れた。
その声に驚いた梓はタイミングを誤ってしまった。回避もしくは防御のタイミングを。
瞬間、もぞもぞ動いたイリスの手が動きを見せる。それは彼女の白く細い腕からは想像できないような、鋭いパンチだった。
それは完全に油断していた梓の下腹部に、重い音を響かせながら突き刺さる。ガクリと膝を地面に付けた梓は、だんだんと意識が遠のいていった。
梓が地面に倒れこんだ時、イリスは梓の惨状に全く気がつかず、殴った手で布団を引っ張ると、小さな声で「あと五分」と呟いた。
「別にね、面倒といえばそうだけどそこまでの手間じゃないから起こしても良いんだけどさ。あれだよね。寝起きさえよければね」
梓はまだ痛みの残るお腹をさすりながら牛乳をのむ。
「ごめんなさい。でも私の寝起きの悪さは知っているでしょう?」
「そりゃ知っているけどさ、もっと酷い時もあったし」
そう、彼は以前にもイリスを起こしたことが何度かある。いつの事かは思い出せなかったが、彼女の周りで上級魔法の魔法陣が浮かび上がった時、梓は死も覚悟した。
梓は皿の上のトーストを手に取り齧る。食材は梓が購入した物だったが、料理は梓の目の前に座っているイリスが作ってくれていた。
どうしてイリスが作ったか、それは彼女が目を覚ましたときお腹を押さえ、ベッドに突っ伏している梓を見てしまったのだ。寝起きが悪いことを開き直ってはいる彼女であったが、罪悪感が生まれるのは仕方のないことである。
「ごめんなさいね。まあ代わりに朝食作ったわ、家の冷蔵庫に何も入ってないから梓の食材だけど」
「うん、一応ありがとう」
その後は二人でゆっくり朝食を取ると、荷物を持って家をでる。そして色々有って作れなかった昼食の代わりとなるものを購入し、二人は学校へ向かった。
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「二人で仲良く登校か。うらやましいぜ……」
クリスは梓達が仲良く登校しているのを見ていたようだった。彼は荷物を片づける梓をからかうように……ではなく、さもうらやましそうに言った。
「クリス達だって大抵二人で行動しているじゃないか」
「逆に聞こう。梓は男同士で登校して自慢できると思ってんのか?」
「極一部に需要がある?」
梓は鞄から荷物を取り出しながら、全く興味のなさそうに言う。
「なんか最近沖と一緒に居ると女子から妙な視線向けられるんだよな、肩組んだりとかすると」
「いやぁ、それアウトじゃないかな?」
二人仲良く登校する姿を想像し、梓は心の中で合掌する。
「ねぇクリス、自分の評価を下げるのは結構だけど僕を巻き込まないでくれないかな?」
梓とクリスは声のした方へ視線を向ける。着崩すことなく制服を着ている沖が、紙パックの豆乳を飲みながら梓のもとに近づいてきた。
「なんでだよ。俺とお前の仲だろ?」
沖は豆乳をクリスの机において、向け呆れたように息を吐いた。
「その言い方だよ」
クリスは自分の机の上に置かれた豆乳を手に取り、何のためらいも無くそのまま自分の口へ運び飲み始める。
「それ僕のなんだけど」
「のど乾いてたんだよ、サンキュー」
「まあ、いいんだけどさ……」
「あら、もしかして二人はできているの?」
声の主はすらりと伸びた銀髪を掻きあげる女性、イリスだった。彼女は淡々と喋りながら沖の隣に立ち、いぶかしげな目でクリスを見つめた。
イリスの質問に対して、クリスは右手で自身の胸を叩く。
「もちろん見て分かるだろ!」
「クリス、はっきり否定の言葉を入れてよ。それ肯定に聞こえるから」
沖は悲しそうにつぶやくと、それを見ていたイリスは『ふぅん』と呟き彼らを見た後、梓に視線を向ける。
「それはそうと、梓はチーム決めた?」
梓は小さく頷く。
彼女の言っているチームは授業や学園内外の大会などで使われる魔法師の小規模集合体のことであった。このチームは魔法大会や授業で利用する為の三人ほどで作る集合体であり、一部授業の成績が共有されたりもする重要なものである。基本的には実力が同じくらいのメンバーが集まり、組むのが普通であった。中にはソロやペアがいいという者もおり、表向き君組んではいるが、メンバーはバラバラに行動すると言った者も居るがそれは極少数だ。
「一応四月から仮チームとして自分とクリスと沖の三人で組んでいるけど?」
「ならそれに私も入れてくれないかしら? それなりの実力が有ると思うわ」
視線をクリスたちに向けて、笑みを浮かべつつ自分をアピールしているイリス。そんな彼女を見て梓は少しだけ驚いていた。
「イリスの実力は自分が知っているよ、とても強いってことはね。でも意外だよ。イリスは近衛さんと土御門さんと組むと思っていたから」
イリスは首を振る。
「彼女達の実力は申し分なさそうだし、私も組んで見たいとは思うわ。だけど、こういうのは実力うんぬんよりも信頼できる人が居る方がいいじゃない?」
イリスの言葉を聞いて沖は『ふうん』と反応する。そしてニヤケ顔で梓たちを交互に見つめた。
「うーん、そうだね。じゃあ仮ってことでさ、まとめて六人で組んでみようか。まだ仮チーム結成時期だし、最大人数は六だしね」
沖はクルリと梓たちに背を向けると小さく息を吸った。
「愛理、近衛さん、今ちょっといいかな?」
彼女たちが沖達の方を向くと沖は手招きをする。すこしして彼女達が梓とクリスの席の横に歩いてきた。
「どしたの、ゆう? 禁断症状?」
「なんか僕を病気みたいに言うのをやめてくれる? それに女性関連の禁断症状ってどんなものか少し気になるけど怖いから聞かないよ……愛理のチームは確か近衛さんとの二人きりだったよね?」
「そうよ」
「ならここに居る六人で一時的にチームを組んでみない? 面白い結果になると思うんだ」
不思議な笑みを浮かべて沖は愛理に向かって言うと愛理も彼に対し二マリと笑って返した。梓は二人の意思疎通に少しだけ不安になりながら様子を見つめる。
「いーねぇ。ゆうもいいこと思いつくわね」
「わたくしも別にかまわなくてよ?」
「そっか。クリスや梓君、ローゼンクロイツさんは?」
「このメンバーだったら断る理由は無いぜ、多分学年トップクラスの強さになるだろ。だけどな、沖」
クリスは言葉を区切ると少しだけ目を細めて彼に問いかける。
「お前はいいのか?」
しかし沖は飄々とした様子でクリスに返事をした。
「なあに僕は大丈夫さ。足は引っ張らない」
「お前が良いんだったらいいぜ」
梓はイリスを見つめると同時にイリスも梓へ視線を向ける。そしてお互いが頷きあう。
「私もかまわない。願っても無いわ」
イリスの言葉を聞きながら梓は周りを見渡す。クリス、沖、愛理、麗華、イリス。皆はじっと梓を見つめていた。
「じゃぁ皆でチームを組もうか。今日の昼休みとかに打ち合わせとかしない?」
「そう……ですわね。愛理、今日レジャーシートは持ってきているかしら?」
「有るよう」
「では皆で屋上に行って昼食を食べましょう、沖君たちには申し訳ないですけど昼食は何か外で食べられるものにして貰っていいかしら?」
「うん、購買で何か買っていくよ」
「じゃーぁ、お昼休みに屋上ね」
愛理の言葉と同時にチャイムが鳴る。どうやら一時限目の授業が始まるようで、講師がドアを開き亀のようにのそのそと歩いてくる。それを見た沖たちはそれぞれ自分の席にもどり授業の準備を始めた。
梓もタブレットを取り出すと電源を入れ、画面右上隅に東洋魔法基礎Ⅰの電子教科書とそして画面左下に電子ノートを開いてタブレットペンを置く。そして机の中から紙媒体の雑誌を取り出した。
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午前の授業が終わり、梓はタブレットを片付け後ろで寝ているクリスの肩を揺らす。
「ううぅん、えたーなるふぉーすぶりざ……」
なにやらクリスは寝言で何か不穏な言葉を漏らした。背中に冷たいものを感じた梓は強めに肩をゆする。
「んーふぁああ、あー授業終わったか、おはよ」
「うんおはよう、それとお昼だ。自分はイリスたちと先に屋上に行っているよ」
「ふぁぁあ、わーった」
クリスは大きくあくびをして自らの机を片付けると沖と一緒に購買に向かう。梓は朝に買っていた昼食を手に持ちイリス、麗華、愛理と合流し、屋上へ向かった。
以前四人で食べた時とは打って変わって、暖かい陽射しが差込む屋上。そこで梓たちは前と同じ席を確保した。また今日は天気が良い為か、以前より屋上に人が多く集まっているようだった。
麗華と愛理はレジャーシートを敷くとぺたんと座り弁当を取り出す。梓が麗華たちに視線を向けると愛理が手招きをしたので、イリスと一緒に彼女達の横に座り、二人で買ってきた弁当を取り出した。
それから五分ほどして沖とクリスは屋上に現れ、梓たちの前にあるベンチに座り、皆でご飯を食べ始める。少し雑談をしたのちこの集りの目的である本題に切り替わった。
「じゃぁこのメンバーで仮結成することは決定でいいね?」
沖の言葉に梓は頷くと一人一人の顔を見つめた。
「そうだね。三人と三人で別れることもできるし。チームリーダーは近衛さんかイリスでいいかな? 実力的にね」
「あら、光栄ですけどわたくしは雨乃宮君がいいと思いましてよ」
麗華の言葉で周りの視線が梓に集まる。クリスと沖と愛理は思わず手を止めていたが、麗華とイリスは何事もなかったかのように食事を続けていた。
「そうね、私も梓は賛成ね」
愛理は片目を瞑り梓に笑顔を浮かべる。
「おんやぁ、あずちゃん高評価だねぇ」
周りの視線が突き刺さる梓は、居心地悪そうな様子で両手を振った。
「近衛さんもイリスも過大評価してないかな? 自分はそんなに強くもないよ」
「ご冗談はおよしになってくださらない? まぁ……いいですわ、とりあえず仮ということで雨乃宮君になって貰いましょう」
梓がいくつかの理由とともに言い訳するも、麗華は頑なに譲らなかった。結局折れた梓がリーダーをすることに決定し、彼えらの話題はリーダー決めから少しずつ遠のいていく。
「じゃぁ次の授業は総合戦闘技術だし、色々試してみようよ」
沖がそう言うと麗華は頷く。
「そうね、六人であればこの中で三人チームを二つ作って皆の実力を図るっていうのはどうかしら?」
「三人ってどう分けるんだ?」
「じゃぁ、とりあえずは西洋魔法使いと東洋魔法使いでどうかなー?」
愛理の言葉に沖は頷く。そして指を折り、メンバーの人数を数えた。
「東洋は近衛さん、愛理、僕かな? 西洋はローゼンクロイツさん、クリス、えっと後は梓君かな、って梓君はどっちも得意なんだよね」
「どちらも使えるけど、メンバーのバランス考えたら自分は西洋側かな。あとは男子と女子で分けて見るのもいいかもね」
「じゃあとりあえずはそれで三対三して、みんなの実力確認と相性でも見てみようか」
沖はそう言って手に持った豆乳のストローに口をつけた。
何話か予約投稿してます。




