事件発生
梓たちは帰宅しようとしている立華女学園の生徒たちとすれ違いながら、電車を降りまっすぐイリスの家に向かう。
「イリスも雨乃宮君もいい場所に住んでいますわね。此処からでしたら学園前まで電車でひと駅、それに歩いてもそれほど時間かかりませんもの。それに治安もよさそうですし」
「麗華、本当は分かっているのでしょう。だったら梓には気を使わずはっきり言った方がいい。『お嬢様を狙って此処に決めたのね』って」
麗華が苦笑したのを見て、梓はため息をついた。
「その苦笑の訳は聞かないでおくよ……」
梓たちは会話をしながら住宅地を進む。そして途中スーパーによっていくつかの飲み物を購入すると、イリスの家に向かう。
それから五分ほど歩いた梓達は、住んでいるマンションに到着した。梓は荷物を置くため二人と別れ、自分の部屋に向かう。そして荷物を下すとすぐにイリスの部屋に向かった。
イリスは部屋を片づけたようだった。玄関に置いてあった段ボールは綺麗に無くなっており、壁には絵が飾られている。梓はそのまま中に入ると、イリスに促されるままリビングへ行き麗華がすわってるソファーの隣に座った。イリスは台所からコップを持ってくると梓、麗華の前に置く。
「荷物を置いてくるから少し待っていて、コップはそっちにあるから先に飲んでいて構わないわ」
彼女はそういうと荷物を持ってドアの前に行く。そしてふと何かを思い出したかのように、「あっ」と声をあげ梓の方を向いた。
「忘れていたわ、梓。私の下着は私の部屋のクローゼット右下にあるわ」
「うん、わざわざ言わなくていいから。まったくいらない情報だったし。速く行ってくれる?」
「大丈夫、袋に入っている物は未使用だから安心して着られるわ」
「いらないよっ。ソレ唯の変態だから! それに自分の話聞いてないよね!」
「ああ、ごめんなさい、梓は脱ぎたてが良いのだったわね」
「変態度上がって余計にたち悪い。もうやめて! 近衛さんの視線もう耐えられない……」
イリスは笑いながらドアをゆっくり閉める。そしてリビングには麗華と梓が残された。梓は立ち上がるとスーパーで買ったジュースを出すと麗華に話しかけた。
「近衛さんは何を飲む?」
「そうね、緑茶を頂けるかしら」
梓は頷いて緑茶を手に取ると、コップに注いで麗華に渡す。
「ありがとう」
梓はもう一個のコップを手に取ると自分用に緑茶を注いで一口飲んだ。
「雨乃宮君は東洋魔法も使用できると伺っておりましたが、大抵西洋魔法を使われますわよね? それで気になっておりましたの。雨乃宮君はどのような東洋魔法を使われるのですか?」
梓はコップを机の上に置き、近くにあったティッシュで口を拭く。
「広く浅くいろいろ経験したよ。刀術、陰陽術、忍法。近衛さんの薙刀や土御門さんの陰陽術といったそのプロフェッショナルの人に比べると、自分のなんかは素人に毛が生えた程度だろうけどね」
麗華は鋭い目で梓を睨むと、見せつけるように大きく息をついた。
「またまた一番肝心な術が抜けてましてよ。幻惑術、はどうでしょう」
梓は笑いながらお茶を一口飲み込む。目を凝らしてその様子を見ていた麗華は、彼女自身が幻惑と言った瞬間、彼の口元が一瞬引きつったのを見逃すことはなかった。
「はは、近衛さんは痛いところをぐりぐりとついてきますね」
麗華は目を閉じると心外だ、とばかりに首を振った。
「自らで化けの皮を剥いでくださるのなら、わたくしもこんなこと言わなくて済みますの。必要無ければこんなに言ったりはしないわ」
梓は笑顔を顔に張り付けたままお茶を机の隅に置く。
「ねぇ近衛さんはもう、知っているのでしょう?」
「詳しくは解りませんわ。ただ日本魔法連盟の長である父が貴方を気にかけていた事が、わたくしが貴方を知ろうと思った理由の一つですわ。私はそれから少し貴方の家の事を調べただけにすぎません」
「まったく、あの人は……。ならもう知っているんでしょう? さっきの会話で解ったと思うけどね。近衛さんの調べた事は正しい事だよ」
「では問いますわ。あなたはなぜ実力を隠すの?」
「同じような事を前にも言われたね? 放課後の教室で」
あの茜色に染まった教室で、夕日を背にして語る彼女。彼女の美しい黒髪を風でなびかせ、今なんかよりももっと敵意を丸出しで睨んでいた姿が、梓の頭の中に浮かんでいた。
「あの時は半信半疑、でも今は確信していますわ。貴方は只者ではないと」
「自分は過大評価が嫌いなの。過小評価される分ならいいのだけれどね」
「それが理由?」
「それも一つではあるかも。でも話すつもりはないよ。まぁそうだね、それ自体が『顔から火が出そうなほど、恥ずかしい秘密』という可能性さえあるんだよ、無理に聞くのは野暮ではない?」
「まぁそうですわね。……なんてわたくしが納得するとでもお思いですの?」
沈黙が辺りを支配するも、それを唐突に破ったのは梓のポケットから漏れるスマホのバイブレーションだった。梓はごめんと言ってスマホを取り出すと、画面を見つめ顔を引き締めた。そして画面に指を置きスライドさせると部屋の隅へ歩き、電話を耳にあてた。
「はい、はい雨乃宮です……ああ、ご無沙汰ですね」
と梓が話し始めた時だった。狙ったかのように麗華のスマホも鳴りだしたのは。麗華は赤く無機質なスマホを取り出し、一瞬画面を見つめるとタップして耳にあてた。
「もしもし、お父様?」
「麗華か、今どこに居る?」
「友人、イリスの家ですわ」
「ローゼンクロイツの娘、か。いやそれはいい、知りたいのは場所だ。住所はどのあたりなのだ? 学園近くなのか」
「立華女学園の近くですわ。それよりもお父様、どうされたの?」
「事件だ」
「事件?」
「ああ、その通りだ。たったいま駅南側、魔法学園西の公園を中心に少し特殊なゴーレムが大量発生し、暴れているらしい。なんでも普通のゴーレムよりも素早く且つ力もあるようだ。そのせいでブロンズレベル以下では対処が難しい。それが、少なく見積もっても百」
「はぁ、百ですの……?」
麗華は耳を疑うような言葉を聞き、思わず聞き返した。しかし返ってきたのは淡々と話す父の声だった。
「そう、百。少なく見積もっても、だ」
「ですがゴーレムなら真理が刻まれているのではなくて? それなら多少強くても倒すことは困難ではないはず」
「それが、先遣隊として赴いた魔法師が言うには見た限り真理らしき文字が見当たらないのだそうだ」
「真理が見当たらない?」
「ああ、『emeth(真理)』の文字は見当たらない。代わりとして利用できる文字で有名な『doll(人形)』や『baby(赤子)』も無かったそうだ」
「隠れているだけではなくて?」
「私も報告を受けただけだから分からん。もしかするもそうであるかも知れんし、そうでないかもしれん」
「分かりましたわ。私はそれらを退治すればよろしくて?」
「いや、その前に人々を避難させろ。そして安全なところ……学園にでも逃がすのだ。なるべく応援は呼ぶつもりだが、時間がかかるかもしれん。そこに居るのはお前とローゼン嬢だけか?」
「いいえ、雨乃宮梓君もいますわ」
「…………そうか。それならば大きな危険は無いと思うが、万が一ということもある。気をつけるのだ」
麗華は返事をしてスマホの通話を切る。そして麗華が前を見るとそこで梓は辺りを片づけていた。何か思いつめたような彼の表情を見て、麗華は多分自分と同じような電話が梓にも来たのだろうと直感した。
「近衛さん電話は終わった?」
「ええ、終わりましたわ。町中のゴーレムについての電話だったわ。おそらく内容は一緒ですわね」
麗華がそう言うと梓は頷いた。
「どうやらそのようだね。ちなみに近衛さん、武器は?」
麗華は両手を軽く上げると、歯がみをする。
「ご覧の通りですわ。普段薙刀は持ち歩きませんので。代わりにアクセサリー型の魔具がありますが、それだけですわ」
梓は髪をいじりながら何かを言おうとしたちょうどその時、バンと勢いよくドアが開く音がし、二人は目線をそちらに向けた。
開け放たれたドアから現れたのは、制服姿に先ほど購入したローズモデルの杖を持つイリスだった。イリスは普段と雰囲気の違う二人の顔を一瞥すると、ゆっくりドアを閉めた。
「どうやらもう知っているようね」
「そっちにも連絡が来たの?」
イリスは頷くとテーブルに近づき、オレンジジュースのキャップを開けコップに注ぐ。
「ええ、私は魔法連盟から。二人はどうするつもり?」
自分でいれたジュースを一口で飲みほし、イリスは二人を見つめた。
「自分は事件解決の依頼が来たからね。街に出て様子見かな? まぁ避難させるのを優先だけどね」
「わたくしも人の避難を。お父様は学園に人を逃がせと言っていましたから学園に向かいながら、逃げ遅れた人を助けるのがいいかもしれませんわ」
「私も手伝うわ。それはいいとして準備は済んだ? ちょっとパパに電話して聞きたい事があるの」
「いいよ、すぐに電話して。近衛さんは僕の家に行こう。薙刀ならある。あと防具は……魔法耐性のある制服でいいか」
梓の申し出に麗華は一瞬ためらった。此処で中途半端な武器を借りても、あまり意味はないのではないのかと思ったからだ。しかしアクセサリー型の魔具だけでは、やはり火力不足になる。麗華はもし薙刀がダメだったら杖を借りようと結論をして頷いた。
「申し訳ないですが、お借りします」
「いいよ、使ってないものだったしね」
「じゃぁ私は電話する。梓や麗華も準備ができたらロビーへ」
梓たちは頷くとすぐにイリスの横を通り過ぎ、そのまま部屋を出る。そして隣の部屋の前に立つと梓はポケットからキーカードを取り出し部屋のロックを開けた。麗華を玄関に案内しると、彼は『少し待っていて』と言い中へ入った。
少しして梓は右手に薙刀、左手に杖を持ち麗華の前に現れた。彼が持って来た薙刀は一メートル八十センチほど。そして赤黒い柄でそりの小さい薙刀だった。梓はその薙刀を麗華に差し出す。そして麗華がその薙刀を受け取った瞬間、彼女の体に電撃が駆け抜けた。
「これ……」
麗華は両目を見開いて驚いていた。それは薙刀に込められていたマナが莫大であったからだ。しかも麗華の魔力を武器へ送っても、マナが分離することはなく、違和感のないぐらいに混じり合った。
本来ならば水の中に油を入れたように、武器のマナと自身の魔力は上手く混じり合わず、分離してしまうはずなのである。それゆえ武器自体のマナと使用者の魔力が反発しないものほど、魔法発動媒体兼武器として素晴らしいものとされていた。またマナが多く、魔力の反発がある武具が、宝石の付いている杖やアクセサリー型に多い傾向で、対して刀や薙刀といった刃の付いている武器はマナが少ない代わりに魔力の反発が極小、魔力で武器全体をコーティングしやすい特徴がある。
さて麗華の持っている武器はどうか。彼女が受け取った武器はマナの量が多く、麗華の魔力を拒否しない、二つの利点だけを取ったようなものだった。それにそれだけではない。見た目は非常に重そうではあったのだが、何かの魔法が掛っているのか異様に軽いのだ。
麗華は普段自分の使っていた薙刀以上の業物であることを自覚し、小さく唾を飲み込んだ。
「抜いてもよろしくて?」
「もちろん」
麗華は真剣な表情で鞘から抜く。そして出てきた刀身に麗華は文字通り言葉を失った。美しい白銀の刀身、触れただけで切れてしまいそうな鋭利な刃、そして三日月の波紋。麗華は少しの間その刃を見つめていたが、やがて小さな声を出した。
「申し訳ございませんが、銘を聞いても」
真剣な表情の麗華に対して梓も顔を引き締め少し低い声で答えた。
「……三条」
「三条………………やはり」
麗華は刀身をそっと鞘にしまうと梓に向かって深々と礼をした。
「お借りします」
梓は頷くと自身の杖を持ち、麗華を連れてロビーへ向かった。
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