遅れてきた新入生 3
朝の澄んだ空気を吸いながら、珍しく車や人の少ない道を一人梓は歩いている。いつもであれば学生達サラリーマン達がワラワラと歩いて行く光景が見られる道であったが、それらは見えず梓は一人きりだった。
もしこれが休日であったら、このように人が少ない可能性もある。しかし、今日は祝日でもなんでもない普通の月曜日であった。ではなぜこんなにも人が少ないのか? その答えは梓自身が良く知っていた。
「ふぅっ」
大きなため息が梓の口から漏れる。学校に行く足取りは少しだけ重い。それもそのはずだ。梓は歩きながら空に浮かぶ巨大スクリーンを見つめる。
その巨大スクリーンには最近起きたという魔具窃盗のニュース、天気予報が表示されていた。梓は窃盗被害を受けたという髪の毛が心もとない男性の右上、白く無機質に書かれた文字を見つめる。
そこに表示されていたのは『09:25』という数と記号の羅列。それはたった五文字しかないが梓に現実を教えてくれるには十分だった。
梓はもう一度ため息を吐く。そこに書かれている文字から導き出されるのは、一時限目の授業が始まっているという非情な現実であった。
なぜ彼はこの時間を歩いているか? それは彼のスマホに設定していた目覚ましがうまく起動しなかったからだった。いつもなら平日朝にやかましいほど鳴り響くアラームが、今朝はへそをまげてしまったのか、全く音を出すことはなかった。そして音の代わりに『アラームのインストールが成功しました』と言う文字がお知らせに入っていた為、バージョンアップのバグでタイマーがリセットされてしまったのだろうと、梓は無理やり納得した。
中途半端な時間から授業を受けるのも微妙だしこのまま一時限目はサボろうか、なんて事を割とまじめに考えながらも梓は学校へ向かう。
そんなやる気のおきない梓だったが、街中の建物たちもその怠惰な気持ちを後押ししていた。それは現在梓の二十メートル先のコンビニ、またその近くのサンドイッチ屋等々。それらが視界に入る度、梓の頭の中で良心と悪意に揺さぶられる。
『どうせこの時間じゃ、一時限目をサボってしまえば良いじゃろ。どうせまだ入学して二週間ほどしか経ってないのじゃ、重要な内容をやると思うか?』
梓は頭の中に響く魅力的な声を振り払うかのように首を左右に振る。そして誘ってくる建物を視界から外し、雑念と闘いながら学園へ向かった。
学園に着いた梓に待っていたのは完全に閉まってしまった南門だった。梓は門の横にある警備室へ行き、中年のおじさんに学生証を提示して門の中へ入れてもらう。
そして梓は学園の敷地内に入ることができたのだが、自分の教室に近づくにつれて足はだんだんと重くなる。しかし梓が内心嫌がっていたとしても、なぜか体はしっかり前に進んでいるため、やがて教室の前に辿り着いてしまった。
梓は教室の裏のドアをこっそりと開け後ろを静かに歩く。すると、ドア付近の生徒が梓の方を振り向いた。しかし幸いにも教師は一度こちらを見たものの何も言わず授業を続けていた。梓はラッキーと呟きながら音をたてないようにゆっくり教室の後ろを歩く。
その時梓は小さな違和感を覚えた。今までと同じ授業風景のように見えるが、何かがすこし違うようなそんな違和感。だが梓はすぐに原因に行きあたる。それはずっと空いていた席に、人が居るせいであった。肩まで伸びた銀髪の女性を見ながら梓は、そういえば今日来るという噂を思い出していた。
ちゃらんぽらんクリスが持って来た情報であったが、席に居るのを見る限りどうやら本当の事であったらしい。
と不意に銀髪の女性はくるりと振り返り梓を見つめる。
「なっ」
梓はすっとんきょうな声をあげて狼狽する。彼は結構なボリュームで声を出してしまったようで、クラスメイトの半数ぐらいが梓に視線を向ける。だが梓は内心周りを気にかける余裕はなかった。彼がこんな反応をしてしまったのは彼女がとても美人だったから、というわけではない。
確かに彼女は美人ではある。彼のクラスメイト達はこの時点で、あまりにも綺麗な人が居て驚いたのかと思っていたが、実際の所は違っていた。
第一魔法学園の制服を着た銀髪の彼女と梓の視線が交差する。そして銀髪の女性は少しだけ表情を和らげた。
「いっ、イリス? なんでっ」
大声で叫ぶ梓をクラスメイトだけでなく教師も含めた全員が見つめる。もはや誰が見ても明らかなほど挙動不審になっている梓に対して、イリスと呼ばれた彼女は淡々とした口調で話す。
「久しぶりね、梓」
梓の目線の先、そこにはドイツの会社『ローゼンクロイツ』会長の娘、イリス・フロレンツィア・フォン・ローゼンクロイツが着席していた。
「梓ぁ、まさか知り合いだったのかぁ! こんな美人ちゃんと! うらやましいねぇ、ちょっと話聞かせてくれよぉ。実はエロイ梓の事だし、あんなことやそんなことを……うわああぁぁあエロイぞエロイぞぉあずぅさあああぁあっっ……うごぅぅえっ」
魔力の籠もった容赦の無い拳がクリスのわき腹を抉り、彼は海老のようにそりあがる。梓は魔力を霧散させ、知らん顔しながらタブレットをしまった。
「自業自得だね」
話を聞いていたのであろう沖が、陸に打ち上げられた魚のようにピクピクしているクリスを見ながら呟く。また周りのクラスメイト達も話が聞こえたようで、汚物を見るような目でクリスを見ていた。
「で、実際はどんな関係なんだい?」
沖は興味深そうに梓に視線を向ける。
「自分がドイツにいた時のクラスメイトだよ。まさかイリスがここに来るとは思わなかったから少し驚いたけどね」
梓がイリスに視線を向ける。イリスは女子中心のクラスメイト達に囲まれながら会話をしているようだった。
「ああ、なるほどね。ただのクラスメイトって事か。ローゼンクロイツ家といえば、商売だけでなく魔力も一流の家だったよね。そんな彼女が通っていた学校のクラスメイトだったんだね」
梓はいやらしい目の付け所だなと小さく呟いた。
「まぁこの学校だって、世界的に有名な魔法学校じゃないか」
「確かにそうだね。和術、西洋魔法どちらも習えるうえに、一流の使い手を多数排出している学校だしね」
彼の言うとおりこの学校は国内だけではなく、世界中から受験者が集まる学校である。しかしそれを加味しても、梓はイリスがわざわざドイツから日本へ来る事に結びついていなかった。
と梓がそんなことを考えていたときである。横にふわりとした風が吹いたかと思うと、女性にしては少し低い声が聞こえた。
「梓」
梓は首を動かし真横にいる彼女に視線を向ける。彼女、イリスは一部のクラスメイト達の視線を集めながら梓の席の横に立っていた。また彼女が名前で呼ぶというおまけが付いたためか、クラスメイト達は興味津々と言った様子で梓を見ている。
そんな周りの反応を見た梓は、もう開き直るしかなかった。
「ん、どうしたイリス?」
「食事……ないの。食べられる物があるところに案内してほしいわ」
抑揚のあまり無い彼女の言葉を聞いて、沖はすぐに反応した。
「だそうだよ。僕はクリスと食べるから二人で食べてくるといい。積もる話も有るだろうし、ね」
沖はなにやら含み笑いを浮かべながら、すっと後ろを振り向きクリスを引きずって、せかせかとドアまで歩く。そして彼は教室を出る直前、梓の方を振り向くとキラッとウインクし、廊下を歩いて行った。
残された梓は口元を引きつらせながら少しだけ思案した。目の前にはローゼンクロイツ家の娘という肩書きを持った、美しい銀髪の女性。そんな彼女と二人で食事。学食で食事なんてしたら、目立ってしまうことこの上ない。
「消去法で購買だね……イリス行こう。ついでに少しだけ校舎を案内するよ」
覚悟を決めた梓は立ち上がると、イリスを促して教室の外へ出た。
教室では突き刺さる視線と、無言という圧迫感に襲われていた梓達であったが、教室の外に出てさえしまえば、さほど注目を浴びることはなかった。しかしそれは考えてみれば当り前である。
そもそも梓のクラスと一部の人々を除けば、イリスがローゼンクロイツ会長の娘であることを知っている人はほとんどいないのだから。そのため周りからしてみると、『新入生にも可愛い子いるんだなぁ』程度にしか思われなかったのだ。
何ら問題なく食事を購入できたことで、食事の前に肩透かしを食ってしまった梓であったが、気を持ち直すとイリスと一緒に校舎の屋上へ向かう。彼らの手には購買で購入したパンと飲み物、そして梓がいつも持ってきている弁当が握られていた。
第一魔法学園の屋上はいくつかのベンチが設置してあり、学生が自由に利用できる空間になっている。今日は少し肌寒いからか、今にも泣き出しそうな雲が空を覆っているからか、梓に理由は分らなかったがベンチの空きは多かった。
梓はそのベンチたちの中でもっとも人の気配のないベンチに行き、ハンカチで軽く拭く。そしてイリスを座らせると梓も腰を下ろした。
梓は買って来たパンをイリスに渡そうとするも、彼女は首を振り梓の弁当を指差した。
「こっちがいいわ」
梓は大きくため息を吐いて、自分の弁当をイリスに手渡した。イリスは嬉しそうな表情で弁当の包みを空け、箸を手に取ると慣れた手つきで食事を始める。
おいしそうに頬張るイリスを見ながら梓も口を綻ばせ、焼きそばパンの袋をあけた。
「で、どうして第一魔法学園に来たの? てっきりドイツの学校に進学していたと思ったよ」
梓は焼きそばパンをかぶりつきながらイリスに聞く。
「ここは和術、西洋術共に高度な授業を受けることができるし、世界各国から有名な魔法師が集まる事でも有名な学校じゃない。もともと私も来たかったわ。でも一番の理由はドイツのあの学校には彼女が居たからだけど……ね」
そういってイリスは身震いをする。なるほど、と梓は納得した。
確かにイリスの言う彼女が入学した学校、それと同レベルの学校を探しても、世界に数校しかない。
「理由は分ったよ、でもそれだったらイギリスでもフランスでも良かったんじゃない?」
「この学校に梓が居ることを両親に話したら、瞬間的にここに決まったわ」
梓は目元に皺を寄せると、右手でこめかみを押さえる。
「まったくあの人たちは……そういやおじさんたちは?」
「会社でちょっとしたいざこざがあって、ヨーロッパ各国を転々としているわ。私の入学が遅れたのも半分そのせいだけどね」
「半分? もう半分は?」
イリスは卵焼きを口に入れ顔をほころばせる。
「仕事よ。仕事。ある人物の監視で休み中大変だったわ。結局、監視対象は日本に来たから私も日本に来ることができたのだけれど。それがなかったら梓と会うのもさらに遅くなっていたかもしれないわね」
「なるほどね……」
梓がおいしそうに食事をする彼女を見つめながら焼きそばパンを咀嚼していると、不意に後ろから声がかかった。
「やぁやぁお二人さん、私達も食事に混ぜて貰っていいかな?」
梓とイリスが後ろを振り向く。するとそこにはお弁当とシートを手に持った土御門愛理と近衛麗華が立っていた。




