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遅れてきた新入生

目の前の画面に表示された文献を見ながら、梓は一つ大きな溜め息をついた。


 梓の見ているディスプレイよりもさらに前、教室の壁には巨大スクリーンが埋め込まれており、その横で二十代後半ぐらいの男性教師が何かを喋りながら、手元のタブレットを数回タッチする。すると彼のタブレットに反応して巨大スクリーンに三匹の獣が表示された。それを見た彼は少しだけ声を大きくして続きを話す。彼が声を大きくしたということは、ここは重要な内容で、次の考査でも出題される確立が高い部分なのであろうと、ここに居るほとんどの人が思った。


教師は声を張り上げながら手元のタブレットに文字を書くと、前方の巨大スクリーンと、梓の目の前にある液晶にも同じ画像、そして先ほど彼が書いていた文字が表示される。

 教師の熱弁を聞いているほとんどの人は、真剣な面持ちで手元のタブレットや今のご時勢珍しい紙媒体のノートにメモを残しているが、梓は違った。彼は教師以外の声が聞こえない教室で、手に持ったタブレット用のペンを器用にクルクルとまわし、窓の外に広がる青々とした空をぼうっと眺めていた。




「そんな黄昏れる姿は『深窓の令嬢』のようだな」

 既に巨大スクリーンの横から教師が居なくなった後であったが、椅子に座りタブレットをつけっ放しのまま外を見ている梓に向かってクリスは言った。

「やめてくれよ。気にしているのに」

 梓は大きくため息を吐いて、百九十センチを超えた長身と金髪が目立つクリス・キャロル・アルフォードに向き直る。


 ため息を吐きながらジト目でクリスを見つめる彼、雨乃宮梓あまのみやあずさは女性のような名前であるが、男性である。また名前だけではなく顔までも『女っぽい』事は梓にとって大きなコンプレックスだった。ただでさえ名前だけで女性と間違えられるのだが、更に『女顔』という身体的特徴のおかげで、梓の姿を見てもほとんどの人が彼を男性と思わなかった。もし制服といったような男女判断が出来るものが無ければ、八、九割くらいは彼を女性として見てしまっていたであろう。


「僕が少し調べてみたところだと一応男性にも使われるようだね……稀に、ってことらしいけど」

 クリスの後ろから黒髪黒目という純日本人の特徴をもった青年が話に加わる。

「それはフォローでもでもなんでもないよ……沖」


 沖と呼ばれた青年は苦笑いしながら、クリスの隣に立つ。彼、沖裕也おきゆうやは少しだけつりあがった目に、黒ぶちのめがねを付け、髪を目に届くか届かないかと言うところまで伸ばしていた。そんな現代に有り触れているその見た目は、どこか味気なくてまさに地味青年といえるであろう。また温和な性格も相成ってか、既にこのクラスの中でもかなり目立たない人物という地位を確立していた。


 梓は視線を沖に向け、目にかかった黒い前髪を払い彼を見つめると、沖は一瞬ピクリと反応して一歩後退する。

「梓君。その瞳は反則だよ」

 沖の横でその様子を見ていたクリスも大きな声で笑い、梓に追い討ちをかけた。クリスと沖が見ているものは、長いまつげの下にある蒼く美しい瞳で、俯きながらこちらを覗いている『女性のような』梓だった。

「目はハーフなのだから仕方ないでしょ。それより」

 梓は本日何回目かのため息をついて、立ち上がる。

「次の授業は移動だし、そろそろ行こうよ」


 彼が言うことはもっともだった。既にクラスメイトの半数は移動を始めており、さらに残りのほとんどは荷物をまとめている。教室の中でまったく準備をしていないのは梓たち三人だけになっていた。クリスと沖はそうだなと言いながら、自分の席に戻り準備を始める。梓も前の授業で使用したタブレットをしまい、移動の準備をして実技場へ向った。


 実議場には既にクラスメイトのほとんどが集まっているようで、室内にはたくさんの生徒達が各々の友人たちと話し込んでいた。

 梓たちは次に入ってくる人の邪魔にならないように、入り口から少し歩離れた壁に寄りかかる。

「あーあ、今日の授業面倒なんだよなぁ」


 梓の隣に立っていたクリスはポツリと声を漏らす。それを聞いた沖はクリスをジト目で見つめた。

「今日は何も起こさないでよ」

「大丈夫だ……多分な」

 最後に沖や梓を不安にさせる一言を呟き、クリスは実議場中央にある時計を見つめた。

「そろそろだな」


 クリスの言葉を聞いて梓が時計を見上げると、長針がゆっくりと動き天を指す。そして鳴り響くチャイムと同時に一人の女性教師が実議場に入ってきた。その女性はパッと見ただけでは二十代前半ぐらいに見えるが、学園に流れている噂だと『アラサーなのに独身彼氏なし』であるようだ。彼女の少し垂れた目に愛嬌ある顔とみずみずしい肌が、少し小柄であることと相成って、彼女を若く見せてた。

 ちなみに彼女にアラサーという言葉が禁句である事は、入学して一週間立つ頃にある事を通じて一年生のほぼすべてに知れ渡っていた。


「こんにちは皆さん。ベルもなりましたし、授業を始めましょうか」

 教師は目を閉じ、手に持っていた杖を掲げ、呪文を詠唱する。すると彼女の足元と杖の先から魔法陣が具現化し、あたりのマナが魔法陣に集まりはじめる。


 三秒ほどしただろうか、彼女は持っていた杖を振ると、弓道や射撃で使われる丸い的を大きくしたようなものが、教師の二十メートルほど先に出現した。

「今日は放出系の魔法訓練です。以前講義で説明した詠唱短縮を使用して、的の中心に……そうですね。まずは初級レベルの魔法を当てましょうか。では」


 教師は生徒をぐるりと見回して、一人の女子生徒の前で視線を止める。

「麗華さん、前に出てお手本をしてもらえますか?」

「はい」


 教師の声に一人の女性が返事をする。彼女、近衛麗華このえれいかは教師の隣まで歩き、手に持っていた杖を前に突き出す。彼女は小さく息を吸い込むと、ソプラノの声で詠唱を始める。すると彼女の足元と杖の先には魔法陣が具現化し、大気中のマナが彼女の魔法陣に収束してゆく。そして集まったマナはやがて彼女の魔力と混じり、白い光の粒子となって彼女の周りを蛍のようにふわふわと漂う。まばゆい光の中心に居る彼女は、まるでライトアップされた女優のように美しかった。


「さすが近衛麗華。近衛の名は伊達じゃねえぜ」

「クリスの言うとおりだね。魔力の質が普通の人とは段違いだよ。あんなに集まって光り輝くマナなんてめったに見られないよ」

 沖が言い終わるのとほぼ同時に彼女の詠唱が途切れる。そして魔法陣からひときわ大きく輝くと、魔方陣の中心から白い矢が放たれた。その白い矢は麗華の前方にある的の中心を貫くも、勢い衰えないまま直進し、建物を覆っている光の結界にぶつかり霧散する。

 それを見ていた教師は大きく息を吐いた。


「貫いてしまうなんて……流石ですね。では続いて三人ずつ、出席番号順にやっていきましょうか。麗華さんありがとうございます」

 先生がそういうと麗華は一礼をしたのち、友人である土御門愛理の元へ行き、楽しそうに会話を始めた。


 出席番号は姓名の五十音順に振られているため、必然的に若い番号となってしまっている梓は、手に持っていた杖を握り直し先ほど麗華の立っていた場所まで歩く。また梓の左側には黒髪の男子生徒が、右側には頭に長く白い耳を生やした兎族の女性徒、それぞれが杖を持ち自身の魔力を活性化させていた。


 梓が定位置に立って、杖を構えると後ろから先生が声を張り上げる。

「みなさん準備できましたね。では詠唱を始めてください」

 梓は左右にマナが集まる気配を感じながら、大きく深呼吸をする。息を吐き終わった梓は魔法陣を具現化させ、詠唱を始めた。


 ……今日も国立第一魔法学園の生徒達はいつもと同じ、至って平穏な日常を送っている。


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