遅れてきた新入生 2
「大体なぁ、俺に放出系の魔法を唱えさせるのが悪いんだよ」
そう言いながらクリスはスプーン山盛りになるぐらいカレーをすくい、大きく口をあけてパクリと食らい付く。沖は食事の手を止め、彼の様子を見ながらクスッと笑った。
「クリスの魔法は、その食事風景に似ているかな。ホント豪快だね」
前回の授業、西洋魔法基礎Ⅰの実習でクリスは文字通り豪快に魔法をぶっ放していた。彼は得意の西洋魔法を用いて大きな火の玉を作り出し、二十メートル先の的を砕き燃やした。無論それだけならば問題は何も無い。しかしその後火の球は目標を見失ったのか、不思議な挙動をして地面に激突。小規模であるがクレーターを作ってしまったのだ。
「沖の例えは言い得て妙だね」
梓はそういって自分の弁当箱からアスパラを口に運び、口を綻ばせる。ゆっくり食事をする梓たちの周りには、クリスや沖と同じようにトレイを持った学生達が部屋一杯に存在し各々食事を楽しんでいた。
また梓のようにここで弁当を食べるのは少数派だった。食堂のトレイを持って食事をしているものが殆どで、一部トレイを持っていない人は、梓と同じく友人が学食を利用しているから自分もここに来た、という者たちである。
「しかたないだろ。コントロールが苦手なんだから。まあ毎日こんなに魔法使ってんだしいつかはうまくなるさ」
クリスは皿を持ち上げ残っていたカレーを胃袋に流し込む。米粒一つ残さず食べたクリスは水を飲み、満足そうに息を吐いた。
「それを何年間言っているのかな……」
沖は大きくため息を吐いて自身の目の前にある魚を口に運ぶ。
「何だ、同じ事をずっと言っているのか。もう完全に言い分は通らないね」
梓はどうでもよさそうに沖に言う。
梓とクリスは友人では有ったが、クリスの事について詳しく知らないのは当然だった。クリスは小学校のころに日本に引越し、沖と同じ小学校、中学校を経てこの第一魔法学園へ入学しており、かなり長い年月を沖と過ごしていた。対して梓は十歳から十五歳までヨーロッパ諸国で過ごしていた帰国子女なのである。そのため梓にとってクリスと沖は学園に入学してからできた友人なのだ。具体的な期間を言えば知り合って一ヶ月。たったの一ヶ月しか経っていなかった。
「いいんだよ、細かいことは。それよりも、だ」
クリスは沖の食器からトマトを一つ摘み口に含む。それを見ていた沖は冷たい視線を送っていたが、クリスは気にも留めていない。
「俺達のクラスの空席あっただろ、あそこに来るらしいぞ」
クリスの言葉に沖は眉を上げる。
「もう学校が始まってひと月も経っているのだけど……。それ、どこからの情報かな?」
沖は食事を終えたようで、箸をトレイに置き、クリスに視線を向ける。その様子を見ていた梓は、少しだけ食べるスピードを速くした。
「B組の奴らが職員室で聞いたらしい。入ってくるのは来週月曜日にだと」
「ああ、あの一番後ろの席だよね。どんな人なのかな?」
沖が珍しくクリスの発言に興味を持ったらしく、少しだけ身を乗り出しながらクリスに訊ねる。
「それだが、分っているのはドイツから来る事と女性ってことだけだ。家庭の事情でまだ日本に来られなかったらしい」
「何だ、そんなことしか分らないんだね」
梓はポツリと呟き、食事を再開する。いまどき海外からの学生や、帰国子女だけで四割を超えている第一魔法学園には、海外から学生が来る事はよくある話であった。それに当てはめれば、イギリス人であるクリスや、ハーフであり帰国子女でもある梓もまた、特に珍しいわけではない。
クリスは『そういえば』と言いながら、梓に視線を向ける。
「梓はドイツに住んだことあるんだよな? どんな雰囲気だった?」
梓は口に含んでいたモノを飲み込み、何かを思い出すかのように目線をあげる。
「印象的だったのは建物かな? 日本では全然石造りの家なんて見つけられないからね。それとあっちの国は錬金術やルーン魔法が盛んだったから、エンチャントされた物やルーンが刻まれている物が至る所に設置されていたよ」
それを聞いた沖は納得したように頷く。
「宝石や武器のエンチャントで有名な会社『ローゼンクロイツ』の本社が有るのもドイツだしね。まぁドイツから来る、イコール西洋術使いの魔法師か錬金術師で間違いないだろうね」
「まぁ十中八九そうだろうな、っと。そろそろ食器片付けてくる」
梓の食事を見ていたクリスは、空になりそうな弁当箱を見て立ち上がる。それに続いて沖も立ち上がり、食器を返しに二人で歩いていった。梓は二人を見送ると、最後のおかずを口に放り込み、弁当箱を片付け二人を待った。
昼食を終え、梓達は教室に戻り午後の授業である和術基礎Ⅰの準備を始める。もう授業が始まる寸前だからか、クラスメイトのほとんどは席に着いて、周りの人とお喋りを興じている。かくいう梓もそんなクラスメイトたちと同じように、次の授業の準備をして後ろに座っているクリスと雑談をしていた。
「そういや梓は和術も結構使えるんだよな、西洋術しかまだ見たこと無いけど。珍しいな、和術と西洋術の両立なんて」
梓は苦笑いをしながら彼の称賛を否定する。
「その分中途半端なのだけどね。あんまり結果に繋がってないし。だから授業もちゃんと出ている」
「うーん。第一魔法学園は結果をかなり重要視するからな。結果を出せないヤツらは少しでも授業態度で点数を稼が無いといけねえしな」
そういいながら、クリスは近衛麗華の机を見る。授業が始まる寸前であるのにも関わらず、彼女は教室にいなかった。
「まったく他で結果出せるヤツはいいよな、授業出なくても成績高評価だし……」
そうクリスがぼやいたように、ここ第一魔法学園では普段の授業態度より、定期考査と魔法大会での成績が重要視されていた。たとえ魔法学園で進級に必要な最低限の出席である、総授業の六割しか出席していなくとも、年に二回行われる定期考査や魔法大会や論文などで高い評価を得れば、進級はもちろんのこと成績も高評価となる。
要するにテストの点数さえ取ってしまえば、少しくらい休んでも問題無いのだ。現に今年トップで学園に入学した近衛麗華は、この授業を欠席するのであろうか、彼女の席に人影は無い。
心底羨ましそうにしているクリスにむかって梓は言う。
「その分は別でカバーしているのだし、良いじゃないか。それに彼女のことだから、魔法連盟から仕事の依頼でも受けているのかもね。依頼だったら出席扱いになるし」
「まぁ一学年の内に『シルバー』の『第三級魔法師』に認定されているんだしな。依頼が来ていてもおかしくは無いか。ホント雲の上の存在だよな……話してみると普通なんだが」
と彼らが話していると不意に教室のドアが開き、一人の男性教師が姿を見せた。梓は前を向いて自分のタブレットに電源を入る。そして入っていたメモリを差し替え、机の中から紙媒体の小説を取り出しチャイムが鳴るのを待った。
和術基礎Ⅰの九十分と世界史の九十分を使用して、小説を読み終えた梓は、満足そうな表情を浮かべデスクトップが表示されていたタブレットの電源を落とす。
「君達は授業くらい真面目に出来ないのかい?」
彼の後ろから沖の声が聞こえ、梓はクルリと後ろを振り返る。そこには額に手を当て、あきれた表情をしている沖と、たった今目覚めたばかりであろう眠そうなクリスが席に座っていた。
「クリスはずっと寝ているし、雨乃宮君はずっと読書しているし、皆が周りで真面目にやっている中でここ二つの席は異彩を放っていたよ」
「眠かったんだから仕方が無いだろう」
「読みたかったのだから、どうしようもないかな」
俺たちが正義だ、とでも言うように堂々と言う梓とクリスに沖は更に呆れ、もう一度深いため息をついた。
「言うだけ無駄だったね」
「ふぁぁ、んな事より、もう放課後だろ? 俺は部活へ行くよ」
クリスは大きく欠伸をして身体をのばしながら、あくびの混じった声で言う。
「そう? 今日は道場に行く予定ないし……僕は帰ろうかな。雨乃宮君はどうする?」
この学園では部活は任意のため、沖や梓は部活に入っていない。しかし沖は部活に入っていないとはいっても、彼には行くべき魔法道場があるため忙しい時は忙しいのだが、あいにく今日は暇なようだった。
「ゴメン、自分、今日は図書館に用があるから……」
「そうか、じゃぁ仕方が無いし、一人で帰ろうかな」
と沖が言った直後であった。がらりと開いたドアから、少し低めの声が教室に響いた。
「おーいクリスー。行こうぜっ」
梓たちは声のした方、クラス後ろのドアに視線を向ける。そこには数人の男子生徒が顔を出していた。
「やべぇ、迎え来た。いってくるわ」
そういって彼は自分のシューズケースを手に持ち、廊下に居るサッカー部員達と合流すると、体育館へ向かっていった。その後梓と沖は少しだけ雑談したのち、二人は教室を出て別々の方角へ歩いて行った。
第一魔法学園の図書館は、世界的に見ても大きく蔵書が多いのが特徴である。また噂で国内に数冊しかない禁書や、錬金術の秘法である賢者の石、はたまた神の使った武器があるという話が流れていた。とはいったものの、その噂はほとんど誰も信じていなかった。
なぜなら図書館の警備はザルだったのだ。仮にそんな大層なものがあるとすれば、厳重な結界が張られていたり、警備が厳重だったりするものだが、そんなことはまるで無かった。図書館からは微弱な結界の気配は感じるが、こんなの学園の教師レベルであったら解除できるものであるし、何より図書館に警備員は居ない。居るのは司書が数人、少ないときは一人しか居ない。仮に禁書があったとしても盗み放題であろう。
そんな図書館の西洋魔法コーナーを一巡りし、梓は大きく息を吐く。スマホを弄りながら入り口近くの受付に座っている彼女、図書館の司書に声をかけた。
「こんにちはサクラさん」
サクラは読んでいた本を閉じ、笑顔で梓の方を向く。そして彼女は振り向いたときに目にかかってしまった、艶のある黒髪を左手ですくい耳に掛ける。そして彼女の愛嬌のある垂れ目、小ぶりな耳が空気に晒された。梓は彼女の色っぽいしぐさに一瞬ドキリとしながら、用件を口にする。
「読書中ごめんなさい。この本を借りたいのですが見つからなくて……多分貸し出し中になっているのだと思うのですが、次に予約入れてもらっていいですか?」
この図書館で行っている、貸し出し可能になった時のとり置き及びお知らせサービス。梓はそれを利用しようとしていた。梓は手に持っていた、本の詳細が表示されているスマホをサクラに見せる。
「はい、少々お待ちくださいね……っと『ケルススと応用カバラ魔法』ああ、最近出版されたものですね」
空間液晶型のスクリーンに向き直り、サクラは専用ペンでタッチする。するとスクリーンの画面が切り替わり、梓の欲していた本が映し出された。そしてパソコンをじっと見ていた彼女は苦笑いをして梓に向き直る。そしていいづらそうにボソボソと話し始めた。
「うーん、この書籍は人気が有るようで……少しお時間を頂きそうですね」
梓は苦笑いを浮かべている彼女を見つめ、口を開く。
「ん、何人ぐらい予約しているのですか」
彼女はペンを操作しディスプレイ上の『予約人数』と書かれた所を拡大する。
「ええと……ご覧のとおり三人、ですね」
ディスプレイに表示された数字を見た梓は、彼女と同じように苦笑いをする。そして苦笑いしている二人は見つめ合い、そして沈黙がこの場を支配した。それから少しして、二人同時に吹き出した。
「ははっ、三人ですか。じゃぁ三週間ぐらいはかかりそうですね」
「ふふっ、そうですね。申し訳ないですが、ご理解ください」
「分りました。首を長くして待っています」
梓はサクラから自身のスマホを受け取り、画面をオフにして学生服のポケットにしまう。
「じゃぁ何かお勧めの本はないですか?」
するとサクラはパソコンに向き直りペンで画面を切り替え、数冊の本を浮かび上がらせる。
「そうですねぇ。カバラ繋がりでしたら、『趣味のゴーレム製造』や『新装版 図解セフィロトツリー』、和術でしたら『新語版 源氏魔法物語』なんてどうですか? どれも最近出たものですよ」
梓は少しだけ身を乗り出しながら、画面に写った本を何度か見比べる。
「じゃぁ『図解セフィロトツリー』を借りていきます」
彼がそう言うと、サクラは頷いて右手に魔力を収束させ壁に触れる。すると図書館の西側から一冊の本が宙に浮きながらサクラのほうへ寄ってくる。ゆっくり飛翔してきたその本が彼女の手のひらに納まるのを見た梓は、自分の学生証を胸ポケットから取り出しサクラに渡した。サクラはそれを受け取ると、端末にかざしキーボードで何かを打ち込んだ。
「はいどうぞ。さて、今日は紅茶飲んで行かれますか?」
梓は差し出された学生証と本を受け取りながら目元に皺をよせ、困ったような表情を浮かべる。
「すごく魅力的なお話ですけど、遅くなりそうなので次回にします」
「そうね、じゃぁまた次の機会に」
「はい。ありがとうございました」
梓はサクラさんにお礼をすると、カウンターから離れ出口に向かう。そして出口に着いた梓はくるりと振り返り、カウンターに居るサクラを見つめた。彼がサクラに視線を向けると、彼女は笑いながら手を振る。梓は笑顔で彼女に手を振り返し、図書館を後にした。
外に出た梓を出迎えたのは辺り一帯を照らす美しい茜色の光だった。もう日暮れ近くのためか、人気もほとんど無くなっており、辺りからは物音も聞こえない。梓が歩き出すとその足音だけが辺りに響く。
梓が教室のドアを開けると、教室から冷たい風が吹き抜ける。ドアと反対にある教室の窓が一箇所開き、風の通り道になっているようだった。そしてその開いている窓の前に、肩甲骨あたりまで伸びた黒い髪を風になびかせる一人の女性がおり、赤い夕焼けをじっと見つめている。
肌を日差しで鮮やかなこがね色に染めているせいか、普段とは少し違う雰囲気を纏う彼女を見た梓は小さく息を飲んだ。
窓の前にいた彼女はドアの音に反応し一度梓の方を振り向いたがすぐに窓の外に視線を戻し、小さく息をつく。梓は自分の席に行きながら、彼女に声をかける。
「まだ帰ってなかったんだね、近衛さん」
「魔法連盟からの依頼で仕事を終えて、荷物を取りに戻ったらご覧の景色でしたわ。それでそのまま見入っておりましたの」
自身の机の中をのぞき、忘れ物が無いことを確認した梓は、机の脇に掛けていた荷物を持つ。
「やっぱり依頼か。大変そうだね、近衛家の人は」
彼女は沈み行く日に照らされたグラウンドを見つめ、梓に言葉を返した。
「魔法連盟に来る依頼なんて、誰かがやらないといけない事だわ。わたくしはそれをしているだけ。それにわたくし自身の修行にもなるもの。まぁわたくしの話は良いわ……それよりも」
突然麗華はクルリと梓に向き直る。窓から指す夕焼けを背景にした彼女は、風で髪を揺らしながら鋭い視線を梓に送った。
「ずっと気になっていたのですけど。貴方。いつまでそのままでいるの? 何を隠しているの?」
梓は自分の体を見つめ、頷くと鞄を持ち上げる。
「ん? ああ、荷物を持ったからすぐに教室を出て行くよ」
と梓がいうと、麗華は目を閉じ、わざと聞かせるかのように声に出してため息をついた。
「はぁ。そういった意味で言ったのではなくてよ。……まあいいわ、またね雨乃宮くん」
「うん。またね近衛さん。そろそろ暗くなるから帰り道気をつけてね」
梓は教室から出て、小さく息をつく。そして教室のドアから、ちらりと麗華の姿を見た。彼女は梓が教室に入った時と同じように、つまらなさそうに窓の外を見つめている。茜色の日差しを浴びながら窓際にぽつんと立つ麗華は、たとえ同性でもあっても見とれそうなほど美しかったが、溶けて儚く消えてしまいそうにも梓には見えた。
梓は少しの間彼女に視線を向けていたが、やがて背を向けると学園を後にした。




