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豊かに生きるとは

作者: 悠希 碧

 先日、といっても、結構前のことになるのだが、私は通っている学校で「豊かに生きるとは」という題の作文を、一つ年上の方々からお話しいただいた。

 本題に入る前に、すこし前置きをしておきたいのだが、了承してほしい。していただけないのなら戻ることをお勧めする。

 さて、前置きだが。この題の作文は、我が校の三年生が、毎年必ず作文として書き上げる題なのだ。私自身、この学校に入って、まさか毎年作文を書いて全校生に発表しなければいけないなんて思ってもいなかった。

 いやぁ、やはり人前というのはいくら経験しても慣れないものだ。というか慣れたくないまである。

 とはいえ、三年生の方々のお話は、どれもすごく考えさせるものが多かった。正直すごいとどれだけ感じたことか。

 とまぁ、前置きをしたのだが、うん。これは蛇足であった。

 さて、閑話休題。本題に入るとしよう。

 私はこの題の作文を聞いて、すごく考えさせられた。だから、まぁはやくはあるが、もうここで「豊かに生きる」とはどういうことか考えたく思う。こんな若造の若輩者の語り部に、せいぜい付き合って頂けるとありがたい。

 「豊かに生きる」とはどういうことだと思うだろうか。尽きることのないほどたくさんのお金を持っていることだろうか?幸せな家庭を築き、妻子に愛され、なに不自由ない生活の事なのだろうか。

 私は、その二つが豊かに生きるということで間違いはないと思う。まぁその通りだとも思ってはいないが。

 つい最近、私が読んだ物の中に、こんな言葉があった。「どれだけ貧しくても、心が満たされていれば裕福で、どれだけ潤っていても、心がさらに求めればそれは貧しい」

すこし脚色が入っているが気にしないでくれ。完璧に覚えているわけではないのだ。

 とまぁ、そんな具合に、言葉が綴られていた。

 私は、この言葉に酷く感銘を受けた。それはもうほんと衝撃的なくらい。

あぁ、そうか。そうなんだ。そう思った。

 その言葉を書いた人に感服したといっていい。

 つまり、貧しいか裕福か、というのはきっとそれを思うか否かなのである。

 お金がなくても満足してれば裕福なのだ。お金があっても満足していなければ貧困なのだ。

 要は心の持ちどころ。

 ただお金があれば、家庭や母子に恵まれた不自由のない環境なら豊かなのかもしれない。しかし、それに満足出来ずにいるうちは、きっと真に豊かではないのだろう。

 稚拙で蛇足だらけな駄文だが、豊かとはどういう物か、私なりに考えた。

 やはり、それはきっと、私たち各々の感じる満足度なのだ。上を目指すか、そこで踏みとどまるか。上を目指すものにとってはそれが最高でなくとも、それで満足するのならそれが自分にとっての最高なのだろう。あくまで自分にとっての、だが。

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― 新着の感想 ―
[一言] 足るを知るという言葉もありますよね。満足感というのは誰にでもあって、どこまでなにをもって満足かは千差万別でいいと思いました。
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