希望
麗華がガラスを割った瞬間、梓は駆けだす。そして躊躇うことはなく、割れた窓から足を踏み出し、ビル三十階から空へ身を投げた。
「近衛さん!」
梓は彼女の全身を見つめ、体に大きなけががないようで少しだけ安堵した。しかし相当な衝撃を受けてしまったからか、麗華は混乱し自分の状況を把握できていないように見えた。
梓は一瞬だけ視線を移し、槍の方を見つめる。
不幸中の幸いだが、槍は麗華と衝突して窓をつき破ったのち、明後日の方へ飛んでいったようだった。もし、槍が麗華の体へ飛んでしまったら、呆けた顔をしている麗華は対処出来なかっただろう。
梓は空中で体制を整え加速すると、麗華に近寄り両手で彼女を抱きしめた。少しの間呆けていた彼女だったが、現在の自分の状況が把握できたようで、顔を真っ赤にした。
「あ、ああ、あっ? な、な、な、な、なにしてるんですのぉ! せ、セクハラですわぁぁあ!」
「ご、ごめん。なんか思わず飛び出してきちゃった。後セクハラのつもりじゃないよ一応。ほら空中だし」
「意味が解りませんわ! 空中でしてもセクハラはセクハラですわ。いえこの際セクハラは置いといて良いですわ」
彼女は顔を真っ赤にしたまま大きく息を吸い込む。
「貴方は馬鹿ですの? 馬鹿ですか? いえ馬鹿でしょう! ああもうどうしようもない馬鹿ですわ! なんで飛び出したりしましたの?! 貴方まで危険になるだけではないの!」
「い、いやぁ近衛さんがあぶないと思ったら、つい……」
「『つい……』ではありませんわよ! それで済むんでしたら警察は要りませんわよどうするんですの!」
「麗華さんごめん落ち着いて、時間無い。とりあえず自分は下に水流を出して地面に激突しないようにする。近衛さんはとどめを刺そうとしてるあいつにぶちかましてくれないかな? じゃないと、二人とも落下する前にやられる」
梓は麗華を抱きしめたままうつ伏せに体制を変える。すると麗華が空中を、梓が地面を見るような形になった。そして視線が変わった麗華は大きな翼をはためかせ、目の前に迫ってくるメフィストフェレスを視界に入れると一気に落ち着く事が出来た。
「着地任せましたわよ」
麗華は左手で梓を抱きしめ、薙刀を持った右手をメフィストフェレスに向ける。
「うん、メフィストフェレスは任せたよ」
梓も同じように左手で麗華を抱きしめると杖を持った右手を地面に向けた。
「目の前の闇を打ち砕け、光焔!」
「ウォーターフォール!」
二人は狙っていなかったがほぼ同時に魔法を発動させる。麗華の具現化された魔法陣からメフィストフェレスへ、梓の魔法は地面に向かってそれぞれさく裂した。麗華の魔法はたまたまメフィストフェレスの具現化させてた魔法陣を巻き込んで攻撃したため、メフィストフェレスは防御をすることができなかった。
麗華は心の中で大きくガッツポーズをする。運よくだが、メフィストフェレスにダメージを与え、なおかつこちらに攻撃させる隙を作らなかったのだ。そして麗華は左手に力を込め、よく話すようになってからさして時間はたっていない彼に、身を任せた。
梓は麗華の放った魔法により、少しだけ落下スピードが速まったことに少しだけ焦りながら、水力を上げる。そして勢いを殺しながら空中で体制を変え、麗華をお姫様だっこすると、そのまま両足で濡れた地面に着地した。
「今回の着地は十点満点だね」
「? 何の事か解りませんが、お見事でしたわ」
「いや近衛さんのおかげで助かったよ、居なかったらメフィストフェレスにやられていた」
梓は麗華を下ろすと、空を見上げる。
「お礼を言うのは私の方ですわ。飛び込んできてくれてありがとう。貴方がいなかったら確実に死んでいたわ。それとセクハラ呼ばわりしてごめんなさい」
麗華も梓と同じように空を見上げる。赤黒い雲がビルを中心に空を覆い尽くしており、先ほどまでは地面を照らしていた月や星の姿はもう全く見えない。電気が通っていない町はまさに暗黒となっていた。
そんな暗黒から空を見上げる二人。そこには少しだけ翼を焦がしたメフィストフェレス存在し、ゆっくりこちらに向かって降りてきているようだった。いやそれだけではなかった。下りてくるのは更に二つの影、イリスとパラファウスト。梓はメフィストフェレスに魔法を放ち注意をひきつけると、麗華はイリスの元へ駆けつけた。
イリスは風魔法でゆっくり降下し、すぐに麗華のそばへ寄った。
「麗華? 大丈夫だった?」
「彼のおかげで何とか、ですわ。一人だったら着地前にメフィストフェレスに撃ち落とされてされていましたわ」
二人が会話しながら、ゆっくりと降りてくるパラファウストを見つめる。パラファウストは歯が見えるほど大きな口を開け、相変わらず気味の悪い笑顔を向けた。
「カッカッカ、なんとしぶとい奴ら。だがもうそろそろ終わりにしよう」
パラファウストがそう言った瞬間、メフィストフェレスは甲高い声で咆哮する。そしてメフィストフェレスの足元には魔法陣が生まれ、餓鬼が大量這い出てきた。そして自身の周りにはいくつもの蒼炎が生まれ、辺りを青白く照らす。また右手にはあの深紅の槍が握られていた。
「来るわ」
イリスはそう言いうと三つの魔法陣を具現化させ詠唱を始める。麗華は体内の魔力を循環させると長刀を手に、パラファウストへ突進していった。
梓は麗華が走り出すと同時に魔法を唱える。狙いは麗華が走りやすいように。周りに居る餓鬼に複数の水球を放った。
水球は上手く餓鬼たちを撃ち落とし、麗華の道を作る。麗華は長刀に魔力を込めて炎をまとわせると、パラファウストに攻撃した。麗華はその赤い炎をまとった薙刀を下から切り上げ、そして今度は上から振り下ろす。その刃はメフィストフェレスが纏っていた蒼炎をいくつか打ち消したが、それだけだった。パラファウストは持っていた槍で麗華の攻撃を受けると、そのまま力ずくで麗華の薙刀を払った。麗華はそれを予想していたのか、押された勢いを利用し、大きく後退する。するとメフィストフェレスは残っていた蒼炎を一か所にまとめ巨大な炎を生み出すとそれを麗華に向けて放った。
「麗華、任せて。シャインショック!」
その時麗華の後方からイリスの声が聞こえ、メフィストフェレスの蒼炎に光の球体が衝突し爆発した。
「イリス、助かったわ」
「ええ、でも攻めきれない……」
少し離れた所に居た梓はその様子を見ながら自問自答をする。
攻撃は届かない上に、魔力はどんどん減っていく。だが相手の魔力は減っているそぶりを見せない。明らかに梓達が不利だった。このままこの状態を維持した所で、先にこちらの魔力が尽きてしまう。かといって攻めに転じても何か無ければ攻めきるのは難しい。
その時である。梓の頭に声が響いたのは。
『おぬし、まだか? はよう諦めぃ。このままじゃと二人のおなごは死ぬぞ』
「わかってるよ! くっそぉぉおおおお」
急に一人で大声を出した梓に麗華とイリスはビクッと反応する。
『あの子らはそう秘密をばらしたりしないじゃろうて。なぁ?』
「それも分かってる。もうっ、分かったよ! 覚悟を決める」
パラファウストは梓をの叫びで少しだけ驚いていたが、すぐに気味の悪い笑みを浮かべ梓に話しかけた。
「なんだ降参かぁ? 命乞いとその体を差し出せばお前ら三人は見逃してもかまわないぞぉ! 代わりに町を破壊しつくすがな! カーカッカッカッ」
梓は眉を吊り上げ、パラファウストを睨む。
彼の頭には事件が起こってから今まで見て来た人々の姿が浮かび上がっていた。
あちこちから何かが崩れる音と、こだまする悲鳴。顔を絶望に染め上げていた立華女学院の少女。俺たちに笑顔を向けた桜さん。そして梓達を送り出した沖達。
梓は震えるほど強く刀を握る。
「ふざけた事を言うな! 此処の町にはな、クラスメイトや学校の人々、町の人。なにより自分たちを信じてこの町に残ってくれた人だっているんだ。たとえ相手が悪魔だったって負けるわけにはいかないんだよ!」
「はは、そうかそうか! そこまで言うなら消えるといい!」
「絶対に、絶対にやらせない。たとえ自分の秘密が知れようとも絶対にさせない。いくぞ、出てこいミズク!」
梓は自身の前に三メートルほどの魔法陣を生み出すと手で印を切る。するとその魔法陣は蒼く光り輝くと、中から一人の和服を着た女性がゆっくりと姿を現した。
その女性は、美しい金髪にかわいらしい狐耳、またお尻から九本の尻尾を生やしている。また均整のとれた美しい顔、そして豊満な胸は見る者を引きつけて離さない魅力があった。また着ている赤と黒の着物は彼女の美しい金髪を引き立て、彼女をより美しく見せる。
そんな狐族の女性を見た麗華は思わず悲鳴を上げた。
「きゅ、九尾って、ま、まさかですわ。日本三大妖怪の一角、九尾の狐、玉藻前ですの!?」
桜色の和服を着た金髪の女性は、帯に刺さっていた梅の花の描かれたかんざしを引きぬくと、メフィストフェレスに振り下ろす。するとメフィストフェレスの上空に魔法陣が生まれ轟音とともに雷が落ちた。そして視線を麗華に向けると嬉しそうに言った。
「ううむ、わらわも有名になったのう!」
動揺していたのはイリスも同じだった。彼女は知らなかったのだ。日本の中でも危険度は最高で、トップクラスの戦闘力を持つ妖怪。世界でも有名な三大悪妖怪の一角が梓と契約していた事を。
「あ、あり得ないわ」
驚いていたのは味方だけではない。それはパラファウストもだ。
「ば、馬鹿な! 三大妖怪の玉藻前だとっ!」
パラファウストは先ほどの余裕はどこかへ行ってしまったようで、下卑た笑いをせず、目を大きく見開き、パクパクと口を開閉させていた。
「皆驚き過ぎじゃのう。これ、現実じゃよ」
左手で麗華達を手招きすると、今度はかんざしを持った右手を上げる。すると女の体からすさまじい量の魔力があふれ出る。先ほどまでの梓、そして麗華たちと比較するのも馬鹿らしくなる程の魔力だった。
「夢幻」
彼女が右手を掲げると、先ほど雷を受けたメフィストフェレスを中心に大きな靄が生まれ、メフィストフェレス、パラファウストを飲み込んだ。
「何だこの靄は? くそっ。ひっついてくるぞ」
梓はそんな彼らの様子を見て、イリスと麗華を呼んで少し後退する。
ミズクは呼吸を整える梓に向き直るとヒョコヒョコ耳を動かしながら尋ねた。
「さてと、あず。幻術はかけたがどうするかえ?」
「ああ、ミズク。小狐丸を」
「しょうがないのう、あずは。ほれっテレレッテレー」
彼女は自身の胸の谷間に手を突っ込むと、そこから三尺ほどの刀を取り出しそれを梓に手渡した。それを見た梓は顔を赤くし、大慌てで突っ込みを入れた。
「ちょっと! どこから取り出しているの!」
「わらわが温めておいたのじゃぞ。感謝されることは有れど怒られるいわれはないわ」
「取り出した場所が問題! つか温めなくてもいいよ。豊臣秀吉かっ!」
梓は背中に嫌な視線が降り注ぐのを感じ、ひきつりながら後ろを振り返る。案の定麗華とイリスはその様子をしらけた目でみつめていた。
「そういうプレイが好きなのね?」
「最低ですわね」
「ああもうそれでいいよそれでっ! それでだけどミズク、あいつらの消滅までいける?」
「メフィストフェレスは難しいのう、なんだかんだいおうて、わらわと同じくらい魔力がある。まぁ、アレは不完全に召喚されたみたいじゃし、力が出し切れておらん今が倒すチャンスかもしれんわ」
「ん、アレで不完全なのか?」
「当り前じゃろう、本物の悪魔がアレで済むわけがないじゃろうに。それに少し暴走しかけておるのう。まぁそこが付け入るすきでもあるわ」
「先に言ってよ。全然知らなかったじゃないか!」
「お主が何も言わんから知っておったのじゃろうとな、ほれそう思うじゃろ」
「そ、そうでしたのね?」
「ああ、さて、作戦会議も終わりのようじゃ。どうやらわらわの術の破り方を理解したようさ……ああ、消されそうじゃのう」
「よし、切り替えよう。近衛さんは後ろをお願い。今度は自分が前に出るよ。此処から反撃だ」
梓達は息を整え、再度メフィストフェレスに突撃するために魔力を活性化させる。
-- 事件発生から百二十分経過 --




