未来の美容師「俺のイイねポイント」が貯まったのでダサ女子を変身させます。
「藤間さんの家、事故物件って本当?」
朝、教室に着いてカバンを下ろす間もなく、クラスメイトの女子がするりと目の前に寄ってきた。
私のパーソナルスペースに踏み込むように正面に立つと、ニヤニヤ笑いながら話しかけてくる。上目づかいで媚びているみたいなのに、答えを聞くまで引き下がらない頑固なしつこさが見え隠れする。
私はカバンを盾にするみたいに、彼女とのあいだに差し入れた。
ちらりと彼女の後ろに視線を向けると、案の定、三人組の女子が髪をいじりながらクスクス笑って、このやり取りを眺めていた。
——なるほど。
昨日はこっちをチラチラ見ながらコソコソ話して笑っていた。
だから今日は、その続きで誰を使ってくる日、というわけか。
——わざわざこんなことをするために、早く登校してきたんですか。
私は、その三人に、かれこれ一か月ほど嫌がらせをされている。
もともと、美容とオシャレに全力なその三人と、オシャレ皆無の私は、同じクラスというだけで接点すらなかった。
私が嫌がらせされるきっかけとなったのは、三人のうちの一人、宇佐美さんが、席替えで私の前の席になったことだった。
背中までまっすぐに伸びる、ロングの黒髪がトレードマークの宇佐美さんには、髪をかきあげる癖があった。
遠目に見る宇佐美さんの一連のしぐさは、まるでドラマでヒロインが初登場して一目惚れされる場面のようで、思わず見惚れてしまうくらい素敵だった。
ぐっと伸びをするみたいに上体をそらし、首の後ろに両手を差し入れる。
手首の形に沿って黒髪が緩やかにたわみ、放射状に光を弾く。
うなじがちらっと見えるくらいまで髪をかきあげて、跳ね上げるように、ぱっと手を離すと、一本一本に重さを感じさせる黒髪は、軌道を描いてさらさらと肩へ流れ落ち、毛先は迷いなく元の位置へと背中に戻っていく。
けれど、それは遠目に見るから素敵なだけで、場所もタイミングもお構いなしにやられると、正直、迷惑でしかなかった。
授業中、必死にノートを取っていると、いきなり私の顔の前に頭が差し出され、顔面にばさっと髪をかけられる。
たとえ毎朝アイロンで伸ばして、つやつやピカピカに整えた美髪だとしても、正直、めちゃくちゃ不快だった。
あまりにも頻繁に、ばさばさと髪をかきあげてくるので、ある日、ついに耐えられなくなった私は、うっとりと自分の世界に浸っていた彼女の肩を、そっと指先でたたいた。
そして、できるだけ怒りを抑えた静かな声でお願いしてみた。
「ごめん。髪、ばさばさするの、やめてくれない?」
宇佐美さんは、そこで初めて後ろに人がいることに気づいたみたいに、びくっと肩をふるわせて振り返ると、小さな声で謝った。
私は、それで終わりだと思っていた。
ところが、オシャレ女子にしてみるとダサ女子から、自分の命ともいえる髪を注意されたことが、相当、受け入れがたかったらしい。
翌日から、あの三人は、わざと聞こえるように悪口を言ってみたり、私を遠巻きにして何かをコソコソ話しては笑ったり、クラスメイトに何か噂を吹き込んでは、さっきみたいに私をからかう道具にしてくるようになった。
意地悪く成り行きを見つめる三人組から、今か今かと返事を待ちわびている上目遣い女子へ視線を戻すと、私は自虐するように軽く鼻で笑ってから、呆れたように言った。
「それさ、みんな信じてるっぽいけど、うち、ただのボロ家だよ。
もし本当に事故物件なら、今年の夏は、家じゅうの隙間という隙間に幽霊に来てもらって、クーラー代わりにしたいくらい」
冗談を交えて軽く返すと、ニヤニヤしていた上目遣い女子は、一瞬きょとんとした顔になった。
それから、これ以上からかっても無駄だと思ったのか、ストンと真顔になって、
「何それ」
とだけ言い捨てて、不満そうに自分のグループへ戻っていった。
実際、うちの家はボロ家だ。
ただ古いだけじゃない。
オーガニック信者の母の夢と信念が、これでもかってくらい詰まったボロ家だ。
ところどころ壊れた木の柵に囲まれた敷地には、素人が植えたと丸わかりのハーブ畑と、今にも傾きそうに見える木造の家が建っている。
母にとっては夢の御殿だけど、タワマンで最新家電に囲まれた生活をしている人から見たら、たしかに事故物件と言えなくもない。
実際、「あの家、人住んでるのかな?」なんて、通りすがりの人に指さされることは、しょっちゅうだ。
うちはちょっとした名物スポットだから、三人組もうわさを確かめに、見にでも来たんだろう。
外から見ただけで事故物件なんて言ってるようじゃ、もし家の中に入ったら発狂するんじゃないだろうか。
高濃度の美容成分が入った化粧水や、髪にツヤが出るドライヤーなんて、うちにはない。
あるのは、母お手製の柚子の種から作った化粧水と、よく水を吸う綿の手ぬぐいだけだ。
小学生ぐらいまでは、そんな生活に疑問にも思わなかった。
けれど高校生になった今は、母のこだわりが、とても窮屈に思える。
他の子たちはどんどん可愛くアップデートしていっているのに、私は、母が信じる「天然素材の丁寧な暮らし」を続けていて、差は開いていくばかりだ。
教室にいたら、たぶんあの三人は、次は遠巻きに悪口を言うローテーションに入るだろう。
そんなの、わざわざ聞く必要もないので、私はトイレに向かった。
教室なんて、朝礼が始まるぎりぎりに戻ればいい。
嫌なやり取りを洗い流すみたいに、蛇口を全開にして手を洗う。
手洗い場の鏡に映る自分を見ると、アホ毛がぴょん、と出ているのが目についた。髪を直そうと、そっと手を頭に這わせる。
——もし、母から許可されていないケア用品も自由に使えたら。
髪だって、もう少し柔らかくなって、形よく整えられるのかな。
そんなことを思いながら、私は、手のひらと水の力だけで髪をなでつけて、首のうしろのあたりでゴムでまとめた。
翌日は、わざと聞こえるように悪口を言ってくる日だった。
「なんか、草みたいな匂いしない?」
宇佐美さんが、こっちを見ながら、わざとらしく声を上げる。
母のオーガニック志向は、洗濯にも徹底されている。
私の体育着は、せっけんと重曹でていねいに洗われたあと、庭に植えたペパーミントで香りづけされていた。
実際は、そこまで香っていない。
けれど、どこで知ったのかあの三人はネタとして、それをいじってくる。わざわざ、こっちを見て言ってきたから、これはちゃんと返す。
「そんなに爽やかだった? じゃあ体育、楽しみにしていて」
私がそう返すと、三人は、
「誰もあんたに話かけてなんかないし。」
と、嫌なものでも見たように顔をゆがめて吐き捨てた後、三人だけで別の話題で盛り上がりはじめた。
メイクが崩れるからと、いつもほどほどにしか動かない三人からしたら、本気で走る私と何か一緒にやるなんて、きっとまっぴらごめんだろう。
お互い近づかないのが一番なのだ。
宣告通り真剣に走った四限の体育が終わり、体育館から教室に戻ろうと、一人でだらだら廊下を歩いていた。
昼休みだから、多くの生徒がしゃべったり、どこかに向かおうと連れだって歩いたりと、ざわざわしている。
そんな中、廊下のすみに派手な男子グループが、獲物でも待ち伏せするみたいにたむろしているのが目に入った。
彼らは私の姿を見るなり、「おっ、来たじゃん。じゃあな、トモロウ」と、不穏なことを言い残して、一人だけを置いてどこかへ行ってしまった。
残されたトモロウは、学年でも一、二を争うオシャレ男子として有名で、噂では、宇佐美さんが狙っている相手らしい。
自分とは真逆の属性なうえに、宇佐美さん絡みときた。
相当、いや、かなり苦手なタイプだった。
ついに宇佐美さんは、男子にまで何か吹き込んだんだろうか。
これまでにないパターンに、警戒心は一気に高まっていく。
親しげに笑いながら近づいてきたトモロウに、私は反射的に一歩、後ずさりする。
「そんなに警戒しないでよ。ねえ、ちょっと一緒に来てくれない?」
「いや、早く着替えたいんで」
「なんか、嫌がらせされるって心配してる?
俺、美容師目指してるの。客商売するのに嫌がらせしてた過去とか、めっちゃ不利じゃん。
そんなことはしないよ。あのさ、髪、ケアさせてよ。」
瞬時に、ターミナル駅のアナウンスが脳内再生された。
『強引な客引きにはついて行かないでください。きっぱり断りましょう』
「いいえ、結構です」
アナウンスの助言に従って、きっぱり断り、キャッチから逃げるときみたいに身構え、もう一歩距離をとる。
けれど、その次の一言で次の足は止まった。
「宇佐美さんに、これ以上絡まれたくないじゃん。ちょっとやり返そうよ」
足を止めた私を見て、トモロウは、してやったりといった笑みを浮かべた。
「時間がもったいないから、歩きながら話そう」
「こっち。こっち。」
手首をつかまれ、そのまま歩き出す。
これはますます、強引なキャッチっぽいぞと、不安が増していく。
目指す先は校舎の端のほう、美術室があるあたりのようだ。
「席替え前さ、俺も宇佐美さんの後ろの席だったのよ。
そん時もしょっちゅう、顔の前で髪ばさばさしてきてさ。
女子相手に強く注意できなかったけど、正直、めっちゃ迷惑だったのよ。
だから藤間さんが注意したの見て、『よくぞ言った』って思ったのね。
そしたらさ、宇佐美さん逆ギレして周り巻き込んで、いじり始めたじゃん。
嫌だなと思って見てたら、冗談で返しててさ。『やるじゃん』って思って。」
トモロウは、美術室のドアを開けた。
「イイねが溜まったからさ、俺から髪ケアをプレゼント」
「……イイね?」
訝しげに聞き返すと、トモロウは肩をすくめて笑った。
「ほら、SNSとかであるじゃん。『あ、今の良かったわ』って思うたびに、俺、心の中でポチポチしてんの。
藤間さんは、そのイイねポイントが上限に達したわけ。
だから俺から、髪ケアをプレゼント。さあ、座って」
筆洗い場のそばに椅子を寄せて私を座らせると、トモロウは、肩に掛けていた大きなバッグから、タオルや櫛を取り出し、オペでも始めるかのようにテーブルに慎重に並べた。
「ちょっと待っててね」
そう言うと、隣の準備室から姿見を持ってきて、私の正面に据える。
鏡を前にすると、肩を丸めるように座っていた背筋が自然とすっと伸びた。
鏡に映るトモロウと目が合う。
その目は、いつもの軽いクラスメイトのものではなく、いっぱしの美容師の目をしていた。
「お首元、失礼します。」
トモロウは手早くタオルを私の肩にかけると、首にそっと手を添えた。
体育で体温が上がった体には、水っぽくてひんやりとした手のひらが、やけに心地よかった。
「首支えるから、ゆっくり倒れてくれる?」
私はお尻をずるずると動かしながら、ゆっくり体を倒していく。
この体勢、膝裏も支えてくれたらお姫様だっこじゃない?
場違いな妄想に、自分でもおかしくなって、思わず笑ってしまう。
「なんか変なこと考えた?」
「イイエナンニモ」
「ふーん? にやけてたけど。まあいいや。洗い場のふちにタオル引いてあるから、そこに首乗っけるよ」
トモロウは慎重に私の首を置くと、そっと手を抜き、手慣れた手つきでスルッと髪ゴムを外し、ざっと髪を手櫛で梳いた。
ごわついた自分の髪が、改めて恥ずかしくなる。
「水、かけるよ」
一言告げられたあと、蛇口をひねる音がして、額の生え際あたりに、心地よく冷たい水が垂れてきた。
すぐに大きな手が生え際から頭の中心へ向かって、水と頭皮をなじませるようにマッサージを始める。
指の腹でぎゅっぎゅっとリズミカルにもみほぐされるたびに、張りつめていた緊張が少しずつ抜けていく。
髪がすっかり濡れると、今度はシャンプーをするという。
「家にあった保湿力の高いやつ。かーちゃんのだから、香りが合わなくても勘弁して」
そう言って使われたシャンプーは、これまで嗅いだことのない、ムスク系のゴージャスな、セレブっぽい香りがした。
あっという間に泡立てたシャンプーで、シャカシャカと髪を洗う。
手早く水で流すと、今度は櫛を使って塗り込めるように、髪にトリートメントをなじませ始めた。
少し余裕ができたのか、トモロウは雑談を振ってきた。
「藤間さんの名前、好きな夏って書いて好夏じゃん? 夏生まれのスイカ好き?」
「そうだよ」
——母が話してくれた名前の由来を思い出す。
『好夏が生まれたのは、私のいちばん好きな季節の、よく晴れた夏の青空の日でね。お祝いでもらった好物のスイカは世界一おいしくて、愛しい我が子に会えて、大好きなものに囲まれた幸せな日だったの。だから、あなたの名前を好夏にしたのよ』
そう語る母は、幸せに満ちた表情をしていた。
母はオーガニックを語るときも、同じくらい幸せそうな顔をする。
母がこだわるオーガニック以外の物も使いたいと口にしようとするたび、その顔が浮かんで、結局、何も言い出せずにいた。
少し沈みかけた気持ちは、トモロウの楽しそうな声にかき消された。
「マジで? 藤間さんも、好きなものを名前にされた人? 俺も俺も」
「まさか、トウモロコシ?」
「違うよ。ミュージカルで『トゥモロー! トゥモロー!』って歌うやつ分かる? かーちゃん、あれ好きなのよ。だから、おれの名前の正しい発音はトゥモローなの」
「なんか、明るい明日が来そう」
「でしょ? 古風に見せかけてキラキラなんだ。はい。トリートメント終わりっ。
流したら最後仕上げていこう。髪も結んじゃっていい?」
上体を起こすとトモロウはタオルで髪をトントンとたたくように拭き、髪質が活かせるからと濡れた髪にヘアオイルで仕上げをした。
「本当は乾かしたいんだけど、学校だと難しくて。藤間さんち、オーガニックじゃないとダメなんだっけ?ヘアオイルには椿オイルとかの天然素材もあるから、そういうの使ってみたら?」
髪を乾かさないことを謝られたけれど、鏡に映る自分の髪はこれまで見たことがないくらいしっとりと輝いていた。
見とれているうちに、トモロウはオイルでなでつけた髪を、高い位置でポニーテールに結び、最後に小さな金属をゴムにぱちんと付けた。
「?何?」
「うーん。撒き餌みたいなもんかな。ひとつお願いがあるんだけどさ」
トモロウは、少し目を伏せて、使った道具を片付けながら続けた。
「このあと教室に帰ったらさ。俺が名前呼んだら、ランウェイでモデルが中央でターンするみたいに、大きく振り返ってくれない? 俺にポニーテール見せるみたいに」
鏡の中の自分の姿を見つめる。
体育着のままの自分は、もちろんモデルとは程遠い。
だけど、ゴワゴワだった髪はつやつやになっていて、いつもよりずっと高い位置に結ばれている。
試しに軽く振り返ってみると、ポニーテールが弧を描いて揺れて、ちょっとカッコよかった。
「うん。分かった」
「やるときは、思いっきり、『ポニーテールでホームラン打つ』くらいの気持ちで振り向けよ」
私はこのとき、変身した自分に夢中で、トモロウが浮かべた悪だくみ顔には気がつかなかった。
教室のドアをがらっと開けると、いつもの三人組が、すぐさま私を見つけた。
「なにそれー。髪型変えてんじゃん! ウケる!」
と、私を指さしてくる。
軽く無視して自席に向かおうとすると、宇佐美さんがポニーテールの結び目を指さして、悲鳴にも似た声を上げた。
「ちょっと、それトモロウのピアスじゃない?なんであんたが付けてんの。返しなさいよ!」
そう言いながら、ポニーテールのゴムに付けられたピアスに向かって、乱暴に手を伸ばしてくる。
止めてと宇佐美さんの手を振り払おうとした、そのとき。
いつの間にか教室のドアに立っていたトモロウが、力強く私の名前を呼んだ。
「スイカ!」
その声に反応して、私は言われた通り、思いっきりトモロウのほうへ振り返った。
ポニーテールが弧を描く。
ばちん。
弧を描いたポニーテールは、宇佐美さんの顔の中心を、したたかに打った。
昼休みで騒がしかった教室が一瞬、静まり返る。
「痛っ!嫌。マジキモイ!」
宇佐美さんの叫び声だけが、大きく響いた。
わめく宇佐美さんに、トモロウがからかうような笑顔を浮かべ、口調だけ心配そうに話しかけた。
「大丈夫? 痛かったよね。人の髪が顔に付くの、マジキモイよね」
宇佐美さんは、その言葉にハッとしたように目を見開いた。
悔しそうに顔をゆがめ、今にも泣き出しそうな顔のまま、足早に教室を出ていく。
グループの二人も、あわててその後を追った。
クラスのみんなが、出ていく三人組を呆然と見送る中で、隣に移動してきたトモロウは、私の耳元でささやいた。
「ざまぁ成功」
「最初からこれを狙ってたの?」
「さぁねぇ? 俺は名前を呼んだだけだよ」
——嘘つきめ。
でもちょっとスカッとした。
「さっき付けたの、ピアスだったんだね。大事なものでしょ?返すよ」
「それなんだけど、俺が美容師になったら、最初のお客さんになってくれない?その時はちゃんと乾かすし、髪も切るよ。それまで、そのピアスは持っていて」
この日から、私はトモロウに教えてもらいながら、少しずつ身だしなみを整えるようになって、私たちの距離も、少しだけ変わっていった。
初めてトモロウに髪を切ってもらう日も、もうすぐだ。




