魂の刈り入れ
最後の方に、若干グロ表現がありますのでご注意警報発令中。
―どなた様もご愛嬌。
この世の生は、所詮、ひとつの長い夢なのでございます―。
どうぞ、お目覚めになる、その時まで。
ごゆるりと、せいぜい好い夢を―。
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夜。
いつもと同じ道を通って、駅まで戻る。
毎日、この道。歩く速度も、ほぼ一緒。
代わり映えのない生活を続けて、きっと私は満足している。
特に何が起こるわけでもなく、いつもと同じ時間に電車は駅に着く。
たまに遅れるけど、どうせなら、もっと遅れればいいのにと思う。多少の彩りにはなってくれるだろう。
家に帰ったって、何にもないのだ。
毎日、同じ日。特に何が起こるわけでもなく、ただ淡々と過ぎて行く。日付だけが違う。時間はちゃんと流れている。厭になるくらい毎日平等だ。
駅のホームで、私は仮面を脱ぐ。巧く化けて、隠していた本性を現す。
何か起こるのを期待していたのは、もう昔のことだ。
今は毎日、波風を立てないようにやり過ごし、少しでも生きやすくしようと考えている。
疲れてしまったのだ。
そう、私は疲れている。
他人と他人が解り合うのは、難しい。
意思を伝える手段として、言葉は便利だ。だが、同時にとても厄介なものでもある。
言葉で解り合えることなんて、殆どない。
大抵は曲解され、相手の好きなように解釈される。
言葉を重ねるごとに誤解は大きくなり、どうしようもなくなる。
正しく伝わらないのなら、伝達手段として意味がない。
だから私は、言葉に頼ることを、止めた。
諦めてしまえば、何の拘りもない。
私の言葉は嘘だらけ。私の気持ちを表す言葉は、いつだって正反対だ。
そうしていれば、誤解をされてもダメージは少ない。元から、私の本心はそこにないのだから。
いつだっておどけてみせる。道化師のように滑稽な仕種で。
みんな笑えばいい。自分も滑稽なのだと気づくことなく、せいぜい一段高い位置から、見下ろしているフリをしていればいい。
まったく、馬鹿馬鹿しい。
電車の到着を告げる音楽が鳴った。
ホームの向こうで、駅員がマイクを片手にアナウンスをしている。
終電間近のプラットホームは、雑多な人で溢れている。
ここから約一時間、地元の駅に着くまで、立ちっぱなしの苦行になる。
だから心のスイッチをそっと消して、私は無になる。何も感じない、外殻だけの人形になる。
うんざりだ。
何もかも。
こんな自分も。
他人も、日常も―。
―所詮、あなたが見ているこの世の景色も、ひとつの長い夢なのですよ―。
ふいに耳元で、囁き声が聞こえた気がして振り返った。だが振り返った瞬間、誰もがそっぽを向き、私と眼を合わせる人は一人もいない。
聞き覚えのあるフレーズだった。だからきっと、知っている顔が近くにあるはずだ。
誰だ? どこで聞いた文句だろう。耳が慣れてしまっている。それくらい、何度も何度も聞かされた話。
そう、毎晩、夢の中で語られる話だ。今朝だって、起きる直前まで聞いていた声。不意に思い出し、私は戦慄した。
「好い夢を、見られなかったのですね」
向き直った私の耳元で、再び同じ声がした。今度は聞き間違いではない。咄嗟に身体を返そうとした。
「―え?」
瞬時に、それまで聞こえていた喧騒が消えた。不自然な空気が辺りを包む。
声の方へ振り返ろうとするのを、何かが遮っていた。顎のすぐ下で、何かが銀色に反射している。それが私の動きを止めていた。声は再び、吐息のように囁かれた。
「でもどうか、お気になさらないで下さい。この夢から覚めれば、あなたにはまた別に日常が待っているのですから」
何を言っているのか―。
理解できなかった。
これは一体誰なのか? 声は聞こえるのに、気配がまったく感じられない。
不気味だと思った。何かが不自然だった。だが不思議と、怖くはない。
「そろそろお目覚めの時間です。残念でしょうが、刈らせて頂きますよ、あなたの夢をね」
不可解なことをさらりと言われて、思考回路が追いつかない。その状態のまま、次の瞬間には、私の身体は宙に浮いていた。
ホームから押し出されたのだと気付いたのは、つんざくような警笛が聞こえてからだった。
途端に、消えていた音が戻ってくる。
電車到着のアナウンスが流れている。
人で溢れかえったホームでは、先ほどまでそっぽを向いていた人間が、みんな一様に私を見ている。
けたたましいブレーキ音がつんざく。
私は声の主を捜した。
何かを叫んでいるおじさん。手で顔を覆い、指の隙間から眼を覗かせているおばさん。呆然とした表情で、ただ眼だけを異様なほど見開いている若者。
―いた。
きっとあれだ。
奇異な群衆の中にひとり、平然と佇んでいる男がいた。
真っ黒な服を着て、真っ黒な帽子を被り、日常では拝めないような巨大な草刈鎌を構えている。先ほど私の顎に当てられていたのは、きっとあれなのだろう。
昔、私がイメージした死神と、そっくり同じで何だか懐かしくなった。
男は、私に向かってヒラヒラと手を振った。帽子に隠れている顔は、きっと笑んでいることだろう。私は自分の状況も忘れて、「場違いな笑顔だな」なんて考えていた。
次の瞬間、ドンという衝撃が、全身に当たる。
ぶつかる直前に、運転手と眼が合った。
またかよ。なんでオレの電車に飛び込んでくるんだよ。勘弁しろよ。あぁ、また暫く肉が食えなくなる。また当分、嫌な夢に魘される―。そういった事がありありと分かる顔をしていた。
弾かれて、数メートルほど飛ばされる。
ぶつかった衝撃で割れたフロントガラスに髪の毛が挟まってブチブチと抜けた。
視界の隅に映る自分の身体が、今までに見たこともないほど奇妙に捩れている。
あぁ、私は死ぬのか。
眩しく光る照明が揺れた。
ヒトひとりの人生なんて、本当、大したことない。
思い出す。
―この世の生は。
夢ならしょうがない。長い間、中途半端な悪夢を見続けたものだ。
地面に激突する。視界が暗くなった。
次に眼が覚めた時は、もう少し人生を頑張ろう。
どんな人生かは知らないけれど。
短編です。
読んで頂いた方、ご供養ありがとうございました。
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「主は只今キマグレ中」
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