4. 相変わらずの面倒臭がりと逃亡犯 の再会。
××××××
「ふぅん? ま、良かったんじゃないの?」
「悪かったな、いろいろ」
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早い話。あれから数日が経っちゃった。敢えてオチを付けるなら、私がぐっすり寝てしまい寝過ごしたくらいか。……や、それでも間に合わせたけどね。バイト。
まぁ、さっぱり言ってしまうと、あれから刑事が来ることは無かった。あの二人も、当然他の刑事も。当たり前だけどね。それは。
だから私は今日までの数日をのんびり平和に過ごしたって訳だ。誰の邪魔も入らずに。
本屋の仕事は結構ハード。接客だけじゃない。力仕事も在る。給料はこの界隈じゃ良いほうだけれど。妥当、とは思えないんだよねぇ。
「いらっしゃいませー」
自動ドアが来客を知らせる。正直来るなと思うがそうも言えない。事務も終わってないし早売りを期待する莫迦だったらどうしよう。昼まで待てやぁって話よね。
などと軽く思考しながら予約伝票にチェックを入れながらカウンターで段ボールを片していると。
「……おい」
聞き間違いだろうか。悪い夢かな。白い昼の夢かしら。……なんてね。
「何だ。無事じゃない。殺人犯にはならなかった訳だ、“自称『人殺し』くん”」
私は自分でも意識して悪党面をでっち上げる。視線を上げたその先には、鋭い目線と刃物と紛う目付きと仏頂面。やや機嫌悪さげ?
「……何時に終わる」
「は? 私?」
「以外に誰がいるんだ」
「やーね。デート?」
「……」
黙り込む、直立不動の男。私は舌打ちをあからさまにして。
「冗談よ。そうね、あと二、三時間待てる?」
今は正午。今日は早番の子に頭を滅茶苦茶下げられ面倒だったが断るのはもっと面倒臭かったので代わってあげたのだ。なので、三時で終わりだ。男はこくり、と頷いた。
「じゃあ迎えに来る」
「は? いーよ。どっか行っててよ。そうだなぁ。───この裏手に喫茶店在るんだけどさ、そこにいてよ。三時間後に」
「……わかった」
何かまだ言いたそうな男だが特に反論もせず、去って行った。私も、作業に戻る。が。
「……彼氏?」
ウザいヤツからお声が掛かった。店長の縹だ。コイツは何を勘違いしてるのか、自分が格好良いと思ってるナルシストだ。実際、本人の想像には劣っても、現物も悪い訳ではないのだ。
顔も身長も平均よりは上だろう。痩身で、ここまでなら確かにモテるかもしれない。しかし。
「何すか店長。そんな甘い雰囲気がどこに在りました」
「えぇ? 違うのぉ? だってさ、何か“迎えに来る”とか言っちゃって大切にされてない? そんな感じじゃない?」
……空気が、ねちっこいんだよね。粘っこいって言うか。
うぜぇ。マジうぜぇ。誰かどうにか……ああ今私以外この場にいないわ嫌んなっちゃう!
「何なら早く上がっても……」
一人なぜか浮かれている店長を放置で私は黙々仕事をこなす。無視したいなぁ、おい。
「店長ー」
「あーはいはいはい。なぁにぃー?」
神様か天使か悪魔か閻魔か知らないが。どの超越存在の御蔭か私は解放された。ああ開放的だ。ヤツ一人いないだけで。
かくして、ウザい店長縹の魔の手から巧く躱し逃げつつ、三時間を終えたのだった。
仕事の上がりまで逃げ切った私は、裏手の喫茶店を目指した。注釈すると急いだりはしなかった。あくまでマイ、ペース。
からんからん、と、ドアが鳴く。正確には扉に付いた小さい鐘だ。錆びてるのか、涼しげ、とは言い難かったが私はこの古さが好きだ。
昔付き合った人と来たけれど、ヤツはこの古きの良さ、て言うものがわからない人間だった。新しいモノばかりを追う人だった。きっとこの価値観のズレで別れたんだろうなぁ。……ま、他にも理由は有りそうだけど。で、男はいた。大正なのか明治なのかのモダンな造り、その奥の一角。如何にも明治維新を懸けて戦い、けれど失敗し切腹を決めてしまった武士のような感じで。
危なげ、とか儚げ、って言うのは本来女に好かれるもんだと思うんだけど。目元の鋭さに怯みそうだな。最初の私みたいに。
だがだが。この男の中身は純情少年だ。何せ大好きなお姉ちゃんの自殺がショックで追い詰められちゃうくらいだから。
「待たせたわね」
私が近付いて席の斜め横に立つと俯いていた男は顔を上げた。「いや」と言って首を振った。私は笑んだ。およそ『笑んだ』などと言うやさしいイメージの表現は似つかわしくなさそうな、それはそれは楽しそうな笑いで。
「で、結局どうなったの?」
実は常連たる私はすでにいつもの珈琲を、入ってすぐカウンターの向こうに頼んでいた。私が座ってほぼ丁度に珈琲が運ばれ男は少し驚いたようだった。目が開かれたから、そうなのだろう。
とは言え私は男に構わず話を振る。私のところへ来たのだから、十中八九、いや、絶対その件だ。
「で?」
尚も促す私に渋々と言った風で喋り出す。この話に来たんだろうにこの男は。本当に面倒臭い。
けども男のメンタリティとか、そんなモノを思えば仕方ないかもしれない。背景に在るのは痛いとこだしな。
ほれほれ、と私は更に催促した。
「事情聴取して来た。全部話した」
「それで?」
「過失傷害とかには……ならずに済みそうだ」
「へぇ。じゃあ何だっけ? 自殺を手伝うヤツ」
「自殺幇助? も、免れた。実際は精神的に手が出せなかっただけだから、だと」
「恩情ってヤツか」
「さぁな」
「……泣き付かなかったの? 俺を裁いてくれーって」
悪戯めかして笑う私に、男は困ったように─────けれど初めて、笑った。微笑む、と言うような、細やかで微かな笑みだったけど。笑うとそのキツい目は弓なりに細まり反らし印象を変えた。
やわらかく、造作は悪くないので、ぶっちゃけ笑えば縹より随分マシなのでこれは隠れファンのいた口では無いのかと私は邪推した。
私の邪推なんか気付かずに男は話を進めるけど。
「やめたんだ。わかったから」
「何が?」
「“逃げ”だって」
男の顔から笑顔が失せた。それはまさに武士。腹を決めた武士の顔だ。
おお、この顔はモテるな。うん。男の決意を何だか水を差しそうだから言わないが。
「罰を受けたいって、結局逃げだと思ったんだ。目を逸らすみたいで。自分だけ救われたい、罰せられて楽になりたい。そんな気がした。だからやめた」
「そう」
「あんたにも言われたしな。“傲慢だ”って」
言ったな。そんなコト。私は自覚するぐらいに笑いを深くした。
「ふぅん? ま、良かったんじゃないの?」
私が答えると男が真剣な表情のまま、言った。
「悪かったな、いろいろ」
神妙な表情だ。恩義に報いようと決心する武士はこんな顔をするのかもしれない。私はそう考えて。
「良いよ、もう。あんたもイイ感じに鍛えられてさ、良かったんじゃない? 迷惑じゃなかったなんて有り得ないとしてもね。───そう言えばお姉ちゃんどうしたの?」
僅かに曇った瞳は、私は見ない振りをした。返答を待つ。
「お姉ちゃんは、」
重い口が開いた。
「まだ寝てる」
重い言葉が融け混じったがゆえに、空気も重くなる。私は返す。「ふぅん」と、気の無い返事を。
男は続けた。その顔は沈痛そうで。その顔は例の少年の幻影が映って重なった。
「お姉ちゃんには叔父さんがいるんだ。血は繋がらないらしいんだけど」
「……また、えらく突拍子も無いわねぇ」
思わず、思うままが口に出る。だってそうだろう。何だ急展開。
男は苦く緩く───年よりは老成した雰囲気で唇を歪める。
「叔母さんの再婚相手なんだって。その叔母さんも亡くなってる」
「じゃあ血の繋がらない唯一の血縁て訳だ」
何か言葉遊びみたいね、と笑う私に男も同意した。私はすかさず返す。
「何かあっさりしてるわね。あんだけ騒いだ割りにはさ」
男は、あっけらかんと、これに応答した。間が無くて私が呆気に取られた程だった。
「だって俺は学生だし。父さんも母さんも心配してるし、正直関わってほしくないと思うんだ。昔なら違うだろうけど今となっては仕方ないよ」
これ以上迷惑掛けられないしな。男は、言い終えると珈琲を口にした。
「ふーん。……あ、ところでさ」
「ん?」
「何で私のバイト先わかったの? あんた知らなかったでしょ?」
刑事さんが訪ねて来たとき、“近くに住む”と言っていた。地元と言うことなのだろうが、にしても田舎町とは言え狭い訳じゃない。はっきり言って土地は広大だ。住宅もだからか結構在る。
第一私はこんな事件に巻き込まれるまでコイツを知らなかった。なのにコイツは私の仕事先に来たのだ。教えた覚えは無い。
どこかで。また会えるかもしれないとは思っていたがそれがどこかもいつかもはっきり考えてはいなかったのだ。今、こうして前にいることは何の違和感も抱かないけれど、そこは疑問だった。
私が訊くと男はさらりと説明を始めた。簡潔に。
「あんた、気付かなかったのか」
「は?」
「あんたの、俺は小学校の同学年だぞ」
…………。
「─────……はぁっ?」
「気付いてなかった……や、その顔は知らなかったんだな」
「知らない知らない。え、いつ?」
「まぁ、途中だったからな。クラスは違ったし。ついでに言うとあんたの元彼は俺の高校のときのクラスメート」
「うぅ……っわっ……」
これだから小さい町は! 無駄に土地は在るくせに人はいるくせに! 私は毒付くけど男は涼やかに珈琲を啜る。ちくしょう。
「……て、ことは……」
「そ。元彼に訊いた」
「何てこと!」
思い出はキレイなままが一番でしょうが。そう呻く私にしれっと男は語る。
「自転車に堂々名前が在ったからな。覚えてた」
ああちくしょ、それでかよ。私は頭を抱えた。
だって名前無かったら盗られるかもしれないじゃんそれは困るじゃん盗難届けなんか出したって戻るかわかんないのに、ああでも……!
凄い後悔だ。マジだ。あー……。
「ま、で、幼馴染みに相談したとき名前出して。そうしたら“お前、アイツじゃん”みたいなことを言い出したんだそいつが。そいつはあんたと同じクラスだった」
「……へぇー……」
てか、あんたも知らなかったんじゃねぇか。敢えて突っ込まないけど。
「それでそいつがまた覚えてて“アイツ確か付き合ってたヤツいたぞ、俺らと同じ高校のヤツ”と。それが、」
「元彼ですか」
「そうですよ」
半ば真っ白に燃え尽き廃人と化した私なんか気にも止めず。男は喋る。……何だよ。結構喋るんじゃんか。
一人涼しい顔してんじゃないわよ。毒付きたくとも上手く行かん。あー、あーっ……。
頭の中でのた打つ私はけれど平静な顔をし、もう自棄まっしぐらな気分になって開き直った。こうなりゃ居直りだ居直りっ。
「よくその幼馴染みも覚えてたもんねぇ。誰よどいつよその馬鹿野郎」
「ううん? あー、そりゃ覚えてるんじゃない? 何かまだ片思いしてるらしいから」
「……そうなんだ」
とてつもなくさらーっと今爆弾投下された気がするんだけど、あまりに実態が無くて実感が沸かない。しかも“馬鹿野郎”発言に何のリアクションも無いのか。……ま、良っか。
「小学校からか。難儀だねぇ」
「訳わかんないとこが好きらしい。難儀だな」
他人事のように言う私もどうかと思うがお前が言うなよ。
しかしそうか。そうなんだ。
「良かったね」
「ん?」
「日常に戻れてさ」
かなり地味で有りがちな出来事だったけど、アレは日常とは違うと思う。
言うなれば巻き込まれああなったのは、私もコイツも同じだった。
だけれど、私もコイツも戻ってる。変わらぬ日々の群像の中。
「良かったねぇ」
「まぁな」
あの微妙ラインの非日常はまったくちっぽけでともすれば喜劇のような細やかなモノだった。
まさに快晴の空を雷が走るように。刹那の。
だが悪くは無かったのではないだろうか。巻き添えを食らい、ウンザリしたけれども。
二度とはごめんでも。
こうして今は穏やかに何でもない日常を送る、結末が在るなら。
突然降って来たあの逃亡前線も、悪くは無かった。
今は、そう、思う。
向かい合って、珈琲を啜りながら。
【Fin.】