2. 面倒臭がりの行動力、逃亡犯の阿呆面。
××××××
「行くわよ」
「は?」
××××××
私が固まったのを男は気付いてくれただろうか。
「あ?」
ちょっと因縁付けそうな、やばい系兄ちゃんみたいに語尾が上がっちゃったのは、まぁ勘弁して。
や、じゃなくて。
「何て言った?」
「だから、人を殺した」
「あんた莫迦?」
一昔前、いや、今もなのか知らないけど、物凄い人気だったアニメのヒロインみたいな科白が口から出た。零れ落ちるみたいにぽろっと。
男はそんな私を見上げ───やはりその瞳は睨むようで、ひどく研がれて、今にも折れそうな薄さも伴った危うい刀身みたいに───ぶっきらぼうに言った。
「仕方が無いだろう、本当なんだから」
表情は不機嫌を丸出しに、凄く人間臭い生々しさが在った。それを見て、私は“ああ、人間だ”と思った。
とても不可解な話だけれど。だってその人間味溢れた顔が嵌め込んだ目玉は、包丁か何かで作り上げたんじゃないかってくらい鋭く無機質だったから。
その時だった。
部屋をノックする音と、中へ呼び掛ける声、それからチャイムが同時進行で行われた。
「? はーいっ」
今度は何だと言うのだ。私は一先ず男に背を向け振り返り、ドアへと。
「……」
行こうとしたらば、止められた。男が、私のジーンズの裾を掴んだのだ。
「何?」
男は一度顔を伏せてから、意を決したように私を見た。
「多分警察だ。頼む。俺のことは言わないでくれ」
その眼が、懇願を見せた。
意外に殊勝な人柄らしい。頼む、と来たか。
「わかった」
「へ?」
「わかった、て、言ったの。裾放して。それから、中にちゃんと入ってよ。で、入口とは反対の右の壁に寄るのよ」
そうしたら、玄関からは見えなくなるから。そう告げると。
「通報しないのか?」
不思議そうに、そう訊いて来た。私は溜め息を吐いて。
「言うなってあんたが言ったんでしょ? つうか通報とか面倒臭いし」
本当に警察かもわからないしね。私は男に答えて、玄関に向かった。
「夜分にすみませんねぇ。お休み中だったでしょう?」
「いえ、起きてましたが」
男が言ったように今度の来訪者は警察だった。二人組で、よれて草臥れたコートに哀愁と疲労が窺えた。
「で、何ですか?」
「こちらでこの男性をお見掛けしませんでしたか?」
見せられた写真に写っていたのは、今と対して変わらない目付きの悪い青年。
今、私の部屋で息を潜めている自称『人殺し』の男。
「……この人、何かしたんですか?」
知るか否かは答えず、私は訊き返した。すかさず刑事さん(多分)は。
「ご存知ですか」
「さぁ。見たような、見ないような」
曖昧に、私は言葉を濁す。ぶっちゃけてしまえば奥にいますが、と言ったところだ。だが言わないと言った手前喋る訳にも行くまい。つうか。
ここでたとえぺろっと言ったって、今度は警察で事情聴取じゃないか。
明日、何時からだっけー……夕方かー? などと私が頭を巡らす間に刑事さんは問い詰めて来る。
「思い出してもらえませんか。こっちは困っとるんですよ。
────後追いされちゃ叶いませんでねぇ」
……ん?
今。
「何と?」
『後追い』、とか単語が……。
何の話?
「あー……」
刑事さんは薄くなり始めた頭の後ろを掻いて己の失言に困った顔をした。一切口出しせずに聴いてメモを取っていた片方の比較的若い刑事さんは、この時ばかりは顔を上げて非難の眼差しを向けていた。
「いやー。事件は口外無用なんですが」
むしろ、厳禁でしょ。私は内心だけでそう突っ込む。刑事さんは話し出した。今私の部屋に隠れる男が追われる理由を。
……良いのか、喋っちゃって。若い刑事さんは物凄い目で見てますけど。
そう思っても、私は言わないで聴いていたけど。
「いやぁ。事件、と言う程では無いんですわぁ。
先々日、この近くに住んでいた女性が湖で入水自殺を図りましてね。その現場に、この男性が居合わせていたんですわ。当初は自殺を止めに恋人が追い掛けて発見したと思われとったんですよ。ところが目撃者から聞いた話だと、二人は同じ時刻にあの場所へいっしょに向かっていたんです。おかしいでしょう?」
確かに。入水、と言うことは沈むまでに時間が在る訳で、その場でいっしょにいたと言うのなら男は止めていても良いはずだ。
考えた私の脳裏を不意に、男の一言が過った。
“俺は、人を殺した”
何もしなかった、と言うことなのだろうか。何もしないで、ただその女が自身を沈めて行くのを見ていたと。
だから『人殺し』なのだろうか。見殺しにしたから?
私の黙考をどう捉えたのか、若手に睨まれる刑事が慌てたように付け足した。
それが私に混乱を呼ぶとも知らずに。
「あ、でもそんなに事態は深刻では無くてですねぇ。───その女性、一命を取り留めてるんですわ」
「は、」
死んだんじゃないの? 私は目を丸くした。だって、殺したの自殺だのその場にいて止めなかったの警察が追ってるだの、それじゃ丸きり女性は死んでて、その責任問題で過失致死だの問われてとか考えるじゃない。
違う訳? 私の勘違い? 早とちり?
私の混線した情報処理機能を何ら気に掛けることは無く、刑事さんはまるで話し終えるのが義務だと言うように口を開いていた。
「まぁ、何て言うんですかねぇ。彼女が死のうとしたのを見届けようとしたっちゅーのか。ここは果たして過失傷害罪に当たるのか、この参考人がどんな状況にいたか。それが焦点なんですわ」
ところがとーんと消えちまってね。刑事さんは言う。若手の刑事さんはどう見たって般若面だ。……言い忘れたが若手刑事さんは女性である。
「事のあらましも口にせんと黙秘のまま消えたもんだから。だから今捜しとんのですよ」
後追いされたら叶いませんしね。刑事さんは語り終える。
「……。生きているのに後追いするんですか?」
「ああー……。その自殺未遂の女性ね、現在意識不明の重体なんですよ。いつ死んでもおかしくないんですぁ」
さすがに不謹慎なこの言葉に、若手が声を上げた。“カネさん!”とか何とか。『カネさん』…『金さん』か、『鐘さん』か。『カネ何とか』言うのかな。とにかく、若手が荒い声で叱責したことで、『カネさん』は首を竦めて咳払いをして、場を取り直した。今更だと思うけど。
「ま、まぁ見掛けたらご一報くださるよぉ、お願いしますね」
連絡先は110番でも良いらしい。私は生返事だけ曖昧に返して、笑った。
店員としては最低ランクな愛想笑いだった。
刑事が帰ったあと。足音が去るのを、閉めたドアに耳を付け確認し、私は中に戻った。
中では先程見せられた写真より、やや憔悴した感じの男がいた。顔も、やつれ気味に見える。
「ねぇ、」
声を掛けてみた。男は反対側へ最初と同じポーズのまま、壁に押しつけるように身を隠していた。
「聞いただろ?」
「聞いた。何が“人を殺した”よ。生きてんじゃない」
私は思ったまま口にする。私の腕組みするその様は、怒っているようにも取られそうだ。実際は怒ってなんかいないし呆れてさえもいないけれど。
「殺したも同然だ。俺は何もしなかった」
「相手は生きてるじゃない」
「でも俺は何もしなかった。死んでれば人殺しだ」
「だけど生きてるじゃん」
「だからっ……!!」
「あーっもーっっ! そんなに言うなら見に行くか!?」
「は?」
「行くわよ」
「は、」
「こんなところで押し問答するくらいなら見に行きなさいよ。そんで決めなさいよ。あんた、中途半端なのよ。罪悪感感じてる割りには逃げてるし、逃げたくせに言い逃れしようとしない。
あんた、結局何な訳?」
意味のない言い合いに焦れた私は、人殺しだと喚く男を引っ張り立たす。立った途端に壁に押しやり、自分の上着を引っ掛ける。男は唖然としたまま私の動向を見守っていた。
「どうするかなんてあんたの勝手! でも面倒なの嫌いなの。はっきり言って迷惑千万! でもね、もう見放せないのよ、わかる!?」
私は口が回る限りまくし立てた。男は呆気に取られて言葉を無くしたまま聞きざるを得ないらしく。おとなしく聞いている。
「今あんた突き出しても事情聴取されて私まで偽証罪だの隠蔽罪だの言われて、しょっぴかれちゃうでしょ? そんなのごめんよ冗談じゃないわ! て言うか納得行かない。こんなウジ男のせいでなんて!!」
言い捨てる私をどう見たのか。男は間抜けにも口を開いた顔で硬直し、壁を背にしながら私を見ていた。
「……行くって、どこへ?」
正気に戻った男は私にそう問うた。私はあっさり答え返す。
「……あんたの“殺した相手”とやらが眠ってる場所よ」
【To be continued.】